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2007年8月31日 (金)

横浜・明日への提言(34) 脱言訳人生、脱弁解社会

34

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 どちらを向いても弁解や言いわけが目立つ時代だ。政治家が失言を繰り返して、言いわけしてから、仕方がないから謝罪する。企業が不正や不法行為を働いて経営トップが記者会見を開いて釈明しながら謝罪する。なぜだろう。みんなどうしてしまったのだろう。みっともないし、不思議でしょうがない。
 私のおやじは言葉一つ間違えただけで命を落とす時代を生きた。だから、言葉にはことのほかうるさかった。晩年、私が代理でおやじの言葉を伝えることが多くなった。
 「いいか、おまえ、言葉を間違えるなよ」
 いちいち具体例は挙げないが、それはうるさく念を押したものだ。
 油紙に火がついたように。おやじにそういわれるほど、私はあっちこっちでしゃべってきたが、いつでもどこへ行っても使う言葉を大切にしてきた。今の日本人にはそういう発言の土台となるものが、いつの間にか欠け落ちてしまったのではないか。
いまさら、失言しないようにしろ、不正をするな、不法行為を働くなと口だけでいっても、すぐには改まるまい。ましてや、しゃべるなといったら、社会活動にならなくなってしまう。だから、臨床的処方としてトラブルにまきこまれて「しまった、しくじった」と思ったときの対処法を提案しよう。
 対処の仕方には二通りある。闘うか、謝るか。決断を先延ばしにして逃げてしまってはいけない。その場で決断する。その場で決着をつけちゃう。闘うときは一人じゃうまく闘えないから仲間にお願いする。謝るときは土下座だ。究極の謝罪だ。これ以上の謝罪はない。テレビで会社の役員が五人、六人そろって頭を下げる。あんなのは謝罪ではない。謝ったことにならない。
 もう一つの謝り方は本当のことをしゃべる。弁解しちゃいけない。「真実はこうです」とその場で伝える。本当のことをすぐに正直に全部しゃべって、相手を「そうか」という気持ちにさせる。そうすればストレートに謝罪が通る。「すみません」では謝ったことにならない。
 それなのに、世の中が弁解、言いわけに明け暮れるから、みんな怒って、「このやろう」と処罰社会、リンチムードになってしまう。それが子どもの世界に反映して起きているのが「いじめ」だ。子どものいじめの原因は大人の社会にあるといってもよい。
 だから、大人社会だけでなく子どものためにも、大人の言訳人生、弁解社会から改めないといけない。

2007年8月 2日 (木)

横浜・明日への提言(33) 護送船団方式はGNO資本主義

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 前回掲載の私がいう護送船団方式について少し補足しておきたい。
 護送船団方式は守らなければいけないが頑なに守れということではない。改めるべきは改め、守るべきは何か、時代の流れに沿って変えていく柔軟さがなかったら、世界に冠たる護送船団方式も動脈硬化を起こしてしまう。そのことを強烈に思い知らされたのが、前に述べたスクラットン社長と議論したときだった。
 コンテナ時代の前は船内荷役といってワンギャング15から20人単位のチームで貨物の積み下ろしを行っていた。15人の中には五十五歳のベテランもいれば二十歳の新米もいる。当然、五十五歳のベテランと二十歳の新米では手当てが違う。ベテランは新米の6割増しが常識だった。ところが、ロンドン港の賃金体系には差がない。私がスクラットン社長に日本の賃金体系を説明したうえで、「これは、どういうわけか」と質問すると彼は次のように答えた。
 「おまえさんは不思議なことをいう。藤木のいうことはおかしい。ワンギャングの中に二十歳がいて五十五がいる。チームとして仕事をするのだから五十五だろうが、二十歳だろうが、同じじゃないか」
 「冗談じゃない。二十歳は社会に飛び出したばかりだ。五十五歳にはかみさんもいれば子どももいる。差があって当然なんだ」
 私がここぞと切り返すとスクラットン社長はすかさずいった。
 「一つのチームは二十歳だけでも五十五歳だけでも成り立たない。五十五歳の智恵と経験と二十歳のパワーがかみ合ってはじめて仕事になる。だから、賃金が同じなんだ。どこがおかしい」
 なるほど、これぞ日本の中産階級社会に必要な本当の意味での論理かもしれない、と私は衝撃的に受けとめた。
 ホリエモンや村上ファンドが市場原理主義をかざしてどんなに稼いでも、彼らは日本という中産階級社会に支えられている。競争原理でわずかな「勝ち組」だけが肥え太って中産階級がワーキングプアに落ちぶれたら、市場原理主義そのものが成り立たなくなってしまう。今はまだそこまで行き着いていないだけのことだ。同じように年功序列も日本的なよさで必要かもしれないが、年齢で一律に格差をつけるやり方も不公平は否めない。
 以上のように過去の護送船団方式にも批判されるような過保護の面があった。そこは潔く認め家庭の事情は個人の手に委ねるように改めないといけないが、他方、現状のままの市場原理主義にグローバル化が結びついたら、株式相場の世界同時安のように世界同時格差社会が定着し、すべてがデッドロックに乗り上げてしまう。遠い先を見越してそうなるのを防ぐためにも中産階級社会を維持する新しい規範が必要なのである。そのためには護送船団方式もただ守るだけでなく時代の要請に合ったかたちに改めないといけない。あるいは資本主義でいくなら市場原理主義ではなく日本人の美学ともいうべき義理、人情、恩返しを体系化したGNO資本主義、GNOデモクラシー、すなわち新しい護送船団方式に改めないといけないということである。

2007年7月14日 (土)

横浜・明日への提言(32) 今こそ護送船団方式を見直そう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 市場原理主義、競争原理思想の導入で職場から社会全体に至るまで殺伐とした空気が日本を支配している。原因がはっきりしているから批判するのは簡単だが、口先でいうより何とかする方向だけでも明確にしておかないといけない。そう思ったものだから、私は横浜港運協会の賀詞交換会で、「ミナトは護送船団方式でいく」と宣言した。
 そもそも「護送船団方式」という言葉を使って日本の企業体質を悪くいい出したのはアメリカかぶれの学者と評論家だった。
「あの業界は護送船団方式だからよくない」
 彼らのいっていることを聞いて、正直、私は「冗談じゃない」と腹が立った。
仮に日本の企業体質が護送船団方式だとして、それのどこが悪いのか。
 日本の社会は江戸時代の長屋暮らしから護送船団なのである。味噌、醤油を切らしたとき、「貸してくれ」といって隣から借りてその日をしのいだ。明日は我が身だからお隣さんは当たり前の顔で貸してくれた。武士にも相身互いという連帯意識があって、惻隠の情を何より重んじた。封建社会に違いなかったが、上下の身分に関係なく世の中の隅々にまで互助・共存の精神が脈々と受け継がれ、世の中に潤いを与えていた。
 もしもあの時代、市場原理主義だの競争原理だのを持ち出して、優秀なやつだけ他人の二倍も三倍もうまいめしを食えばよい、駄目なやつは野垂れ死にしてもしょうがない、こんなことをいい出す学者がいたら今の私たちは存在しなかっただろう。
 食うや食わずの時代を生きた私たちが、縁台のお殿様としていいたいことをいい、心身とも健やかに成長できたのは、護送船団方式があったればこそである。
 それをいかにも時代遅れのようにいうが、私にいわせれば市場原理主義こそ「刀」を「資本」に置き換えた新手の封建思想なのだ。刀に象徴される、かつての封建思想でさえも「武士道精神」という規範が確立されていたというのに、今日の市場原理主義には弱肉強食の下克上以外何もない。数値のお化けみたいな時価総額とかいう軍隊を使って平気で「下克上」が企業間で行われる。本質的には戦国時代の再現である。そんな世の中のどこが新しいといえるのか。学者も評論家も一部の経営者も口を開けばグローバル経済、市場原理主義というが、そんなものは世界的な封建制度への後戻りにすぎない。
 わかりやすくいうと、十人で泳いで、三人おぼれて、七人だけが向こう岸について、「おう、これで三人分余計にめしが食える」というのが市場原理主義のいう競争原理だ。そうじゃない、三人おぼれたらみんなで助けにいく、世界に取り残されて先にめしを食われてもよい、細々とでも限られたものを分け合って良心の呵責なく全員で胸を張って生きていこう、それが私のいう護送船団方式だ。どっちがまともかいうまでもない。日本がこれを守らないで何をもって世界と渡り合うのか。
 前回、今の日本ほど不安が世の中を支配する時代はないといったが、原因は護送船団方式が崩壊しつつあることにある。私は原因をそこに突きとめて自分が責任を負う企業・団体で「護送船団方式でいく」と方針を明確にした。それだけでも空気が明るくなり、安心が隅々に広まった。

2007年6月30日 (土)

横浜・明日への提言(31) バイオリズムを理解し、ネアカに生きよう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 警察庁の発表では、自殺の原因の第1位は健康上の問題で前年より増加し、第2位の経済的な理由は減少したそうだ。これは、国民の経済的な問題が解決したことを物語るものでは決してないが、健康問題での自殺が増加したのは、医学の進歩だけでは解決がつかないことを意味する。個人の健康が生活と社会の基盤であることは明らかだ。これまでいろいろと提言させて貰ってきたが、実行に移すのは横浜市民の皆さんである。いつも健康で元気でいて貰わないと困るので、今回は人生と生活の基本である健康について考えてみたい。
 日本人のバイオリズムでいうと、なぜか自殺が一番多いのは月曜日の朝だという。なんとなくわかる気がするが、血圧が上がるのも月曜の朝だそうだ。火曜、水曜日に持ち直して、木曜日の朝にもう一度落ち込みに襲われるという。金曜日の晩も不摂生がちになるから危ないらしい。危険日は週のうち三度ある。気をつけないといけない日がはっきりしているということは、考えようによってはありがたいことである。その日は仲の良い友達と一緒に楽しく過ごすようにすればよいのだから。
 ただし、仕事の関係でそうもいかない事情がある。一人でいるときほど孤立感に陥らない工夫が大切だ。孤立感が危険を増幅させることを考えれば、その日、そのとき、自分の心が暗くなったり、気持ちが沈んだとしても、ウイークリー・バイオリズムが頭にあれば「自分だけじゃない、みんなこうなんだ」と気づくだろうし、それだけでも救いになる。
 ところで、今くらい不安な時代はないと思う。原因をいうと長くなるからいわないが、「ネクラ」な人と「ネアカ」な人が今くらいはっきり分かれる時代はめずらしい。健康食品ばかり追いかける人、保険、老後の施設をどうするか、今、お金を貯めておかないと老後がやっていけない、こういう考え方は間違いではないがネクラ思想。今日このひとときをどう愉快に生きるか、今の自分の人生をどう送るか、今の友達とどう深く付き合うか、有意義に生きるか、そういうことを第一に考えるのがネアカ思想で、イソップの「蟻とキリギリス」の寓話もあるが、私はこちらが正しいと思う。
 健康食品もいいが食べたいものがあったら食う、着たいものがあったら着る、行きたいところがあったら行く、いいたいことがあったらいう、これを裏に取っているのがテレビである。テレビといえば食う寝る旅の番組全盛である。これもちょっと行き過ぎだと思うが、ネクラで生きるより少しはましといえるかもしれない。
 日本人のバイオリズムを個人の考えで変えることはできないが、「ネクラ」の生き方を「ネアカ」の生き方に改めることはできる。貧富の差に関係なくこれだけはだれにでもやれる。情報過多の社会でいろいろと惑わされることも多いだろうが、浜っ子の一人ひとりが自分のバイオリズムを手の内に入れて、ネアカ思想で今日を生き明日を考えていったら、強く正しく持続する「横浜力」が生まれるに違いない。

2007年6月14日 (木)

横浜・明日への提言(30) 俺がトップだ、すべて俺に聞け

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 政治・経済の分野を問わず部品から組み立てに至るまですべてを丸投げ他人任せにして「トップでござい」という姿が目立ってきた。組織が肥大化したことも原因の一つにあるのだろう。このようなことでは名のみの責任しか担えず、何かあったとき引責辞任するためのトップでしかなくなってしまう。それでよしとしている向きもあるようなので、ちょっと思い出したことを述べてみたい。
 私がトップという立場を強く意識し深く考えさせられたのは、ヨーロッパの港湾施設に出かけた二十代のときのことで、相手はロンドンのある荷役会社のスクラットンさんという社長だった。その人は車椅子に乗った白髪の老人で両側に屈強な若者が佇立していた。若い私は張り切って膨大な質問項目を用意していた。きちんとあいさつをすませてから社長にお願いした。私はおやじの会社に入る前は外資系の会社にいたから英語ができる。
「質問したい項目がいっぱいあります。あなたは社長だから聞くわけにいかない、どなたか各専門の担当の方を寄越してください」
「君は失礼なことをいうな。専門の方とはなんだ」
 スクラットン社長がいった。
「俺はこの会社の社長だ。すべてわかっている、俺に聞け」
 船会社との料金交渉のやり方、作業員の賃金体系から労務管理全般、安全衛生、営業関係にいたるまで、スクラットン社長は私の質問によどみなく次から次へと懇切丁寧に答えてくれた。
 これがトップのあるべき姿か・・・・。
 私は感激してカミナリに打たれたような思いだった。
 当時の私は創業者の二世で、入社間もないというのに「ワカ」と呼ばれ、将来はトップの座が約束されていた。しかし、スクラットン社長と会って帰国してから、そんな気分は消し飛んでしまい、自分から進んで現場に出、汗と泥でまっくろになって働いたし、人集めに東奔西走、南船北馬した。長年の経験を積んで仕事のことならだれにも頼らないでわかるという段階に達したとき、頭にひらめくものがあった。
 一人ですべてわかるようになると問題に直面したとき即座に答えを思いつくし、あたためていた問題意識にアイデアがすっと浮かぶようになったのである。
 これからの日本が必要とするトップはどちらのタイプだろうか。らくしてトップになるなら前者でもよいかもしれない。私は後者でやってきたから言及する立場にないが、特に若い世代のトップの人たちにはどちらがよいか真剣に自問自答して貰いたいものである。

2007年5月31日 (木)

横浜・明日への提言(29)  どうせやるなら本当の構造改革

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 終戦直後、生産設備、機械、資本、食料など、なにもかもなくして、あるのは何かといったとき、「文化があるじゃないか」というので日本政府が指向したのが「文化国家」だった。文化住宅、文化包丁、文化コンロなどなど、新しくつくるものには片端から「文化」を冠した。近頃の日本も「どうにも止まらない改革指向国家」である。過去のものをいじくりさえすれば改革、何をやるにも改革、改革の連呼、改革国家をめざして本当によくなるなら結構なのだが、パフォーマンスだけで中身が伴わない。改革らしいことをやらないと何もやっていないように思われてしまう風潮もいけないのだろうが、そういう風潮に媚びるだけの改革だから目的もあいまいだし見通しもいいかげんでしかない。
 たとえば、護送船団方式がいけないという学者が何を根拠にしているかというと、グローバリゼーションと市場の競争原理である。後者に逆行するからぶっこわさないといけないという二者択一式の極めて単純な論理だ。単純だからテレビのような時間に制限のある媒体でいうと逆に分かりやすくなり、視聴者に広く受け容れられ支持されていく。そんな世の中に棹差すつもりはないが、私は護送船団方式が日本にとって不易で、グローバリゼーションなどは一時的な流行としかみなさない。
 戦後の日本人は何もない状態の中で汗水たらして働き技術に磨きをかけ国民所得を倍増して中産階級にのし上がった。敗戦国家日本が世界から恐れられるほどの技術立国国家、うらやましがられる中産階級国家に到達できたのは、護送船団方式に守られることで家族を抱える労働者が安心して仕事に打ち込めたからである。
 グローバリゼーションがなぜいけないか。一国でさえ景気の浮き沈みに苦慮するのだから、グローバリゼーションで世界が一つのシステムでつながってしまったら、最近起きたばかりの香港発世界同時株安のようにどこもかしこも共倒れになってセーフティ機能が働かなくなってしまう。日本がアンチ・グローバリゼーション指向を取り入れることは、逆にその分だけグローバリゼーションの危険性を軽減することになり、ある意味ではセーフティ機能を与えることになるだろうからきちんと筋が通っているわけである。
 資本主義の足りないところを社会主義で補っていた頃の日本は国民生活もゆたかで活発だった。市場原理主義へ純化を深めるにしたがって中産階級社会が崩壊に向かいワーキングプアを大量に生み出すようになった。シングルイシュー的な構造改革の弊害が現れ始めたわけだ。グローバリゼーションの欠陥を護送船団方式で補い、護送船団方式では孤立してしまうという限界点ではグローバリゼーションで切り抜ける、などというように常に反対概念と対置させながら最も適した答えを引き出すのが本当の構造改革である。仮に二者択一としても護送船団方式を選択するのは決して守旧主義ではない。

2007年5月14日 (月)

横浜・明日への提言(28) 過去を土台に今日を築く

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 私は横浜港運協会の会長を務める関係で講演を頼まれることが多い。頼まれるとミナト・ヨコハマについて語らせて欲しいとお願いすることにしている。テーマは変わらないが、思いついたことを話すから、そのたびに違う内容がいつも加わる。自分で話して「あっ」と驚くことも少なくない。
 ヨーロッパなどへ行くとあちこちの都市に銅像が立っている。過去という台の上に今があることを忘れないためである。学校の教科書にも外国に攻められたとき国や街を守った将軍、兵士の美談がたくさん書かれている。
 一方、日本には「水に流す」という言葉がある。
「そんなことはもういい、すべて水に流して新しく始めよう」
 これは日本人のよさでもあるが同時に玉に疵で、過去を忘れてしまう悪い面を併せ持つ。しこりをいつまでも残す過去の感情は水に流してしまったほうがよいが、先輩たちが苦労して築いた過去の事実まで忘れてはいけない。過去の事実に今日の現実を積み重ねてこそ明日がある。そんなことを話して帰ってから、私は「あっ」という思いで気がついた。日本人のよい面を残しながら悪い面をヨーロッパ人のよい面に置き換えたらどうなるか。
 新しいことを始めるためには必ずしも過去にこだわらなくていい。しかし、過去の大事なことはしっかり認識して確実に継承していくと、実にすばらしい国民性に結びつく。
 アメリカ人は資本主義、競争原理というシングルイシューに支配されすぎているし、ヨーロッパ人は過去を大切にするあまり感情をいつまでも引きずりがちだ。日本人がまず参考にするのはヨーロッパやアメリカではなく過去の日本、それも身近な先輩達ではないか。
 ところで、とある講演会でアメリカの歴史学者が明治維新を評して「日本には革命がない、国体が一度も変わったことがない、世界史上からも稀有のことである」といった言葉を紹介したところ、後日、ある歴史学者から「気づかなかった、よいことを教えてもらった」というお礼の手紙を頂戴した。
 世界でも稀有ということは世界最高ということではないだろうか。最高のものが土台にあって流行を支えているわけで、不易と流行、温故知新、いろいろないい方があるが、これまでの日本人は「温故不易」に当たる部分に世界最高のものを持つことを誇りにしてきた。
 ところが、近頃の改革はアメリカナイズへ傾斜するあまり過去の日本はすべて古くてぶっこわさないといけないものと錯覚しているのではないかと危なっかしく思うほど、純粋でひたむきである。いつの時代でも改革というものは正しい目的、確実な見通しのもと「過去を土台に明日を築く」姿勢を貫く必要性がある。そろそろ一服して「改革ごっこ」そのものが日本と国民のためになるかどうか、検討するゆとりを取り戻すときではないか。

2007年4月30日 (月)

横浜・明日への提言(27) 横浜をもう一つのふるさとに

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 横浜に三日住めば「浜っ子」といわれる。開港都市横浜の開放性を表す言葉である。自慢の材料にすることはあっても異論を差し挟む市民は皆無といってよいくらい隅々にまで浸透している言葉だ。ただ、これまでは言葉にとどまって、それが漠然といわれてきた。
 港湾都市横浜には、麻薬・銃器など生活の安全を脅かすもののように断固として受け容れられないものがある。そしてまた、他都市からきた人を受け容れるからにはととのえなければならない条件がある。私は「波止場の掟」と呼んでいるが、一つには前に述べたことがある横浜港保安委員会の活動で、官民が一体となって麻薬・銃器の密輸を水際で取り締まっている。よそでは税関や警察が個別に取り組んでいるが、横浜港の場合は検疫所、漁業組合まで加わった特別チームで阻止に努めている。始めてから15年になるが、官庁同士の垣根、官民の土俵を取り払って結果する保安委員会があるのはいまだに横浜だけだ。横浜の開放的な空気がつくり出したものともいえる。
 もう一つは、秋田弁の浜っ子、関西弁の浜っ子でも、だれもが心の中に持つ「ふるさと」をもう一つ横浜につくること。
 いざとなったら・・・・・。
 だれしもが「ふるさと」を思うように、横浜の職場が頼みになる。そういう職場を守って、なおかつ継承し子孫に残していく。これが私たち港湾人がめざす開港都市につづく港湾都市のありようで、港で働く人たちは「ミナト・ヨコハマ」を誇りにしているし、市民からも認めていただいている。
 ところが、いざとなったらと頼りにするふるさとを持たない人が貧富の二極化社会、競争社会で嫌な思い、さびしい気持ちで暮らしている。
ふるさとは一つではない、もう一つが職場だとすれば、気持ちよく働くということがどんなに大事なことか。そのための掟がG(義理)、N(人情)、O(恩返し)である。GNOに裏打ちされた護送船団方式、終身雇用制度、横浜はそれがしっかりしているとわかればおのずと「いざとなったら横浜へ」が合言葉になり、東京のベッドタウンという汚名もおのずと返上されていく。
 そこまでいくにはかなりの歳月を必要とするだろうが、横浜がどんどん東京のベッドタウン化する現状に対して指をくわえてただ見ているよりはるかにましだろう、
 この間、国土交通省のある局長さんが演説の中で「横浜港のGNO」といって私の主張に言及してくださった。横浜港で立てたさざなみの一波が中央官庁の幹部に二波となって伝わったわけで、私は実にうれしかった。

2007年4月14日 (土)

横浜・明日への提言(26) 本当の意味での発展の物差し

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 横浜は歴史的には開港都市、現実にも港湾都市、だから、いろんな人が「横浜港の発展を祈ります」といってくれる。私は「ありがとうございます」と礼を述べてから質問することにしている。
「あなたのおっしゃる発展とは何ですか」
 私が念頭に置く期待するような答えはまず返ってこない。
 船が何隻入ってきた、コンテナの扱いが何個になった、これだけになった、あれだけになった、返る答えは計数ばかり。そんなものは発展の物差しでも何でもない。むしろ、数値目標に頼る弊害のほうが大きい。経済成長率アップ、企業再生が数値目標でいわれている間に、経済のグローバル化とやらの掛け声でコストダウン第一主義がはびこり、工場が相次いで海外に進出する一方、国内では正社員のリストラ、派遣社員やパートの大量雇用が進み、社会的には国民の中核をなしてきた「中産階級」層の崩壊、富裕層とワーキングプアへの二極化、企業間には「勝ち組」と「負け組」という格差が生じた。いつの間にか「一億総中産階級」を謳歌してきた日本にスラム化が急激に進行してしまった。これが日本の進めた構造改革の実態である。
 これではいけないと考えて、横浜港運協会は本当の発展の物差しを示す目的で独自に調査団を釜山、香港、シンガポールへ派遣した。調査したのは数値で表される実績ではなく、港で働く人がどんな暮らしをしているか、世間が彼らをどのように評価しているか、港湾産業の発展が港で働く仲間の生活面と社会的評価の向上に結びついているかということだった。
 港湾技術者の暮らしはパールバックの大河小説『大地』に描かれた農民の極貧生活そのもの、社会的評価は最低、低賃金・低コストによる人海戦術による荷扱いで、当然、技術的水準も低い。従っていわれる実績にもメイキングされた話が多く、数値で表される華々しい躍進の陰でもともとあったスラムがますます拡大していた。これで港湾が発展しているといえるのか、というのが調査団の結論だった。
 口を開けば国際間競争というが、数値目標だけで考えてしまうと世界の悪い潮流に飲み込まれてしまう。ミナト・ヨコハマはそういう悪い波を止める場所「波止場」にしようと決意を新たにした。金持ちがいない代わり貧乏人もいない。今、景気が悪くて思うように賃金が支払えないが、7人分の賃金を10人で分け合ってリストラはしない。250ある会社は一社も倒産させない。これからも数値上の実績を挙げる前にこうした精神的・技術的土台をしっかり築き、継承していく。これが本当の発展だと思う。
 今後の横浜のためにここでしっかりお願いしておきたい。ミナト・ヨコハマにとどまらず、横浜の企業全体が波止場的役割を果たすことをこれからは運動の一つに加えてもらいたい。

2007年3月31日 (土)

横浜・明日への提言(25) 擬似家族とサイコロジカル・コスチューム

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はいろいろな日本人と会って聞いた意見やものの考え方を集約し著書の中で次のようなことを述べた。日本人の意見はサイコロジカル・コスチューム(精神的な衣装)なのだ。一つの団体に入るとみんな同じ着物をまとう。
 私はなるほどと感心した。日本人が精神的なユニフォームを拠りどころにしてきたのは事実だ。帰属意識を明快に持ち、個人の理屈よりも人間関係を大事にした。日本という大きな単位で見ると、個性的で多様なユニフォームが無数に存在し、それらを着た人々が互いに切磋琢磨するという構図がきちんと出来上がっていて、よい人間関係に守られながら政党や企業の間で競争が行われた。あくまでも政党間、企業間の競争であった。だから世の中は潤いを失わないで、しかも活気があった。政党にしても、企業にしても、よい人間関係を築くという基本で一致していたから、よそにライバルが存在しても励みにこそなれストレスにつぶされることなどなかった。組織にあたたかい血が通い安心して帰属できたからである。
 ところが、企業は経済のグローバル化を口実にしてコスト削減第一主義に走って国籍を捨て、競争原理に切り換えて体質そのものを変質させてしまった。昨日まで擬似家族のように助け合って一つの目的を遂げてきた仲間がいつの間にかライバルに変わってしまったのだから、社員にしてみればそれこそ腹背に敵を受けたようなものだ。職場は殺伐とし、何を拠りどころにすればよいのかわからないのだから、当然、帰属意識は薄れ、やがては失われるだろう。
 そういう社会では個人の意見やものの考え方、金銭的な目的が価値観の基本にとって代わり、組織の末端まで自分の収入を増やすことが唯一の尺度になって、サイコロジカル・コスチュームが失われてしまう。これが日本沈没のメカニズムだ。
 たとえば、選挙でいえば浮動票が過半数を占める現実が、現代社会に生きる日本人の帰属意識の喪失を物語っている。企業にしてもコンプライアンス(法令遵守)などの言葉は使わないでも、サイコロジカル・コスチュームには不文律としてきちんと含まれていた。自分からそれをなくしておいて、慌ててコンプライアンスの確立を謳うのが現在の企業社会である。
 日本沈没のメカニズムがわかれば復活の道筋は明らかである。時計の針を逆にまわしてかつてのような擬似家族を復活させ、サイコロジカル・コスチュームを取り戻せばよい。擬似家族的な組織は日本固有のもので、外国は真似たくてもどうにもならなかった。だから、あの手この手でつぶしにかかったといえなくもない。
 日本はもちろんのこと横浜の課題は擬似家族的な組織とサイコロジカル・コスチュームの復活にある。横浜市民は360万人もいるのだからユニフォームの色もかたちも多彩であって当然だが、可能なかぎり集約していく議論が必要だろう。その過程で市民は数多く有意義な経験をするに違いない。