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2008年12月14日 (日)

横浜・明日への提言(64)世界は護送船団方式に向かう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)   

 年の暮れを迎えて例年なら来年のことばかり考えて過ぎ去ったことなどあまり思い出すことはないのだが、ちょうど一年前にこのブログで述べた所感を今年ほど鮮やかに思い出したことはない。
 さて、ところで、小さな政府が叫ばれるときは大きな政府を考える、規制緩和が主流のときは規制強化の観点から世の中の現象を見つめ直すといった具合に、私は常に反対の概念を手当てすることを持論のようにしている。当時から世界の趨勢はサブプライムローン問題が大きな懸念材料として取り沙汰されていたものの、弱肉強食の競争原理一色だったから、私は持論に従って「ベニスの商人」的競争原理に対抗し、GNO(義理・人情・恩返し)精神を高く掲げて「ミナト・ヨコハマは護送船団方式でいく」と宣言した。
 また、金融は実体経済を活性化させる縁の下の力持ちに徹してこそ実業たり得るし、マネーゲームに走ったら株券などただの紙切れにすぎなくなってしまうとあらゆる機会に主張してきた。
 今年前半までは「護送船団方式なんかもう骨董品」という見方をして私の宣言を時代錯誤と受け取る向きが多かったと思う。ところが、9月にアメリカの証券大手リーマン・ブラザーズが破綻、同国の金融危機が世界に飛び火して、百年に一度の「世界同時恐慌」とまでいわれる一大波乱を招いた。
 詳しい説明は省くが、11月半ば、世界的金融危機の対策を話し合うために先進国に新興国を加えた20の国と地域の首脳がワシントンに集まり、金融サミットを開催したばかりである。発表された宣言骨子の一つに「金融と金融機関のすべてを規制の対象とする」(要約)という内容が含まれていた。
 先進国に新興国を加えた20の国と地域の首脳が共通のテーマで協調し、助け合う目的で一堂に会すること自体が「護送船団方式」への回帰である。競争一辺倒は人の心を荒廃させ世の中を殺伐にしてしまったが、協力・協調の対策づくりが進むにつれてGNO精神が根づき、新しい秩序への一ページが開かれるチャンスの芽が育つだろう。
 すなわち、市場原理一辺倒の時代にはまったく不可能に思われた世界再生のチャンスが、百年に一度のピンチのお陰で目の前にあるわけで、それを思えば不景気に立ち向かう気力もわいてくる。
 また、日本がリーダーシップを発揮するとしたら不良債権処理のノウハウ伝授などではなく、かつての日本の「護送船団方式いかにありしか」を世界に向かって説くことだ。どのように説くかは来る新年の年頭所感で詳しく述べることにして、「常に反対の概念を手当てせよ」という持論が正しかったことが確かめられたことを報告して提言の一年の締めくくりとしたい。
 みなさん、よいお年を。

2008年11月30日 (日)

横浜・明日への提言(63)白と黒の間にはグレーがある

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)   

 世論調査の専門家にいわせると「世論などはない」そうである。では、世論調査の結果は何なのかというと、「そのときどきの考え方の量的傾向であって、善悪、良否の質的判断を意味するわけではない」のだそうだ。だとすると、われわれは世論調査の結果を勘違いして理解し、間違って使っているわけである。
 しかし、今日、世論らしきものをマスコミがつくっているのも事実である。その傾向は昔からあったという。熱狂的なブームを呼び起こした小泉人気は「小泉劇場型政治」のキャッチフレーズによるマスコミの煽動の結果で、現在、マスコミは沈痛な思いで反省しているところだ。第三者の批判ではなく、マスコミ自身の自発的反省であるということに幾分かの救いがある。
 ただし、日本人、日本の国民が負った傷は深い。
 かつては世論調査を行なうと「はい」「いいえ」をしのぐ「どちらともいえない」という中間回答が4割、6割を占めたそうである。ところが、小泉劇場型政治の熱狂的な報道以来、本丸と抵抗勢力に色分けされ、こっちが白で向こうは黒という論調が紙面とテレビ画面を占拠した。マスコミの読者、視聴者である日本人、日本国民もいつの間にか「白か黒か」で物事を判断するようになった。日本人の国民性はもともと物事を多岐の角度から考えるため「どちらともいえない」という含みを持たせた回答を選択するところに個性があった。探る側からすると曖昧ながらかえってそこにいい知れぬ深みがあったという。それが、「どちらともいえない」の回答が減って、「はい」「いいえ」の回答が増えて、結果がだれにもわかりやすくなった。こんなことは世論調査ではかつてなかった一大変事なのである。
 つまるところ、日本人が変質したということだ。
 この反省が今回の提言である。
どちらともいえないなどと聞くと、煮え切らない、はっきりした意見や考えを持たないと勘違いされてしまいそうだが、事実は正反対である。どう考えても「グレー」にしか見えないから黒と決め付けると行過ぎた感じになってしまうし、白と認めるのはためらわれる。これほど客観的であるがまま素直な物の見方はない。見てみぬふりというのも、白黒つけなければならないほどのことではなかろう、という包容力のある物の見方の反映であろう。このように「どちらともいえない」という中間回答には、曖昧に答えを濁すほかなかったのだという西洋的合理主義とは対岸に位置する惻隠の情が加味されている。たとえとして適切かどうかは別として、昔のヤクザは反社会的行為をするだけのならず者もいれば、任侠を尊び、義理人情に厚い立派な親分もいた。近年それを十羽一からげにして「暴力団」と呼ぶようになった途端、みんなまっ黒になってしまった。マスコミが白黒の物差しで記事を書くようになってから、世の中がどう変化したか、昔と今の世の中と日本人の違いを対比すれば答えは明白であろう。
 今の日本人が最も必要とするのは、自分に対して寛容であるように他者にも寛容に振る舞い、今、まさに下そうとする自分の判断に対して、「ちょっと待てよ」と吟味し直す心のゆとりと思考の幅であろう。

2008年11月14日 (金)

横浜・明日への提言(62)銭ゲバもどきの方針に決別しよう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)    

 
 大手出版社の看板になっていたような伝統があり名も知られた雑誌の休刊が相次いでいる。原因は何だろうか。雑誌だけの原因ではなく、広くマスコミを含めた編集方針の変化に原因がありそうだ。
 あらためて昨年の亀田問題を思う。亀田弟のアンフェアなボクシングが世間の顰蹙を買い、あたかも彼がヒーローであるかのような取り上げ方をしたTBSに批判の矢玉が浴びせられた。しかし、TBSのみに限らず、いずこのテレビ局も「視聴率が稼げればよい、銭になりさえすればよい」という編成方針が見え見えである。亀田問題という象徴的な現象でたまたまTBSだけが馬脚を現したにすぎない。
 亀田弟が強くもないのに朝から晩まで密着取材して面白おかしくヒーローに仕立ててつくられた偶像を電波に乗せて世間に垂れ流した。当日の試合は夜の8時からだったのに放送を7時から始めて「もうじき始まります」と視聴者を騙してテレビの前に1時間も余分に釘付けにしてしまった。いかにもあざとい商魂が透けて見えたからこそ新聞各紙が一斉に社説で非難の矢玉をあびせたのである。
 そうした新聞マスコミも政治家や官僚、企業のアラ探ししか念頭にないのかと錯覚しそうなくらい取材対象のマイナス面にだけ目が向いているのが現実だ。それを極端にしたのが週刊誌のバッシング報道である。火のないところに煙は立たないのは確かだろうが、だとしたても裏づけを取るどころか、扇情的に憶測を加え、事実を針小棒大にふくらませて読者の正義感を殊更に煽り立てるのはフェアではない。
 視聴率が稼げればそれでいいのか。
 販売部数が伸びればそれでいいのか。
 出版の世界のことはよくわからないが雑誌の休刊の根も同じだろうと思う。ランキング症候群といって書店で売れている書籍のみ買われる現象は読者がみずから読みたい本を選ぶことを放棄したことを意味する。
そして読者・視聴者の能力の低下が「売らんかな」の編集・編成方針にますます偏向を促し、悪循環のスパイラルにおちこんでいく。
 どうしたら元に戻るか、戻すことができるか。
 定期刊行物の週刊誌や月刊誌は季節とともにやってくる。いつも同じではない。今日は悪くても明日はよくなるかもしれない。そういう明るい明日を感じさせるような編集方針に戻すだけでよい。ただし、あざとい「売らんかな」の方針のままでいたら無理だ。売らんかなの編集方針を決然と捨て去り、今は売れなくても、よい記事をぶつけていくようにしなければ、到底、読んで震えがくる感動をもたらすような作品や記事は生まれてこないだろう。

2008年10月31日 (金)

横浜・明日への提言(61)衆参両院議会選挙区の世襲、是か非か

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
   
 中国宋の時代の周敦頤、程明道らに始まり朱熹(しゅき)に至って大成した儒学が朱子学である。徳川幕府が官学として広めたことから日本人の心に道徳として根付いた。その朱子学の教えに「みずから退くことを知る人に地位を与えろ」というのがある。権力の虜になって地位にしがみつくような人間は最初から地位に就かせるなということだ。事実、地位に連綿として居座るだけで害にしかならないような人間が多かった。だから、後進のために辞めどきを知る者を選べというわけである。
 ところが、昨今は、日本国総理大臣の職が二代にわたって放り出されてしまった。もちろん、退くことを知っているとはいいがたい辞め方である。権力の座に執着しないというより、もろくもあるし、無責任の謗りを免れない。どうしてこんなことがつづいて起きたのか。
 世襲議員が増えたためといえなくもないが、それが原因のすべてともいえないだろう。世襲のすべてを悪と決め付けてしまったら魔女狩り的な批判になってしまう。私の考えでは地方自治体の議員、県会や市会の議席は世襲でもよいと思っている。地域社会に奉仕するのが目的だからおじいちゃん、オヤジ、息子とつづく人間関係が逆にものをいう。
 だが、国政となると、地域とのしがらみを越えて大所高所から物事を見、考えて、国全体のために働いて貰わなければならないから、そうはいかない。国政の議員と地域の代表としての県会・市会議員の役割の違いを勘案して分けて考えないとおかしなことになってしまう。
 しからば、どうしたらよいか。
 イギリスのブレア前首相は「我が党は二世の候補による選挙区の世襲を認めない」と宣言して、二世候補がどうしても出馬するというときは親の地盤とは別の選挙区から立候補するように仕向けた。政党で二世の世襲を規制するわけだから法律にはしばられない。ブレアがやる気になったらやれたことだ。
 だから、法律で規制する必要はない。日本の政党の党首がその気になればすぐにやれるわけだが、自民党も民主党も二世議員がなっているから議題にもならない。
 もっともブレア方式のような選挙区世襲阻止を訴える声は日本にも以前からあった。結局、やるか、やらないかの違いである。この違いの差は実に大きい。ある意味では自治体の首長の三選禁止論議などよりはるかに切実で喫緊の課題ではないだろうか。
 ここに問題提起して提言とする次第である。

2008年10月14日 (火)

横浜・明日への提言(60) 子どもに便利を与えすぎるな

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 テレビが24時間家庭の個室に入り込んだ弊害については前回触れた通りである。テレビ世代の子どもの特徴は知識こそ豊富だが、思考回路が短絡で単純すぎるということだ。
 知識そのものに創造性がないことは自明である。想像力や空想力はあっても必要な知識が伴わなければ創造性が発揮されないことも事実である。問題はそうした一般論にはなく豊富な知識が生かされる資質が子どもたちに育っていないことにある。
 どうしてだろうか。
 今回取り上げるのは多機能携帯電話である。ただし、テレビそのものに問題があるわけではないように、多機能携帯電話自体が問題なのではなく、それを子どもたちに野放しに持たせ使わせることが大きな問題なのである。好奇心が旺盛で、おもしろいことが好きで、反面、物事の善悪の判定能力に乏しい子どもが、そのような高級オモチャを手にしたら、前後の見境なく夢中になって使うに違いない。ところが、子どもには使用料の支払い能力がない。携帯市場がGDPに占める割合は無視できないレベルといっても、子ども関連の比率は実需ではないからあまり意味がない。あるのはネットイジメや出会い系サイトの犯罪など悪いことばかりである。すなわち、子どもが大人になるために必要な経験を積む時間や機会が多機能携帯電話に奪われているのだ。
 こうして子どもが見かけだけ大人になって社会に紛れたら、もう対策の打ちようはないだろう。今日の世の中はテレビの弊害だけでなく携帯電話の弊害まで抱え込もうとしているわけである。
最早、携帯電話は子どもにとって麻薬、アルコール、タバコも同然である。弊害の大きさを考えれば飲酒や喫煙以上に大きな弊害が見受けられる。その使用を法律で禁じるか制限することになるのは時間の問題だろう。
 横浜は来年開港150周年を迎えることから関連のイベントや祝賀セレモニーの準備が急ピッチで進む。その150年に進歩した文明のスピードはそれまでの1,800年の進歩をはるかに上回るといわれる。いわれてみれば確かに文明と人間の関わり方の見方としては重要な切り口だ。それなのに急激な進歩に対応するメンタル面の対策が講じられた形跡はない。
 開港150年だからハードを造って残すことばかり考えないで、メンタル面を豊かにするような試みも考えてはどうか、と私は訴え続けてきた。開港してから150年間に進歩した文明のスピードに追いつけるだけの文明と人間の関わり方の研究もその一つに挙げておきたい。

2008年9月30日 (火)

横浜・明日への提言(59) 最早、テレビはトリックスター機器

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 ある日あるとき、ある編集者が私に次のような企画を頼みにきた。
 「テレビのない時代とテレビが24時間生活の中に入り込んだ時代の双方を経験し、比較検証できる立場にあるのは70代以上の長老です。是非、比較検証してみてください」
 いわれてみれば確かにそうだ。
 私は昭和5年生まれで、生まれたときはラジオ放送も開始からわずか6年と日も浅かった。芝居、浪曲、講談、落語、映画、それも主流の無声映画などがバーチャル世界との唯一の接点だった。もちろん芝居小屋、映画館へ足を運ばなければ体験できなかった。これらを映像と音声をもとに分類すると、映像と音声を伴うのは芝居だけで、浪曲、講談、落語は音声のウエイトが大きく、無声映画は映像に偏っていた。それでも物語性、感動性が損なわれなかったのは名演のためでもあったのだろうが、受け手の想像力が豊かに養われていたためだろう。こうした視聴体験を重ねるにつれて子どもたちは想像力を空想力に高めた。
 仮に想像力や空想力を思考の迂回路と考えると、テレビのない時代の子どもたちは現実の問題を直視したとき、いきなりショックや疑問に見舞われるようなことはなく、個性的で複雑な迂回路で事実を透視し、独自の結論を導き出した。
 ところが、テレビという映像と音声のすぐれ物が登場し、各家庭から各個室にまで入り込み、居ながらにして世界の出来事をニュースとして知るようになると、あまりに便利すぎて想像力、空想力をまったく必要としなくなり、思考回路が短絡で単純化してしまった。
 表面的な姿は人間として差はないのだが、生まれたときからテレビを観て育った世代は思考回路が短絡・単純で、刹那的に反応してしまうとか、困難な問題はいともあっさり先送りしてしまうようになった。
特徴的な現象で違いを説明すると、秋葉原無差別殺人などは格差社会の弊害というより、思考回路の短絡・単純化がそのおおもとの原因ではないかと思う。秋葉原の事件直後、親を困らせてやろうという理由だけで、模倣的に無差別殺人に走った事件がつづいたのも思考回路の短絡・単純化に原因がある。
 しからば、どうしたらよいのか。
 最早、テレビは報道システムの一環というより、それらしい側面を持つだけの「トリックスター機器」とみなし、子どもが視聴できる時間と内容を大幅に制限するくらいの大手術、大英断を下すほかないのではないか。
 よくよく考えると、日本人の精神的な資質の低下はテレビの普及と軌道を一つにしているように思われる。因果関係の検証がまだ残されているが、そうした切り口から解決策を考えるのも迂回路思考の妙味の一つであろう。
 大雑把で発作的な結論だが、以上が編集者の求めに対する私の当座の返事である。

2008年9月14日 (日)

横浜・明日への提言(58)トップにリーダーシップなきは犯罪

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 


 今回のタイトルを不穏と受けとめる人もいるかもしれないが、もしそうだとしたら勘弁してもらいたい。日本人の老いも若きも道徳をどこかに置き忘れた感じで、テレビを観ても、新聞を読んでも、人間がぶっ壊れてしまったのではないのか、これでいいのかと嘆くような出来事が次から次へ暴露される毎日だ。
 考えてみると、私たちが悔しがって歯ぎしりする以前に、日本の国をリードする政治家が、「こんなことじゃまずい、今の日本はなっちゃない、俺たちはこうする」ということをなぜいってくれないのか、そのことをまず不思議に思う。
 だから、田中角栄待望論が出てくる。
「そっちじゃない、こっちだ。ちゃんとこっち向け」
 田中角栄はどんなときでも、だれに対してもそれがいえる人だった。各省庁の仕事がすべて頭に入っていて、将来の見通しが確かだったから、官僚という官僚が田中角栄のいうことに逆らえなかったし、安心していうことを聞いた。進んで使い走りのような役でも買って出た。そういうシチュエーションにしたうえで、田中角栄は政治家に経験を積ませて育てるため有望株を一年交代で大臣にした。大臣は新米だけど田中角栄が後見しているから少しも支障は生じなかった。そういう政治の天才が一人でもいてくれたお陰であの時代の政治家は全体が光っていた。個人的な資質はどうかわからないが、全体が輝いて見えた。つまり、政治家個々の違いというよりリーダーの違いだったと思う。
 今の政治家はどうか。頭にあるのは国民のご機嫌をいかに取り結ぶかということが第一で、選挙に都合の悪い政策はすべて先送り。リーダーである総理から、「俺についてこい」という頼もしい言葉はついぞ聞かれない。政治家全体が輝きを失ってしまうのは当然だ。本人が悪いわけじゃない。しっかりしたリーダーがいないからそうなってしまう。
 大小を問わずどんな企業でも同じだ。集団の長に求められるのは気概だ。リーダーシップなどと横文字でいわなくてもよい。保身に走るから問題は先送りするしかなくなってしまう。俺についてこい。それで間違ったら、俺をクビにしろ。そういう攻めの姿勢がリーダーシップの根底になければならない。ここまでいえば、リーダーシップなきは犯罪という言葉が少しも過激でないとおわかりになろう。
 トップの地位に連綿と未練を抱かず、むしろ捨て身の気迫で他を引っ張っていく。そういうリーダーがいる場所は人間まで光る。そういう場所をすこしずつ増やしていく。それしかない。

2008年8月31日 (日)

横浜・明日への提言(57)職人さんの精神文化を再生させよう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 今、横浜は開港150周年を目前にしている。では、150年前の日本はどうだったかというと、明治維新で、尊皇攘夷で、ああだったこうだったと物語がたくさんある。文化を切り口にしていうと、物をつくる職人文化が頂点に達して、とうとう精神文化まで生み出した。
 生活に直結して必要とされるものはすべて職人さんがつくった。
「人が見てもわからないようなそんな細かいところまで細工するなよ。だれも見やしねえよ、そんなとこ」
「テヤンデエ、だれも見ねえからちゃんとやってるんだ」
 これが職人さんの精神文化の一例、表面の見映えだけでなく内側のつくりが堅牢だから、長持ちするだけでなく、使い込むにつれて味が出てきた。使う人は愛着を持つし、物を大切にした。当然、物をつくる人が非常に尊敬された。
 して貰いたかったら先にしろ、という言葉がある。これは江戸の職人さんがいい出した言葉だ。ここから義理人情が生まれ、感謝の気持ちと恩返しにつながっていった。私が口癖のようにいうGNO(義理・人情・恩返し)が当たり前のように世間で行われていた。GNOが物づくりと表裏一体になっていたのが素晴らしいところだ。すなわち、偽装も手抜きも恥としてタブー視されていたから、コンプライアンスなどと声高にいう必要がなかった。
 ところが、明治維新になって、工業化を進めないと先進国の仲間入りできないというので、職人さんの技術と精神文化が軽視されるようになってしまった。外国は資本主義だが、日本にはかけらもない。工業化のために必要なのは港湾であり、船舶であり、鉄道であり、道路であり、鉄鋼であり、エネルギーである。外国に負けないだけのそれらの産業基盤を持つ新しい日本をつくる出発点になったことから、明治維新は今日においても賞賛されるのだが、ちょっと待てといいたい。明治維新は賞賛に値する、ただし、手放しじゃないよ。大局的見地からすると失ったもの、壊したもの、差し引きどうなんだろうか。残念ながら、一部の人しかそこまで踏み込んで明治維新を物語る人がいない。それはそれでいい。しかし、職人さんの技術と精神文化を捨て去ったツケだけは、これからの日本のために注意を喚起したい。
 特に最近の日本はGDPが世界第何位だの、近代化だの、構造改革だの、入れ物ばかり立派に見せかけようとして中身がぼろぼろになってしまった。格差社会の是正も、ワーキングプアの問題も、ありとあらゆる不都合も、職人さんの精神文化を蘇らせ、国民的行動規範とすれば解決がつく。
 ひとつ、研究することから始めてはどうか。

2008年7月31日 (木)

横浜・明日への提言(56) 旅をするか、旅行をするか

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 

 旅行というのはある人がきちんと準備をして、安全で、不便なく出かけられるように予定が組まれている。ところが、旅となるとちょっと違ってくる。朝、家を出て会社に向かって歩きながら、ある日、私は「あれ、俺は何のため歩いてんだ」と考えた。麦田のトンネルまで40分から45分かかる。トンネルを抜けて元町に入って50分、そこから中村川の橋を渡ると会社に着いたような気になってしまうのに、そのときは違った。もう何十年も歩いているのに、今になって「なぜ歩くのか」と自問したのは、歩くのは健康にいいからとか、何のためだとかは、これまでまったく考えたこともないからだ。理由はそんなところにはない。それだけははっきりしている。
 歩く。これはどういうことなんだ。
 寒い時期に雨が降って風が吹いても傘をさして歩く。もうじき八十になろうかという年齢を考えると健康にいいわけがない。それでも歩きたい。旅をしているからだと思う。
 昔、私の友達から聞いた話だが、昭和7、8年の頃、ある大企業の青年社員がアメリカに出張を命ぜられた。青年は氷川丸でシアトルまで渡った。そこから大陸横断鉄道でシカゴへ行って、さらにニューヨークへ向かう予定だった。ところが、最初に迎えた夕方、車窓から眺める夕日に心を奪われた。凄い夕日だ。日本で見たことがない。この光、この色はいったい何なんだ。じいっと眺めて心を打たれ、次のモンタナの駅で降りてしまった。出張旅行をやめてしまった。駅から出たら広い草原に家が一軒だけあった。牧場だった。牧場へ行って、日本へ帰るつもりはない、モンタナの夕日を毎日見ていたい、そういって牧場に置いて貰って働いて、二、三十年後に大きな牧場主になった。
 出張の日程に従って移動しているまでは旅行だったが、モンタナで下車した時点で彼の人生は旅になった。私のいわんとする旅行と旅の違いは以上でおわかり願えたと思う。旅行というからには仲間が要る。旅というときには、大概、一人旅だ。
 松尾芭蕉は死ぬまで旅をし、最後に「旅に病んで夢は枯野を駆け廻る」という辞世の句を残した。狐には穴がある、鳥には巣がある、人間はいずこに枕を求めるべきかと自問自答もした。自分自身、わかっていない。
 常に考える。決断する。そのことの繰り返しだ。成功も、失敗も、すべて目先のことだ。そこでピリオドを打ってしまったら旅は終わってしまう。歩けども、歩けども、どこへむかっているかわからない。わかったら旅は終わりだ。禅問答みたいだが、妙な理屈をこねて無理に答えを見つけなくてよかったと思う。
 ところで、サービスが行き届きすぎた大旅行時代になって、自前の旅というものが手に入り難くなった。だから、旅をするにはまず他力本願の習性から改めなければならない。それだけでも旅を心がける意義は大きいのではないか。

2008年7月14日 (月)

横浜・明日への提言(55) 自分の時間で生きる機会を持とう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 私は腕時計をはずして、サンダル履きでふらりと家を出る。それが私の散歩のスタイルである。サンダル履きにそれほどの意味はないが、腕時計をはずす意義は大きい。
 なぜ腕時計をしないのか、理由はこうだ。
 日本のラジオ放送はNHK愛宕放送局で始まった。それ自体は結構なことだったと思うが、振り返ってみて正午の時報が日本人の生活習慣に大きなしばりをかけたといえるのではないか。
 それまでの日本人は自分の住む街で暮らした。遠くに見える森の向こうに何があるか知らなかった。知ろうともしなかったし、知らないでいても生活に支障はなかった。鐘の聞こえる範囲で暮らしていたから、余計な雑音に悩む必要もなかった。ところが、ラジオが知らせる時報で日本全国同時に正午になった。正午の時報を気にかけながら暮らすようになった。
 もっと悪いことに腕時計が売り出されて、それをしてないと何をするにも安心できなくなってしまった。
 前に述べたミレーの「晩鐘」には鐘の音は描かれていないが、野良で一日の仕事を終えて感謝の祈りを捧げる農民は自分たちが暮らす村の教会の鐘の音を聞いているはずである。その教会の晩鐘とラジオの時報は持つ意味がまったく違う。 教会の晩鐘は聞こえる範囲と聞く人が限られている。ところが、ラジオの時報はスイッチがオンになっていれば日本全国同時で画一的に鳴る。それを聞いて腕時計の針の位置を確認し、ずれていれば針を動かして修正する癖がついた。日本中が時報の虜になってしまった。
 さらにはテレビの普及で、森の向こうどころか日本全国で起きたことが居ながらにしてわかるようになった。日本の東西南北の果てで起きたことが、いつでもわかるようになったから、これまでになかった喜怒哀楽の反応を日常的に経験するようになった。
 それがよいとか悪いとかいっても始まらないのだが、そうなることによって日本人は自分が属する地域社会と疎遠になり、そこから遊離したバーチャル世界に取り込まれて過剰に反応するようになっていることだけは事実である。地域の人間が日本人になってしまった。私は自分の家にいるときまでそんなふうになってしまうのが嫌だから、押し付けられた情報、時間にしばられた行動、そういうものから開放されて自由になりたいから、せめて散歩にでるときくらい腕時計をしないようにしているわけである。
 腕時計をはずすとどういうことがわかり、効果があるか、ひとつ、興味がある人は試してみていただきたい。