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2008年4月14日 (月)

横浜・明日への提言(49) 読者、視聴者へのおもてなし

49

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 

 編集者に強く勧められて2月に『波止場談義』という本を出した。8年前に神奈川新聞「辛口時評」欄に17回連載した原稿を一冊にまとめただけだが、あらためて読み返しながら「こんなことを書いたのか」と感慨を新たにすると同時に愕然とした。書いたことがそっくり今の世の中にも当て嵌まるからである。つまり、よい方向には何も変わらないで悪くなる一方、これはどういうことなのか。
 前回、わかったような顔をして「仕方ない」の心得を説き、まだ舌の根も乾いていないのだが、事故、事件、スキャンダルの報道に偏ったマスメディアの体質を思い、ましてや政治の問題には触れるのも嫌だという感じになると「仕方ない」ではすまない気になってきた。いい加減にしろと大声で怒鳴りたい気持ちである。
 その一方で、「だが、まてよ」と自制する。
 言葉はどういうためにあるかといえば人を喜ばせるためにある。読者に嫌な思いをさせるものではない。今の私が言葉で時評をつづったら批判しか書けないと思う。
「波止場談義の続きを是非とも書いてください」
 編集者は強く勧めるが、私は答えた。      
「こういうときは黙っているべきだ。だから当分無理です」
 それが読者に対する「もてなす心」だと思う。
 私が過去に書いた文章を「波止場談義」にまとめたのは思い出をかたちにしたいからでもあるが、辛口時評を書いた頃はまだ世の中に対する期待があり、政治やマスメディアの世界にもこういう人たちがいるからにはという望みがあった。読者が嫌な思いを抱くことなど、毛ほども思わずに書いたものだし、だから本にすることができた。
 だが、これからは違うぞ。
 以上が私の偽らざる本心である。
 たまたま個人的な著書のことになったが、FMヨコハマの場合も同じである。リスナーが何を望むか、どうしたら一番確かでよい「おもてなし」になるか、よりよき番組づくりのために常に感覚を磨く努力をしてきたつもりである。  
 振り返ってみて、昨年の亀田問題、朝青龍騒動について、私はわざと言及を控えてきたが、いずれもテレビがらみである。厳しい批判を浴びて幹部が首を揃えて謝罪、これも嫌になるほど見飽きた光景だ。儀式としては立派だが、結局、一過性で終わってしまう。反省した結果、かくかくしかじか、こういうふうによくなったという類の報告を今もって一度も見聞きしたことがない。
 亀田問題、朝青龍騒動について、けしからんじゃないか、しっかりしろだのいろいろいわれたわけだが、私はマスメディア側に読者、視聴者への「もてなし」が心得にないのが一番の原因だと思う。むかしはちゃんとそれがあった。だから改革などという大袈裟なパフォーマンスは必要なかった。常日頃、ちょっとした心得を思い出すだけでよかったのだが。