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2008年1月31日 (木)

横浜・明日への提言(44) ヨコハマの存在感を示そう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 政治は給油問題で揺れてきたが、それについて思うことがある。ショー・ザ・フラッグということだ。インド洋での対テロ活動を支援する海自の補給艦が引き揚げて、国際的に見える日本の旗がなくなってしまった。対テロすなわち日本のシーレーンに出没する海賊退治も含まれるのだから、石油依存度の高い日本にとっては他国の火事場ではない。自国のタンカー航行の安全を守る場である。2001年10月、対テロ特別措置法が成立したとき、最初から「主体的寄与」といえばよかったのに、アメリカ主導の対テロ活動に協力するようなニュアンスで大義名分を唱えてしまった。
 国際貢献にショー・ザ・フラッグが必要なことは、湾岸戦争のとき130億ドルも出しておきながらクウェート政府の感謝広告に日本の名がなかったという苦い教訓が教えている。今度はそのトラウマが日本国民の理解を妨げた。
 アメリカのためじゃない、どこのためでもない、日本のタンカーを守りに行く。日本のタンカーの航行の安全を確保するため国際テロに対して専守防衛で自衛艦を出そう。それぐらいのことをいってもよかった。憲法の制約から自衛艦は無理だろうが必要なんだ、いや駄目だといった具合に議論が熱く盛り上がって、国民に対する「ショー・ザ・フラッグ」になり、給油支援活動は日本の当然の義務という理解と認識が国民に行き渡り、補給艦が引き揚げるような事態にはならなかったろう。
 だから、私は今度の失態は憲法問題関係なし、国連決議関係なし、政治家のアンテナと説明のダブル・ミスマッチの問題と見ている。国民に対するショー・ザ・フラッグがなってなかった。そのために国際貢献の場における唯一のショー・ザ・フラッグまでおかしな結果になってしまった。
 わかりやすくいうと基本はこういうことだ。
 新年会の時期だが、どこかで宴会を開こうという場合、みんなと一緒に行く。「いや、俺は都合が」などといわないで、みんなが行くときは、たとえ隅っこでもいいから、そこにいるのが大切。その積み重ねが「おお、あいつ、いつもいるな」という存在感につながっていく。
 日本は大国でなくてもいいから、国情に合わせた付き合い方を知っているという評価が得られるようにする。国連の常任理事国になるより、ある意味ではこっちのほうがずっと大事かもしれない。新年に当たってふとそんなことを思った。
 横浜開港150年記念イベントについても同じことがいえる。みんなが「わあわあ」いってるのだから、たとえ隅っこでもいいから何らかのかたちで参加する。そのとき、そこに存在する。それがささやかな地元貢献になる。地元貢献の小さな積み重ねが大きなウェーブになって、「横浜はすごいじゃないか」という存在感につながっていく。
 国はショー・ザ・フラッグを間違えたが、来年、開港150年を迎える横浜はショー・ザ・フラッグをしっかりやっていきたいものだ。折角のチャンスを遊ばせることはない。

2008年1月14日 (月)

横浜・明日への提言 (43) ブータンのGNHに学ぼう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 前々回、私はグローバル主義、市場原理などは一切お断りと述べたが、外国の考え方などをなんでも排斥するわけではない。取り入れるよい点があれば進んで取り入れてきた。そのよい例がブータンのGNHだ。
 GNHのGNは私のいう義理、人情ではなく、国民全体(国民総生産GNPのGN)、Hはハピネス。だから国民みんなが幸せになろうということ。ただし、ハピネスを意味する「H」には実に深い味わいがある。ひとことでいえば、何はともあれ今の幸せを噛み締めようというようなことだ。しかも、国民みんながそういう考え方をしている。ブータン国民のこうした平均的な考え方を知って、私はほかの国よりいろんな物を持ち世界を相手に伍していけるめぐまれた日本で、しかも、横浜で暮らせる幸せ、振り返ってみて自分がどれだけ幸せかを痛切に思い知らされた。それからは、どんなに間違ったこと、ひどいことをいわれても怒らないで、「この人は気の毒だな」と思えるようになった。世の中の間違いに気づいても批判はやめて提言をすることにした。すべてにおいて気持ちが明るくなり、前向きに受けとめられるようになった。
 しかし、今、日本人にいちばん欠けているのがこの「H」だ。物があふれていつでも手に入るのにありがたいと思えない。あれが欲しいと思うが、つかんでしまうとありがたいとも思わないで、すぐに次の物が欲しくなる。欲ばかりかいて満ち足りない。次から次へ飢えたように欲を追い求めて自分という存在まで念頭から消えてしまう。これは実に不幸なことだ。
 しからば、どうしたらよいのか。
 私はハピネスの「H」を子どものうちから教える必要があると感じて、横浜スタジアムで野球の試合をするために集まった小学校一年生から四年生の少年選手たちと付き添いの親も含めて一万人にいった。
「みなさん、おはよう」
「おはよう」
「みんな幸せだよ。ちゃんと朝ごはん食べて、こんなにきれいなユニフォーム着て、横浜スタジアムへ来て、みんなで野球ができる。幸せだよ。忘れちゃ駄目だよ。大きい声でありがとうといおう」
「ありがとう」
 それで終わり。幸せかと聞くのではなく、子どものうちから幸せだといわせないと駄目なのだ。  
 今の日本はいろんな問題を抱えている。いろんなかたちで不都合に泣く人がいる。泣き寝入りしろというのではなく、今、この国で暮らせるめぐまれた面に目を向ける。どこの国よりも平和だ。それだけでも大きな恩恵だと思えれば、当面する困難に立ち向かい不都合を自分の手で解決しようという気力が湧く。
 横浜の明日がここから始まる。

2008年1月 1日 (火)

横浜・明日への提言(42) 年頭所感、川の流れのように

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

  みなさん、明けましておめでとう。今年も明るく健やかに元気で素直に生きましょう。私の年頭所感は、川の流れのように・・・。
 私は77回目の正月を迎えたが、思うところあって脱アンチ・エイジを決意した。年甲斐もなく張りきらない。私はまだ若いなどと肩肘張らない。若い者にはまだ負けないなどという挑戦的ポーズはやめる。
 年齢相応、すなわち、川の流れのように・・・。
 去年までの私はアンチ・エイジの生き方をしてきた。やらなければならない大きな仕事が残っている。責任も重い。頑張らなくっちゃ。それには体力の衰えを防がなくてはというようなことで、毎朝、本牧から横浜都心の会社まで歩くことを義務のように考えて実行してきた。ところが、ある日、途中で突然気がついたことがある。朝が早いからまわりに人がいない。私は携帯電話を持たない主義だから、何か身体に不調があったとき、気づかれないまま大事に至りかねない。志半ば、責任の中途で倒れることだけはしたくない。そこで脱アンチ・エイジを決意したわけである。
 ただし、歩くのをやめたわけではない。77ともなると体の諸機能のエンジンのかかりが遅くなる。寒い朝、いきなり外へ出て、「さあ、歩け」というのはいかにも酷である。ならば、体が十分に温まった帰宅時に歩く。だから、まだまだ歩く。
 生涯現役は親譲りのモットーだから、老衰して体がいうことを聞かなくなるまで働く。ただし、若い者にはまだ負けないなどという挑戦的ポーズはやめる。世代の交代は大歓迎。どんどん追い越していって貰いたい。追い越す手助けもしよう。決して場所はふさがない。
「どうぞ、お先に」
 歩きながら後進が追いつくのを待つ、それもまたよし。
 若い世代の人たちも、しなやかで馬力のあるエンジンを持っているのだから、「シーラカンスは引っ込め式」の挑戦ではなく、実力で突っ走って、早く追いつき、追い越して貰いたい。脱アンチ・エイジを決意してから、その瞬間を期待する楽しみが生まれ、ますます気持ちに張りが出てきた。
 以上が私の年齢相応、川の流れのように・・・。
 若いみなさんは私の年齢相応とはかなり違うと思う。体力、気力とも充実しているのだから、時には立ち止まり、あるいは疾走し、緩急自在に「お先に、失礼」でいって貰いたい。
 それが最もフェアな世代交代ではないだろうか。
 だから、戸籍の年齢比較だけで「老害」「場所ふさぎ」などとはいわないで欲しい。いえば自分の将来に唾を吐くことになってしまう。
 年齢相応に、川の流れのように、私は歩きながら、仕事をしながら、今年もフェアな世代交代を楽しみにして待つ。
 本年も、どうぞ、よろしく。

2007年12月14日 (金)

横浜・明日への提言(41) GNO提唱は技術力がバック

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 国際競争ということがいわれてきた。グローバル経済だから国際競争に勝ち抜かなければ生き残れないともいわれてきた。根底に市場原理が働いている。これからは違うぞ、というのが私の考えだ。
 そのために、ミナト・ヨコハマの存在感を高める。
 これが私の変わらぬ方針だ。
 根底にGNOがある。義理、人情、恩返しのローマ字つづりのイニシャルである。いまどき何で義理人情なんだといわれるかもしれないが、こればっかりは世界にないものだ。世界にないものをミナト・ヨコハマがしっかり根づかせれば存在感が際立つ。私がことさらにGNOを唱え始めたのはそういう含みもある。
 では、義理とは何だ。義理には定義がない。個人的な掟だから定義づけられない。人情も同じである。しかし、あることは間違いない。極めて個人的で情緒的であるのは確かである。
「俺はあいつに義理がある。だから、今度はあいつを助けてやらなきゃいけないんだ。よし、恩返ししよう」
 義理には人情が伴う。それが恩返しになる。はやりの言葉でいえば互助の精神であり、共生の発露ともいえる。義理人情とは何だではなく、あるかないかだ。これがあるかないかで組織・集団・社会の雰囲気からして違ってしまう。
 ところが、近代社会は契約の世界だ。約束と義務を謳うだけで、違反すれば罰則がある。いわゆる性悪説の世界で、GNOなんかどこにも謳っていない。からからに渇いた契約社会だ。そんな社会のどこに魅力を感じるか。金をかすめ盗るために知恵を絞り、蹴落とした人がどんなに悔しがっても知らん顔で、相手がどんなに困ろうと構わない。むしろ、快感さえ覚える。魅力があるどころか、そんなのが人間といえるか。だから、まわりに敵ばかりふやしてしまう。
 M&Aというのは他人が汗を流してつくって育てた会社を、株式を買い占めるだけで横取りしてしまう。法律で認めてしまったから犯罪にならないし、罰せられない。下克上の戦国時代の再現で、新しいどころか先祖がえりの現象にすぎない。
 そこへいくと、GNOは性善説だ。義務じゃない。人間としてこうありたいという目標だけがある。目標があるから到達した人から学ぼうとして、そこに対人的なつながりが生まれる。仲間がふえる。結果はこんなに違ってしまう。
 だから、私はグローバル主義も、市場原理も一切お断りしM&Aなどはシャットアウトしてきた。
ミナト・ヨコハマにも外国の企業が入り込もうとしているが、240社が団結して阻止している。悪くなるのが目に見えているからだ。GNOを防波堤に、高い技術力で数の戦いにも勝ちミナト・ヨコハマの存在感を示していく。日本の企業にはそういう確かな姿勢が必要なのではないか。

2007年11月30日 (金)

横浜・明日への提言(40) 発展の意味をもう一度問い直そう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 発展とは何だろうか。
 戦後しばらく日本人は発展の渦中にいたから考えもしなかった。バブル経済の崩壊で高度成長がパッタリ止まって、いきなり停滞に直面したときも場当たり的な対応に追われて考えられなかった。それからほぼ20年、より停滞が深刻になって、夢よ再びとばかりに、ようやく考えるようになったようだが、答えを欲しがるからか、数字データばかり並べ立てる風潮が染みついてしまった。
 たとえば、今、どこの港が発展しているかと聞くと、発展の基準を「取り扱うコンテナの数」において、「シンガポールだ、釜山だ」と答える人たちがいる。
 違うじゃないかというのが私の考えだ。
 発展とは結果の数字だけではない。階段を上るように、一つ下のステップから上のステップに進むことだ。それには、これからどうあるべきかという将来構想が描けていなければならない。将来どうあるべきかという以上、これまではどうだったのか、現在はどうなっているのか、それがわかっていなければ描けない。
 となると、横浜は港湾都市だから、ミナト・ヨコハマの歴史を語り継ぐ必要がある。しかし、過去を語ると長くなるから現在だけをいうと、全国にあるミナトでいちばん発展しているのはどこだという見方が真っ先に口をつく。発展とはよりよくなることだ。じゃあ、何がよりよくなればよいのか。
 物流のミナトの条件には三つの要素があると私はいいつづけてきた。
一つは取り扱う貨物があること。二つ目は物流のシステムに乗せる施設があること。三つ目が最も肝腎な要素で、それらを操作する技術者がいること。ミナト・ヨコハマは三つ目の要素で世界一すぐれている。なおも発展している。すなわち、ミナト・ヨコハマは働く人で成り立っている。義理人情に厚い人が揃っている。技術が優秀で、教育制度、福利厚生施設も整っている。ミナト・ヨコハマで働いていることに誇りを感じている。こういう付加価値的というか、実質の価値にまで目を向けて評価しないと発展は名ばかりになってしまう。
 ところで、日本人として一番住みたいところに「横浜」をあげる人が多い。海があり、ミナトがあり、街があり、丘があり、川があり、みんな揃っているからだという。日本人がいちばん好きなのは技術とブランドだから、ミナト・ヨコハマというだけでブランド性を感じるらしい。これは誇ってよいことだと思う。
 魅力をさらに高めることを「粒立てる」というらしい。物的にも、精神的にも、付加価値を見出し、持てる魅力を一つ下のステップから上のステップに粒立てていく。
 ミナト・ヨコハマだけでなく横浜全体がそうであって欲しい。

2007年11月14日 (水)

横浜・明日への提言(39) みんなで喜ぶ感激を再び

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 この頃、足りてる怖さというようなことを考える。世の中には「着物一枚茶碗一つ」という言葉がある。衣食が足りればあとは余分、物欲は求めず心を満たす生き方をしよう、というようなことだと思う。衣食の足りない暮らしを知るから、そういう境地を願うのだろう。
 戦前に生まれた私は国の敗戦を体験し、何もかも失い、あるのは被占領国の屈辱だけ、という暮らしで戦後を迎えた。しかし、文化はあるという気概で、日本は「文化国家」を唱えた。着物一枚茶碗一つの暮らしは夢のまた夢、手の届かないところで輝いていた。
 ところが、トランジスタ・ラジオの開発による経済的な成功が活力を生み、気がついたら日本は経済大国をめざしていた。新幹線構想、高速道路の建設ラッシュ、そうした高度成長の過程で、私たちは電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビを持つ喜びにしびれた。
「俺たちが働けば働くほど国がよくなるよ。おい、俺のうちには、今日、テレビが入るよ」
 一生懸命に働いて仕事が終わると飛んで家に帰った。
「今度は、電気冷蔵庫が入る」
 そうすると職場から何回も我が家に電話を入れる。
「電気屋さん来たか。そうか、来たか」
 また我が家に飛んで帰る。
 物欲だけでなく、家に物が揃うのを家族で一緒に喜ぶ楽しみが伴っていた。今の人には味わえない喜びだ。世の中全体が、きらきら、きらきら輝いていた。
 それを思うにつけ、今の世の中はどうだ。グローバル経済とかいわれて、ごく限られた大企業の世界進出、世界戦略にばかりマスコミのスポットライトが当てられて、自分の目に見えるのは正反対のワーキングプアとなった若者たちの姿。「世の中、どうなっちゃったの」では働く喜びが湧かない。みんなで描く夢がない。
 確かに物が欲しければカードで買える。ただし、それは借金だ。欲しい物は手に入れたが、待つのはローンの返済地獄。物を得ても喜びが持続しない。家族と喜びを分かち合うシーンが見られない。
 この違いは何だろうか。
 横浜から答えを提示できたら画期的だと思う。
 私はみんなで描く夢、その実現に取り組む感激が各人にあるなしだと思う。そういう意味で再来年に迫った開港150周年記念イベントは大事だ。360万市民がみんなで描く夢、どうしたら横浜が一つになって開港150周年を祝い、感激に浸れるのか。
 私もかかわっている横浜開港150周年協会を中心に、みんなの智恵と力で記念イベントを創りあげ、30年前のような感動と感激を市民全体で分かち合いたいと願っている。

2007年10月31日 (水)

横浜・明日への提言(38) 横浜の貿易業界は対中貿易に活路を

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 横浜といえばだれもがミナト・ヨコハマを思う。横浜はミナト・ヨコハマを持つことで「世界のヨコハマ」である。では、ミナト・ヨコハマと密接な関係を持つ貿易業はどうかというと、外国商館がひしめき合った開港当時の賑わいとは程遠い現状である。
 地域起こしが盛んにいわれる今日、個別の事業ではなく産業として振興を図るターゲットを挙げるとしたら、やはり、世界有数の機能を持つミナト・ヨコハマを窓口とする貿易業ではないか。
 問題は貿易相手国である。過去の実績は別にして台頭著しい中国が相手国の中心になるというのが今日の趨勢である。中国人の日本語を学ぼうとする意欲は実に旺盛で、向こうでは日本語学校が事業の分野として確立をみているほどである。彼らのカウンター・パートナーとしての日本側はどうか。日本の物差しで表面的にしか中国をみていない。ここに問題がある。
 中国の人たちには愛国心がない。共産党に対する愛党心しかない。だから、こちらとは顔と顔の関係しかない。友達であるのかないのか、知り合いであるのかないのか、それが大いに関わってくる。
 私は大連の名誉市民だから友達である。たとえば、私の会社が現地にあったとして税務署が調べに入ったとき「何だ、申告していないじゃないか」ということになったとすると、「感謝料わたすから勘弁してくれ」「よし、わかった」とそれで終わり。中国には「感謝料」という精神的風土がある。だから、中国で仕事をするときには感謝料のやり取りができる人間を置いておかないとうまくいかない。
 ところが、日本の企業は本社が東京にあって、えらい人を一人送って現地の人をマネージャーにつけてやろうとする。こういう企業はみんな撤退に追い込まれる。現地の水に合わなかった、経済的に成り立たなかったというのが理由だが、うまくいくわけがない。感謝料を払うような関係を持っていないのだから相手のいいなりになるほかない。
 感謝料のやり取りというと、日本の物差しだと裏取引みたいに受け取れるかもしれないが、中国の物差しでは精神的風土なのだから郷に入った以上相手に合わせるしかない。中国に進出した日本の大手メーカーのうちA社とB社の生産工場はいいところに決まったが、C社だけ港からはるかに離れた不便な場所になった。C社は日本の物差しで一生懸命努力したが、中国の精神的風土に溶け込めなかったためにそういう違いがでたのではないだろうか。
 ということは、中国という国を表面的に研究しても役に立たない、ということである。人と人の関係でみないと理解できない。そういう研究をきちんとしたうえで進出すればうまくいくと思われる。
 横浜の貿易業界も、ひとつ、そういうことを念頭に置いて大いに進出して羽ばたいて貰いたいものである。

2007年10月14日 (日)

横浜・明日への提言(37)どうしたら言葉のレベルが上がるか

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 
 
 どんなに豊富なボキャブラリーを身につけても、使う機会がなければ宝の持ち腐れで終わってしまう。
 幕末の志士は仲間と猛烈に議論した。昼間のうち同志と議論して、家に帰ってから「あそこはこういえばよかった」「このことをいい忘れた」と思うと、すぐに手紙を書いて家来に届けさせた。最初は大した内容でなくても、次第に考えが煮詰まって時代を変え、新しい時代を築くエネルギーになっていった。だから、仲間としゃべり、議論する機会を持つようにすれば、必ず言葉のレベルが上がっていく。
 ところが、最近の小中高大学生は携帯電話をどのように使っているかというと、相手と電話で会話するよりメールという通信が主流になってしまったと聞く。
携帯電話が子どもの間にまで普及し始めたとき、私はある雑誌に「携帯は国を滅ぼす」と書いたことがある。前にも別の意味で述べたと思うが、それがますます現実になりつつある。
 また次のような例もある。
 映画「二十四の瞳」の舞台になった小豆島の十二人の子供たち、それぞれみんな良い子で上級学校へ進ませてやりたいのだが、貧しい島の暮らしが許さない。なかでも飛び切り成績が優秀で、高峰秀子演じる大石先生が「この子だけでも」と強く願い、本人も進みたい気持ちがある卒業生に対して最後にかける言葉に困った。作者の壺井栄は最初に何と書いたか。
 卒業したら島を出て女中奉公に行くのは当たり前だった。「偉いわねえ、感心ねえ」といわせようと思ったけど、それでは気の毒に思う大石先生の気持ちに合わない。しかし、ストレートに「気の毒」と表現してしまったら子どもに傷がつく。結局、「残念ね」という言葉に落ち着いた。
 どの言葉を選び、どのようにいうかで、その場にいる人を感動させもし、シラケさせもする。言葉にはよくも悪くも心がこもる。両刃の剣だから気をつけろというわけである。
 壺井栄ほどとはいわないが、「心を磨く」心得を持つ。これがもう一つの方法である。先頃の参議院選挙のとき、あるテレビ局の女性キャスターが国民新党の綿貫民輔代表に「それって、ずるくないですか」と二度も食い下がっていた。選挙前の予測では国民新党がキャスティングボードを握るのではないかといわれていたが、民主党の一人勝ち、自民党の歴史的大敗でその目は完全に消えた。「野党の先頭に立つのか」という女性キャスターの質問は選挙前なら話は別だが、選挙の後では愚問だ。綿貫民輔代表は「当面、静観する」と答えた。それが正しい。ところが、「それ、ずるいですよ」ときたから、綿貫民輔代表は唖然として「ずるい?」と反問するほかなかった。言葉を話す以前に心を磨く必要がある格好の見本だろう。

2007年10月 1日 (月)

横浜・明日への提言(36) 言葉のレベルを上げよう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 

 政治家の失言問題を持ち出すまでもなく、ボキャブラリーが乏しいと用い方を誤って取り返しがつかなくなることがある。自分の身を守るためにも言葉遣いは大切な武器だ。
 ところが、日本では明治の半ば頃まで国語教育が行われなかった。武家社会の江戸時代、上下関係から敬語が発達し、さらに侍言葉は語尾に必ず「御座候」がつくから、中身がないとお手本通りの敬語と「御座候」「御座候」ばかり耳について話にならなかったろうと思う。だから、中身のボキャブラリーをゆたかにするために、彼らは「能」を習い、膨大な物語にちりばめられた珠玉の言葉をマスターした。今は限られた物語しか演じられないが、新作・古典とも実に多くの作品があった。それが侍が使う日本語をしっかりしたものにし、失言を許さなかった。
 今日の日本語教育はどうか。
 国語教科書が出来、義務教育の小中学校に加えて高校、大学まであって、高校まで国語教育が行われている。しかし、中身はどうか。
 真っ先に考えないといけないことは、日本語には借り物の言葉が多いということだ。外来語どころか外国語をそのままカタカナにして用い、符牒まがいの新造語が氾濫する。理屈でいえばボキャブラリーがその分だけ増えてよいように思われがちだが、実際はそうじゃない。悪貨が良貨を駆逐するように、すぐれた日本語がどんどん使われなくなっていく。  
 これに大きな影響力を与えているのがテレビ言語ではないだろうか。侍が能でボキャブラリーを身につけたように、テレビばかり見てそれを手本にして育った子どもが日本人の大人の大半を占める時代になったら、横浜どころか日本はどうなってしまうか。
 お手本のレベルが下がっているのは間違いない。原因がそこにあるのだから、お手本のレベルを上げるしかない。
 私の場合はおやじ藤木幸太郎が生きた手本になり、古典ともなって、何か起きてもすぐに取り出して上からなぞるだけで、少しは世間に必要とされる人間になれた。
 子どもの頃には近所に読書を勧めてくれた大人がいてくれたお蔭で、私は6歳前後で吉川英治著『宮本武蔵』『三国志』を読みこなし、旧制中学時代は日本文学全集、世界文学全集を読破した。それらが教科書では得られない教養を私の身につけてくれた。
 小中学校で教科書以外にそういう教育が行われているのだろうか。行われていないならやって欲しい。
手本とするものも、これぞわが古典と思うものも、人によってそれぞれであり、受け止め方もさまざまだろう。だからこそ、個性ゆたかな世の中になり、言葉のレベルを押し上げていく。

2007年9月14日 (金)

横浜・明日への提言(35) もっと言葉を大切にしよう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 日本人は日本語しかしゃべれない。英語はしゃべれない。フランス語はもちろん、ドイツ語も駄目。中国語も、韓国語もできない。だけど、方言はわかる。フランス人はどうか。フランス人の七割方は英語がわかる。フランス人にとって英語は方言に近いものだ。ゲルマン系言語、ラテン系言語、どちらもヨーロッパからアメリカ、アフリカへと広まったから、違いがあっても通じやすい。
 いきなり何がいいたいかというと、日本人は日本から外に出ないかぎり外国語を話す機会がなく日本語しかしゃべれないのだから、これが下手くそになったら結果としてどういうことが起きるか、ということである。英会話スクールに通ったり、子どもを通わせたりすることに反対はしないが、所詮、付け焼刃だ。その前にやるべきことがある。
 幕末から明治にかけて活躍した人物で山岡鉄舟という人がいた。西郷隆盛が「自分の命のいらない、始末に負えないやつだ」と嘆く一方で、「ああいう人間のいない国は滅びる」と讃えた人物である。明治になってからは表立って活躍しなかったが、明治天皇の教育係になって国に大きく貢献した。
 その山岡鉄舟が一番大切にした言葉は何か。
 ある日あるとき、山岡鉄舟が名人落語家三遊亭円朝に「俺に桃太郎の話をしてくれ」と頼んだ。さすがに三遊亭円朝は断ったらしいが、なぜ、三遊亭円朝に頼んでまで桃太郎の話が聞きたかったかというと、子どもの頃、眠りにつくとき、母親に桃太郎の話をして貰ったことが忘れられないからだという。なつかしい、楽しい、あたたかく包み込まれて、それを聞くと赤ん坊に戻る、子どもの頃のように心がゆたかになれる、つまりそれが、山岡鉄舟の言葉の原点になっていて、常に復習を怠らなかったということだろう。
 徳川幕府最後の幕臣で、敵方の西郷隆盛と言葉で渡り合って江戸が火の海になるのを防いだ人間が、鋭い舌鋒を身につけるのに母親の言葉から入っていった。このことをよく考える必要がある。
「母親の言葉が今日の俺をつくってくれた。だから、音楽を聴け、数学を勉強しろ、歴史を習え、そんなのは後の話だ」
 山岡鉄舟はそういった。
 日本国民には国語として日本語がある。まず、日本語をしっかりしゃべるようにする。ビジネスで外国人と相手の国の言葉で話す必要がある人でも、自分をつくってくれた日本語をしっかりマスターする。そうでないと外国語の原点がわからない。本物の外国語を相手に太刀打ちできない。
 技術で勝負した時代は向こうが理解しようと努めてくれたから、片言の外国語で間に合った。それがビジネス中心に移ってくると、今度はこちらが理解しようと努めなければならない。日本語も大したことない、外国語もほどほど、これでいいのか。
 今、どうにかできるとしたら、日本語を極めることではないか。
 私が訴えたいのはそこである。