横浜・明日への提言(44) ヨコハマの存在感を示そう
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
政治は給油問題で揺れてきたが、それについて思うことがある。ショー・ザ・フラッグということだ。インド洋での対テロ活動を支援する海自の補給艦が引き揚げて、国際的に見える日本の旗がなくなってしまった。対テロすなわち日本のシーレーンに出没する海賊退治も含まれるのだから、石油依存度の高い日本にとっては他国の火事場ではない。自国のタンカー航行の安全を守る場である。2001年10月、対テロ特別措置法が成立したとき、最初から「主体的寄与」といえばよかったのに、アメリカ主導の対テロ活動に協力するようなニュアンスで大義名分を唱えてしまった。
国際貢献にショー・ザ・フラッグが必要なことは、湾岸戦争のとき130億ドルも出しておきながらクウェート政府の感謝広告に日本の名がなかったという苦い教訓が教えている。今度はそのトラウマが日本国民の理解を妨げた。
アメリカのためじゃない、どこのためでもない、日本のタンカーを守りに行く。日本のタンカーの航行の安全を確保するため国際テロに対して専守防衛で自衛艦を出そう。それぐらいのことをいってもよかった。憲法の制約から自衛艦は無理だろうが必要なんだ、いや駄目だといった具合に議論が熱く盛り上がって、国民に対する「ショー・ザ・フラッグ」になり、給油支援活動は日本の当然の義務という理解と認識が国民に行き渡り、補給艦が引き揚げるような事態にはならなかったろう。
だから、私は今度の失態は憲法問題関係なし、国連決議関係なし、政治家のアンテナと説明のダブル・ミスマッチの問題と見ている。国民に対するショー・ザ・フラッグがなってなかった。そのために国際貢献の場における唯一のショー・ザ・フラッグまでおかしな結果になってしまった。
わかりやすくいうと基本はこういうことだ。
新年会の時期だが、どこかで宴会を開こうという場合、みんなと一緒に行く。「いや、俺は都合が」などといわないで、みんなが行くときは、たとえ隅っこでもいいから、そこにいるのが大切。その積み重ねが「おお、あいつ、いつもいるな」という存在感につながっていく。
日本は大国でなくてもいいから、国情に合わせた付き合い方を知っているという評価が得られるようにする。国連の常任理事国になるより、ある意味ではこっちのほうがずっと大事かもしれない。新年に当たってふとそんなことを思った。
横浜開港150年記念イベントについても同じことがいえる。みんなが「わあわあ」いってるのだから、たとえ隅っこでもいいから何らかのかたちで参加する。そのとき、そこに存在する。それがささやかな地元貢献になる。地元貢献の小さな積み重ねが大きなウェーブになって、「横浜はすごいじゃないか」という存在感につながっていく。
国はショー・ザ・フラッグを間違えたが、来年、開港150年を迎える横浜はショー・ザ・フラッグをしっかりやっていきたいものだ。折角のチャンスを遊ばせることはない。