横浜・明日への提言(96)世界初体験「超高齢化社会」を担う心意気
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
病は気から、気持ちの持ちよう、その気になれば何でもできる、挙げたらもっとあると思うが、気持ち次第で結果はどうにでもなる式の譬えがある。
それなのに、
「年を取ったせいか物忘れが激しくなった」
「年を取って体力が落ちた」
病気になったわけでもないのに落ち込む人を見かけて、ちょっと待てよとあらためて気づいたことがある。
日本人の平均寿命は男79歳、女85歳で、百歳以上が3万人を超えた。すなわち、日本は世界に先駆けて「超高齢化社会」を実現したわけである。世界初の偉業なのだ、おれたちはその偉業の担い手の一人なのだと、なぜ、胸を張らないのか。
問題は、「超高齢化社会」の担い手であるわれわれがいかに生きるかである。体の健康も大事だが、これからは気持ちの健康がもっと大事になる。人間には知識などを勉強して記憶するタイプの「流動性知能」と分別、決断力、説得力、指導力など経験を積み重ねて身につく「結晶型知能」とがあって、年を経て結晶型知能が卓越するにつれて流動性知能は退化するものなのである。年とともに物忘れが多くなり、体力が落ちるのはごく自然ななりゆきであって、少しも嘆くような現象ではない。
世界初体験の超高齢化社会の模範になろうかという日本人のわれわれが、当たり前のことに驚いたり、たじろぐようではとてもではないが世界に模範を示すことなど思いもよらない。
「しっかりしろ、高齢者!」
年を取ってまで流動性知能を大事にしようというのがそもそもおかしいし、間違いなのである。
われわれ高齢者には若い世代に不足がちな結晶型知能を発揮する義務と責任が使命としてある。使命だから押しつけがましくすることでもないし、頼まれなければやらないでよいといった他力本願的なものでもない。
しからば、どうせよというのか。
各人が自発的に独創することである。それこそ分別の働かせどころであり、決断力、説得力、指導力など結晶型知能の出番である。
いわば、それが、われわれの初舞台・・・。
もちろん、結果がすぐに出るようなことではない。しかし、さいわいなことに「超高齢化社会」になって時間にゆとりができた。結果を追い求めてあくせくすることはないのだ。もっと瞳を輝かせて胸を張り心に髯を生やして、われわれ高齢者にしかやれないことをしっかりやりぬこう。