横浜・明日への提言(97)縁台のお殿様になろう
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
書生論を本気でする者がいなくなった。話しても自分にはやれないことと知りながら、世の中のこと、大きな夢を語る「縁台のお殿様」がいなくなった。
これほどさびしいことはない。
まさか分業が進んだせいではないと思うが、世の中は政治家任せ、自分たちは「ここへ行くといくら稼げるぞ」とか、「あそこはメシがうまいぞ」とか、こせこせしたことばかり考えるようになってしまった。
遠大な夢、理想・・・。
これも死語化してしまった言葉だろう。
これほど由々しいことはない。
人はだれであれ、その人なりに夢の一つや二つは持つものだ。その夢のすべてがかなうとはかぎらない。仮に50パーセントしかかなわないとするなら、夢そのものの大小なり質が問われることになる。数字に意味があるわけではないが、仮に千の大きさの夢と百の大きさの夢があったとする。みんなが同じ努力をしてかなうのが半分とした場合、結果は五百と五十という差になって現れる。
「全力投球をした。自分は満足だ」
結果より過程を重視する考え方からすれば、それで大満足だろう。しかし、逆もまた真なり式にいうと「だったら、ラクな百の大きさでいこう」となりかねない。
前回のように「しっかりしろ、高齢者」式にいえば、縁台のお殿様こそ高齢者向きの役割である。縁台がなくなったのは事実だが、お殿様のなり手がいなくなったわけではない。最大の取り得が民主主義使用前と使用後の日本と日本人を見て知っていることだ。衆愚ボックスとまでいわれるようになったテレビの使用前と使用後も経験してきた。
分別に加えて見識を備えているとなれば最強の縁台のお殿様である。
シンデレラ・ボーイではないが、人知では計り知れない運命の働きで社会的に場を与えられたようなときには日頃の書生論がすぐに役立つ。
内閣支持率何パーセントといっても、「犬がみてても視聴率」と同じ類で、どんな人間がパーセンテージを構成するかはわからない。縁台のお殿様だけを対象にした世論調査を企画して一般の世論調査結果と対比するようにしたら、どちらの数字も意味が深まるのではないか。立っているものは親でも使えというぐらいだから、縁台のお殿様も使いようである。