横浜・明日への提言(41) GNO提唱は技術力がバック
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
国際競争ということがいわれてきた。グローバル経済だから国際競争に勝ち抜かなければ生き残れないともいわれてきた。根底に市場原理が働いている。これからは違うぞ、というのが私の考えだ。
そのために、ミナト・ヨコハマの存在感を高める。
これが私の変わらぬ方針だ。
根底にGNOがある。義理、人情、恩返しのローマ字つづりのイニシャルである。いまどき何で義理人情なんだといわれるかもしれないが、こればっかりは世界にないものだ。世界にないものをミナト・ヨコハマがしっかり根づかせれば存在感が際立つ。私がことさらにGNOを唱え始めたのはそういう含みもある。
では、義理とは何だ。義理には定義がない。個人的な掟だから定義づけられない。人情も同じである。しかし、あることは間違いない。極めて個人的で情緒的であるのは確かである。
「俺はあいつに義理がある。だから、今度はあいつを助けてやらなきゃいけないんだ。よし、恩返ししよう」
義理には人情が伴う。それが恩返しになる。はやりの言葉でいえば互助の精神であり、共生の発露ともいえる。義理人情とは何だではなく、あるかないかだ。これがあるかないかで組織・集団・社会の雰囲気からして違ってしまう。
ところが、近代社会は契約の世界だ。約束と義務を謳うだけで、違反すれば罰則がある。いわゆる性悪説の世界で、GNOなんかどこにも謳っていない。からからに渇いた契約社会だ。そんな社会のどこに魅力を感じるか。金をかすめ盗るために知恵を絞り、蹴落とした人がどんなに悔しがっても知らん顔で、相手がどんなに困ろうと構わない。むしろ、快感さえ覚える。魅力があるどころか、そんなのが人間といえるか。だから、まわりに敵ばかりふやしてしまう。
M&Aというのは他人が汗を流してつくって育てた会社を、株式を買い占めるだけで横取りしてしまう。法律で認めてしまったから犯罪にならないし、罰せられない。下克上の戦国時代の再現で、新しいどころか先祖がえりの現象にすぎない。
そこへいくと、GNOは性善説だ。義務じゃない。人間としてこうありたいという目標だけがある。目標があるから到達した人から学ぼうとして、そこに対人的なつながりが生まれる。仲間がふえる。結果はこんなに違ってしまう。
だから、私はグローバル主義も、市場原理も一切お断りしM&Aなどはシャットアウトしてきた。
ミナト・ヨコハマにも外国の企業が入り込もうとしているが、240社が団結して阻止している。悪くなるのが目に見えているからだ。GNOを防波堤に、高い技術力で数の戦いにも勝ちミナト・ヨコハマの存在感を示していく。日本の企業にはそういう確かな姿勢が必要なのではないか。