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2008年6月30日 (月)

横浜・明日への提言(54) 鐘の響く範囲で暮らそう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 最早、批判の時代は終わった、どうすればよくなるのか。提言する段階だという認識で今日まで書きつづけてきたのだが、振り返ってみて自分で実行できる自分の提言がどれだけあるだろうか、あらためて考えてみると自信のあるものは意外に少ない。
 自分の頭のハエを追えない人間が他人のハエを追えるか。
 確かにその通りである。
 ミレーの晩鐘という絵画を知らない人はいないだろう。自分の役割を果たし終えて職場である野良で感謝の祈りを捧げる。タイトルは「晩鐘」だが、教会も鐘も描かれていない。しかし、間違いなく鐘の音が聞こえるような絵画だ。そう思って私ははっとした。
 鐘の響く範囲で暮らす。
 今の日本は嫌なことばかり聞こえ、目にして、知らされるといっても、グローバリゼーションのコスト主義で格差社会が満遍なく行き渡った世界の中では、まだまだ水槽の中で熱帯魚みたいにぬくぬくと生きていられる。世界同時格差の兆候は全体から見れば比率が小さい。だから、大事なのはまず今の暮らしを守り抜くことだ。
 それを妨げ、あらぬ怒りや不平不満を国民に駆り立てるのがトリックスターなのだから、おかしな方向にたぎらないようにするためにも精神的規範を自分なりに持つことだ。兎に角、今の自分と生活を徹底して守り抜く。利己主義ではなく自分を健全に保つことが病んだ世の中を治す唯一の治療法だと確信して・・・・。
 晩鐘を聴いて祈りを捧げる農民の夫婦を眺めながら、嫌なことばかり多くなった今のような世の中を生きぬく極意はそれではないかと私は教えられた気持ちになった。  
 国民の所得水準をGDPを基準に表すことがやたらに行われるが、要するに平均値だから目安の一つではあるが、現実とかけ離れていることが多い。たとえば中国国民の平均所得は平均値帯に分布するのはかぎりなくゼロに近く、実態は平均値よりはるかに低いか高いかのどちらかである。日本人の所得は平均値近辺に大多数が分布している。こういう場合、平均値で比較することに意味はない。 
 視聴者をシングルイシュー的なまわりが見えない状態に陥れるのがトリックスターのねらいだともいえるから、さきほどの例からもわかるようにケースバイケースで物差を使い分けるセンスを持つことが大切だ。
 自分を見失わず、今の暮らしを守り、世の中の現象をしっかり見抜く物差しを持つ。これができたら鬼に金棒だ。最近、とみにその大切さを痛感する。
 なぜ、そういう認識が国民共有の認識として育たないのか。こうした切り口から身のまわりを、もう一度、見つめ直してはどうだろうか。
 ミレーの「晩鐘」に感銘を受けながら、そんなことも思った。

2008年6月14日 (土)

横浜・明日への提言(53) たぎる根本、精神的規範を持とう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 下克上の戦国時代につづく江戸時代の大きなテーマは身分秩序の維持だった。そのためには戦争をタブー視しながら、なおかつ軍隊を維持しなければならなかった。今の日本とよく似ている。しかし、大きく異なる点がいくつもある。
 最大の相違点は刀を武士の魂として尊び、ひとたび抜くからにはそれなりの作法に則ることが厳しく要求されたことだ。抜くには正当な理由がなければならないし、相手に斬りつけるからには一刀のもとに勝負を決しなければならない。作法に反したり、見苦しい振る舞いがあったときには切腹を命ぜられた。作法の基になったのが中国の儒学を取り入れた朱子学で、そういう確固たる精神的規範があった。
 私の考えだと政治家は今日の侍のはずだが、有事のときにも保身が可能なように憲法を改正しようという動きがある。改正の是非うんぬんということとは別に、これほど侍にあるまじき振る舞いはない。
 改憲の理由が軽すぎるのだ。自分の都合に憲法を合わせるのではなく、こうと信じることを断行したうえで、憲法に照らして身を処するのが政治家本来の規範ではないのか。法律で身をよろい、いついかなるときでも法律条文に守られていたい。私にいわせると、そんなのは政治家ではない。
 徳川300年の治世の大詰めにペリーが艦隊を率いて日本に開国を迫ってきた。刀を抜くべきか否か。日本は議論に沸き、たぎった。
 たぎる
 幸田露伴が始めて使ったこの言葉が私は好きだ。たぎるということは国民全体が燃えたということ。財政赤字を減らすために「構造改革だ、民営化だ」というような後ろ向きのことでたぎったのとはわけが違う。 
 そこへいくと田中角栄元首相は日本という国のために捨て身で政策を実行したしっかりしたリーダーだった。捨て身のリーダーのわかりやすくて深い言葉は実に味があった。
「一軒の家で羊羹を貰った。子どもが五人いる。母親が羊羹を切って子どもに配る。そのとき物差しで計るか。目見当で五等分して、いちばん小さい子どもから取らせる。これが政治だ」
 私はこの話も好きだ。前回述べたトリックスターなどとは土台にある精神的規範からして違う。
 こういう政治で国民がたぎる。
 どうしたら、そういう日本になるのか。
 まず自分が人間味のある精神的規範を身につけることだ。だから、GNO、すなわち、義理・人情・恩返し。理屈抜きで身のまわりで身につけた精神的規範に則って振舞うことだ。世の中のことはそのうえで考えればよい。

2008年5月31日 (土)

横浜・明日への提言(52) アンチ・トリックスター

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 人間には潜在意識がある。だれもがそれを持っている。持っているけれども潜在して表面には出ない。眠っている意識だ。ところが、トリックスターといわれ、潜在意識を目覚めさせ、顕在する意識のうねりにする役割を果たすものがある。具体的にいえば、電車の中吊り広告やテレビのワイドショーなどでだれもが考えなかったことをいきなりポーンと提示されて、「おやおや」と思っている間に、みんなが興味を掻き立てられてしまうことだ。
 問題はトリックスターが常に仕掛け役で善、仕掛けられる側は悪という図式になることだ。たとえばテレビのワイドショーを観ていて「そうだ、そうだ」という視聴者も善、それも検証抜きの一方的な思い込み。仕掛けられた側は泣き寝入りも同然の立場に置かれてしまう。
 テレビや大衆誌のない時代にはあり得なかった現象だ。新しい現象には研究と検証が必要なはずなのだが、それらが間に合わないまま広く受け容れられてしまい、今やそれどころか高度情報化社会だ。
 機能ばかり高度化して情報の質的内容が伴わない。その傾向に視聴率という量的な物差しの競争が輪をかけた。数字を上げるには視聴者の潜在意識を刺激するのが手っ取り早い。それは何だ。問答無用の主観的正義感、安手のお涙頂戴、ヒーロー願望の裏返しの社会的エリートバッシングなどなど、視聴者の潜在意識を刺激しつづければよい。事実に裏付けられた客観的な意見をいうコメンテーターに代えて、トリックスター向きのコメンテーターを起用していけばよい。かくして、情報の質的検証はますます疎かになっていく。こうした悪循環の中で、人間が病気にかかるように社会も病んでいく。このような社会の病気を断つにはどうすればよいのか。
 一つはテレビのない時代とテレビが普及した時代の両方を生きた世代が、それぞれの社会現象の質的検証を比較論的にきちんとまとめ、世の中に公表することだ。なぜかその作業がまだなされていない。もちろん、私はそのつもりになっているが、それが70歳代の人間の使命だろう。
 もう一つは情報の取捨選択だが、比較論的な質的検証が行われなければ呼びかけても聞き入れられないだろうから、当面、アンチ・トリックスター対策は一つしか考えられない、ということにしておく。そういう意味で70代以上の世代の経験則は貴重だ。もっともっと注目されてよい。
 そもそも、横浜が開港した百五十年前、軍事的に核兵器の時代、航空機で世界が身近になり、インターネットで瞬時に情報が世界を駆けまわるなどという世の中をだれが想像したろうか。人類上、千年の歴史のゆったりした歩みをはるかにしのぐ最近百五十年の文明科学の急激な進歩に見合う哲学的・道徳的規範がきちんと用意されてきたかどうか。こうした歴史的な視点からの検証も必要だ。

2008年5月14日 (水)

横浜・明日への提言(51) マニュアル奴隷から脱却しよう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)


 逆説的ないい方をあえてすると、中国製冷凍ギョーザの農薬混入騒動ほど日本人の食生活によい意味で警鐘を鳴らしてくれた事件はなかったように思う。  
 騒ぎが起きる前は、中国製の冷凍食品が日本の家庭の隅々に行き渡り、おかあさん方がそれをレンジで加熱するだけで子どもの弁当をつくる。スーパーやコンビニで買ってきたものをそのまま子どもに持たせる。どっちにしても子どもに持たせる食べ物を自分は口に入れたことがない。こういう構図がすっかり出来上がってしまっていた。
 親は安全だけど子はどうなるかわからない。そんな格好になっていようとは、これまでだれも気づかなかった。
 むかしは親が食べて余ったものを子どもに持たせた。
「これ、おいしいから、持っていって食べな」
 安全のためという意識はなかったが、子どもより先に親が食べていたから、結果として何よりもの安全対策になった。
 むかしのことを持ち出すと「古い」という声が返ってきそうだが、そこに錯覚がある。最近二百年の間の科学文明の進歩は実にめざましい。電気製品から身のまわりの品物に至るまですべてコンピュータが人間の判断を代行し、肝腎の人間は金を払って買った製品をマニュアルに従って操作するだけ。携帯電話に夢中の子どもの姿を「エテ公が携帯を操作している」と酷評した知人がいる。表現は適切ではないが、ある意味、当たらずといえども遠からずと感じた。
 さて、ところで、科学文明の恩恵を享受するのは決して悪いことではない。問題は知恵がマニュアルの域を出なくなることだ。さらにいうなら、マニュアルは必要なもので、決してばかにしたものではない。では、なぜ、奥歯に物が挟まったようないい方をするのかというと、ディズニーという会社のマニュアル教育を引き合いに出すとわかりやすい。
 ディズニー社は、新人教育の際、彼らの頭にマニュアルをしっかり叩き込み、その上で次のように釘を刺すという。
「マニュアルはあくまでも参考です。あとは現場であなたが考え、もっとよい答えを出してください」
 消費者に対しても同じことがいえる。原産地表示も、消費期限も、賞味期限も、必要な表示、大切な情報である。しかし、表示頼み、情報だけが判断の頼りというのでは、折角、持ち前の味覚、嗅覚などの食感が泣く。         
 自分で判断し判定できるようになったうえでの表示でないと、与えられた情報を頭から信じるだけのシチュエーションはどこまでいっても変わらず、消費者までだれかさんに「エテ公」と呼ばれかねない。このブログの読者だけでも、せめて、本来の食感を磨き、マニュアルの奴隷みたいな生き方におさらばしたいものである。

2008年4月30日 (水)

横浜・明日への提言(50) 先鞭をつける努力を

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 読者、視聴者へのおもてなしにつづいて思うのは、批判をしたら必ずどうしたら改まるか、その処方箋を示すことが肝要なことだと考える。           
 戦後、学校で民主主義をどのように教えたか、昭和ヒトケタ世代の私は知るよしもないが、言論のルールに則った自由というのが本当の「言論の自由」だと理解している。そのルールを決める立場に私はいないわけであるが、「そろそろお決めになってはいかがでしょうか」というのが私の提言である。
 過去にそのヒントがある。
 伝統ある雑誌の廃刊、休刊がつづく今日、『文芸春秋』が多くの読者を保っているのは、創業者菊池寛が座談会を記事にするなど常に先鞭をつける試みをしてきた伝統が息づいているからではないか。
 単行本と違って、月刊誌、週刊誌は次がある。従って、次につながる何かがないと飽きられてしまう。その何かとは何か。その何かを記事の内容にばかり求めているとマンネリに陥るから、先見の明に富む菊池寛は方法論的なノウハウにまで踏み込み、常に新機軸を打ち出す努力を怠らなかった。
 高度情報化社会といわれて久しい今日のマスメディアの関係者は、その点、どうだろうか。読者、視聴者に最も刺激を与えやすい部分、すなわち人間が本質的に持つ潜在的な劣情性、残虐性にばかり目を向けて、手っ取り早く商売につなげて、兎に角、売れればいいという傾向にありはしないか。
 こんな方針で張り切られたら最悪である。
 政治も似たようなものだ。いつの間にか選挙に当選することが目的化して、世論に迎合した意見しか聞こえなくなった。選ぶ側から言わせれば「だったら、議会よ眠れ」である。おかしなことで張り切られるより、議席で居眠りしていてくれたほうが実害が少なくてすむ。
 私が政治にもジャーナリズムにも絶望しているのは手段が先に立って目的が置き去りにされているからである。しからば、どうすれば改善が行われ、気持ちに光明が差すようになるか。
 ここで再び冒頭の提言に戻る。政治もジャーナリズムもルールのない場外乱闘劇に明け暮れているようなものだ。だから、早急にルールを決め、「こうしろ」「こうしていかなければ」と行く先を示してやる必要がある。
 それをやれるのはだれか。  
 菊池寛のように識見と先見性を持ち先鞭をつける気概を持つ政治家とジャーナリストである。そういうリーダーがたった一人でも出れば違ってくる。そして大声で叫び、ゼスチュアたっぷりに、まずわれわれをうならせ、夢中にさせてもらいたい。

2008年4月14日 (月)

横浜・明日への提言(49) 読者、視聴者へのおもてなし

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 

 編集者に強く勧められて2月に『波止場談義』という本を出した。8年前に神奈川新聞「辛口時評」欄に17回連載した原稿を一冊にまとめただけだが、あらためて読み返しながら「こんなことを書いたのか」と感慨を新たにすると同時に愕然とした。書いたことがそっくり今の世の中にも当て嵌まるからである。つまり、よい方向には何も変わらないで悪くなる一方、これはどういうことなのか。
 前回、わかったような顔をして「仕方ない」の心得を説き、まだ舌の根も乾いていないのだが、事故、事件、スキャンダルの報道に偏ったマスメディアの体質を思い、ましてや政治の問題には触れるのも嫌だという感じになると「仕方ない」ではすまない気になってきた。いい加減にしろと大声で怒鳴りたい気持ちである。
 その一方で、「だが、まてよ」と自制する。
 言葉はどういうためにあるかといえば人を喜ばせるためにある。読者に嫌な思いをさせるものではない。今の私が言葉で時評をつづったら批判しか書けないと思う。
「波止場談義の続きを是非とも書いてください」
 編集者は強く勧めるが、私は答えた。      
「こういうときは黙っているべきだ。だから当分無理です」
 それが読者に対する「もてなす心」だと思う。
 私が過去に書いた文章を「波止場談義」にまとめたのは思い出をかたちにしたいからでもあるが、辛口時評を書いた頃はまだ世の中に対する期待があり、政治やマスメディアの世界にもこういう人たちがいるからにはという望みがあった。読者が嫌な思いを抱くことなど、毛ほども思わずに書いたものだし、だから本にすることができた。
 だが、これからは違うぞ。
 以上が私の偽らざる本心である。
 たまたま個人的な著書のことになったが、FMヨコハマの場合も同じである。リスナーが何を望むか、どうしたら一番確かでよい「おもてなし」になるか、よりよき番組づくりのために常に感覚を磨く努力をしてきたつもりである。  
 振り返ってみて、昨年の亀田問題、朝青龍騒動について、私はわざと言及を控えてきたが、いずれもテレビがらみである。厳しい批判を浴びて幹部が首を揃えて謝罪、これも嫌になるほど見飽きた光景だ。儀式としては立派だが、結局、一過性で終わってしまう。反省した結果、かくかくしかじか、こういうふうによくなったという類の報告を今もって一度も見聞きしたことがない。
 亀田問題、朝青龍騒動について、けしからんじゃないか、しっかりしろだのいろいろいわれたわけだが、私はマスメディア側に読者、視聴者への「もてなし」が心得にないのが一番の原因だと思う。むかしはちゃんとそれがあった。だから改革などという大袈裟なパフォーマンスは必要なかった。常日頃、ちょっとした心得を思い出すだけでよかったのだが。

2008年3月31日 (月)

横浜・明日への提言(48) 兎に角、任せよう。兎に角、仕方ない。

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)


 去年の暮れに反省したことで個人的なことなのだが、今年の心がけとしてもよさそうだと思い、また皆さんの参考になるかもしれないと考えて、密かに胸にあたためてきたことがある。
 これまで、私は自分でも数え切れないであろうほどの公職、団体の長をおおせつかってきた。太鼓は鳴るから人様が叩きにきてくれる、鳴るうちが華、「鳴るときの太鼓」でいる間は頼まれたら断るなという親父のいいつけに従ってきたからだ。けれども、いま七十七歳、ちょっと待てよ、これまではよいとして、これからは思慮が少したりないのではないかとふと反省した。
 中国宋代の儒学者朱熹(朱子)の言葉が日本の江戸時代に朱子学として蘇って、侍の教科書になった。その朱熹の言葉の一つに平たくいうと「人を用いるときは辞めることを知る者にやらせろ」というのがある。会社であろうと、ボランティアであろうと、仕事は世の中からお預かりしたものだから自分のものではない。いずれは返すときがくるわけだが、放り出すわけにはいかない。預かった以上はしっかりした人に渡さないといけない。私もそろそろお返しをすることを考えないといけない。お返しする相手を探さないといけない。人間は辞め時が大事だ。そういう潮時を心得た人間に任せろという意味につながっていく。
 去年の暮れにそんなことを考えた。
 ところが、考えるのは簡単だけれども、任せる相手を探すのがむずかしい。引き受け手はいるが、辞めどきを知るかどうか自信がもてない。これではいつまで経ってもバトンタッチできない。
 そこで、また考えた。たとえば新幹線に乗ったとき、子連れの親と同じ車両に居合わせたとして、幼い子どもたちがきゃあきゃあ騒いでうるさくて仕方ない。親が知らん顔でいるのに他人のこっちがいっても静かになるわけがない。どこでどう間違ってこんな世の中になったのかと考えても何の解決にもならないし、わからない相手に「ここは公共の場」だの、「かくあらねばならぬ」を説いても不愉快になるだけ。
「仕方ない」
 これが私の結論。
 よくよく考えてみると、世の中には自然災害のように「仕方ない」ことがたくさんある。仕方ないと受けとめないといつまでも気持ちに引っかかって先へ進めなくなってしまう。だから、諦めの「仕方ない」ではなくて、前向きの「仕方ない」。今年はこれでいこうと決めた。
 すると、これまで気持ちに引っかかるものがあって踏み切れなかったことも、あっさり、すっきり決断がついてしまう。
 兎に角、任せよう。兎に角、仕方ない。実にこれはいい。
 あえて、みなさんにもお勧めする次第である。

2008年3月14日 (金)

横浜・明日への提言(47) 日本の再出発点に戻ろう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)


 日本の株式市場の凋落が新年早々から取り沙汰されてきた。現在も日経平均株価は低落したままである。だれがいうのか、原因は日本の企業に魅力が乏しいからだという。ちょっと待てよといいたいところだ。前回述べたように投機マネーが原油市場に流れた結果で、彼らはそこで甘い汁を吸い尽くしたら、一転、舞い戻って日本株を買い荒らし、好機とばかりにM&Aの一大攻勢を仕掛けるのは目に見えている。そのとき、「日本の企業は魅力がない」といった観測筋は「日本の企業はかなり魅力的だ」とコメントするに違いない。
 冗談じゃない。鬼のいぬ間に洗濯ならぬ規制強化、やるなら今だ。
 国際金融資本も一応は株主だ。しかし、金にものをいわせて株式を買占め、M&Aで企業を支配し、利益を得たら売り払う。法律上は株主の体裁を整えているが、これで株主といえるのか。
 ひところ、「会社にとって株主が大事か、従業員が大事か」という類のテーマのシンポジウムが盛んに開かれた。主催者のねらいは、もちろん、「株主優先」「株主第一主義」のプロパガンダである。
 会社の命運を左右するのは経営だ。高度の技術を持つ従業員を育て、成果としての製品の付加価値を高め、株主はその過程に金を出して参加するだけ。従業員は人生と家族の暮らしを会社に託し、それらをひっくるめて会社と運命を共にする。会社は金がなければ現状維持に甘んじればよい。しかし、従業員がいなくなったら会社は成り立たない。
 会社が支払う義務を負うのは従業員の給料とボーナス、国に治める税金、株主への配当の三つだが、最優先は赤字でも放棄できない従業員に対する義務だ。あとの二つは利益が出て初めて生まれる義務だから、シンポジウムのテーマは最初から自明の答えを問うようなものでナンセンスの極みというほかない。
 会社の値打ちを時価総額で判断するのも実体にそぐわない。前記のシンポジウムのテーマは株式市場からしか会社を見ていない。
 会社にとって本当の株主とは?
 これこそわれわれに突きつけられた本来のテーマだろう。
 ところで、宮沢内閣のとき日本は経済大国として絶頂期にあった。
アメリカは今の大統領の父親のブッシュ政権で財政赤字と貿易赤字という「双子の赤字」を抱えて青息吐息だった。確かな筋から聞くところによると、ときのブッシュ政権が日本叩きの奥の手として編み出したのが「日米構造協議」で、以来、日本政府はアメリカの注文に忠実に従って「負の構造改革」に突っ走ったのだという。結果としてアメリカは景気を回復させ、日本は沈没の一途をたどったというのがどうやら真相らしい。だとするならば、今日の凋落は政治力学で長い間ねじ曲げられた結果といえるから、日本の企業がそれ以前までやってきたこと、考え方に間違いはなかったわけである。したがって、日本の再出発は何も迷うことはない、日米構造協議前にもどすことである。
 今の日本、とりわけ経営者には、その見極めが問われているのではないか。

2008年2月29日 (金)

横浜・明日への提言(46) 大航海時代の再来に対処しよう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 コロンブスがアメリカ大陸を発見し、マゼランがマゼラン海峡を発見して船で世界一周を成し遂げ、海運の時代の幕開けを演出した時代を大航海時代と呼ぶ。大洋に隔てられてきた世界の国々が初めて一つにつながった結果、船を持つ者が富を手に入れ、海軍力を持つ国が海を支配し覇権を握る時代になった。ただし、あの時代、未知の土地を発見するには冒険が伴い、生死を託すロマンの香りが漂っていた。
 はるかに時が流れ、今度はインターネットという情報ネットワークの端末機が世界の隅々に張り巡らされた結果、パソコンのキーボードを操作するだけで世界中のどこからでも最新情報を入手できるという新手の大航海時代が到来した。
 かつての大航海時代は世界中の物を買い占めるほどの金を持ったとしても、冒険を伴う航海をしないで富を手に入れることは不可能だった。
 ところが、新手の大航海時代は金さえあれば相手に姿を見られないで支配し、世界を牛耳ることができる。人類がほんの一握りの人間が持つ金に支配される時代になったわけだ。
 それだけならよいとか悪いとかいう段階ではないのだが、市場原理だのグローバリゼーションなど世界公認のウイルスを蔓延させるとなると大問題である。
 世界の資本主義はアダム・スミスが唱えた需要と供給のバランスを大原則としてダイナミズムを発揮してきたのだが、投機マネー、オイルマネーのような国際金融資本が世界の市場を支配するようになってから怪しくなった。妖怪資本はいつどこに恣意的に現れるかわからないから対処がむずかしい。
 今、原油市場に何が起きているか。かつて原油価格はメジャー(国際石油資本)と呼ばれる欧米系の大手石油会社が原油買い取り価格を決定して産油国に従わせた。油田の開発が地球規模で進み、供給がだぶついて価格が下がると、メジャーに対抗してOPEC(石油輸出国機構)が価格決定権を奪い取った。しかし、昨今の1バレル100ドルといった狂乱価格は需給などお構いなしの利ざやかせぎの投機マネーの流入が招いた結果で、メジャーやOPECの価格決定力を否定するものだ。つまり、原油市場は機能不全に陥っているわけで、「もはや資本主義の時代ではない」というほかない現象である。
 実体のある需給バランスを大原則とする健全な資本主義を取り戻すにはどうしたらよいか。ベニスの商人化した国際金融資本を規制する以外に方策はないのではないか。それこそ政治の役割なのだが、われわれとしても政治家を後押しするために毅然とした規制を支持する姿勢を鮮明に打ち出し、声高に主張すべきときがきているのではないか。

2008年2月14日 (木)

横浜・明日への提言(45) 安全は金儲け、安全対策に金をかけよう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 身近で起こった労働災害を考えるとき、遺族の嘆き悲しみを思うと「安全」のありがたさをつくづく思い知らされる。すべてが金額に置き換えて考えられる世の中だから、それに合わせて、私は好きな言葉ではないが「安全は金儲けだ」といいつづけてきた。            
 グローバリゼーションだ、国際競争だといい、日本の経営者はコストの削減ばかり考えるが、「安全だけはコスト削減などあり得ない」という強烈なメッセージを放ったのが、マンション建設業界の強度偽装問題だった。建築構造の強度計算を偽ってコストの削減、工期の短縮を図ったつもりが露見してしまったために倒産につながってしまった建設会社もある。建て直し、改修に費やす金額は削減したはずのコストなど比較にもならない巨額なものになった。強度偽装マンションの購入者、入居者は我が家に住み続けるためローンを追加し多額の借金を背負う理不尽な被害を受けた。
 だれとはいわないが、頭のネジがどこか狂っているのは確かだ。
どこが狂っているのかというと、安全意識というピンが頭から脱落しているのだ。日本は平和だから安全が空気みたいに受けとられて、大きな事故が起きないと気がつかない。ここに潜在的な原因がある。
 港湾業界には建設業界ともども一般派遣労働者が認められないということは危険度が高いと認識されているわけである。しかし、全国の港湾産業で労働災害による死亡者は毎年およそ10人ほどである。建設業界は500人平均。業界の規模の違いがあるから単純に比較できないが、極めて少ないといえる。だが、港湾業界はこれに満足していない。
 あくまでも目標はゼロ。一件でも発生をみたら評価はゼロ。だから、安全に金をかける。労働力への依存度が高い業界だから怪我人が出れば痛い欠員になるし、ひとたび発生したからにはそれを惜しむものではないが、休業補償、見舞金など、大きな出費を伴う。まして、死亡事故となったら大事である。それぐらいなら安全に金をかけよう。常日頃からそのように申し合わせてきた結果である。それでもゼロにならない。
 仮にゼロになったとしたら、どうだろうか。平和と安全が料金タダの空気みたいに感じ取っている世間一般の感覚からして、うっかりすると安全対策に投じた金が無駄になっているように錯覚するのではないかと思う。兎に角、何かが起きないと必要経費という認識に至らない。自分でいって好きな言葉ではないというのもおかしいかもしれないが、「安全は金儲け」の意味と意義はそういうことである。
 開港150年記念イベントの計画が具体化しつつあるが、目に見えない「安全は金儲け、安全対策に金をかけよう」というメンタルな企業姿勢をしっかり構築し、ヨコハマから安全理念を全国に提唱し徹底させるのも一つの試みではないか。