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2007年8月31日 (金)

横浜・明日への提言(34) 脱言訳人生、脱弁解社会

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 どちらを向いても弁解や言いわけが目立つ時代だ。政治家が失言を繰り返して、言いわけしてから、仕方がないから謝罪する。企業が不正や不法行為を働いて経営トップが記者会見を開いて釈明しながら謝罪する。なぜだろう。みんなどうしてしまったのだろう。みっともないし、不思議でしょうがない。
 私のおやじは言葉一つ間違えただけで命を落とす時代を生きた。だから、言葉にはことのほかうるさかった。晩年、私が代理でおやじの言葉を伝えることが多くなった。
 「いいか、おまえ、言葉を間違えるなよ」
 いちいち具体例は挙げないが、それはうるさく念を押したものだ。
 油紙に火がついたように。おやじにそういわれるほど、私はあっちこっちでしゃべってきたが、いつでもどこへ行っても使う言葉を大切にしてきた。今の日本人にはそういう発言の土台となるものが、いつの間にか欠け落ちてしまったのではないか。
いまさら、失言しないようにしろ、不正をするな、不法行為を働くなと口だけでいっても、すぐには改まるまい。ましてや、しゃべるなといったら、社会活動にならなくなってしまう。だから、臨床的処方としてトラブルにまきこまれて「しまった、しくじった」と思ったときの対処法を提案しよう。
 対処の仕方には二通りある。闘うか、謝るか。決断を先延ばしにして逃げてしまってはいけない。その場で決断する。その場で決着をつけちゃう。闘うときは一人じゃうまく闘えないから仲間にお願いする。謝るときは土下座だ。究極の謝罪だ。これ以上の謝罪はない。テレビで会社の役員が五人、六人そろって頭を下げる。あんなのは謝罪ではない。謝ったことにならない。
 もう一つの謝り方は本当のことをしゃべる。弁解しちゃいけない。「真実はこうです」とその場で伝える。本当のことをすぐに正直に全部しゃべって、相手を「そうか」という気持ちにさせる。そうすればストレートに謝罪が通る。「すみません」では謝ったことにならない。
 それなのに、世の中が弁解、言いわけに明け暮れるから、みんな怒って、「このやろう」と処罰社会、リンチムードになってしまう。それが子どもの世界に反映して起きているのが「いじめ」だ。子どものいじめの原因は大人の社会にあるといってもよい。
 だから、大人社会だけでなく子どものためにも、大人の言訳人生、弁解社会から改めないといけない。