横浜・明日への提言(60) 子どもに便利を与えすぎるな
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
テレビが24時間家庭の個室に入り込んだ弊害については前回触れた通りである。テレビ世代の子どもの特徴は知識こそ豊富だが、思考回路が短絡で単純すぎるということだ。
知識そのものに創造性がないことは自明である。想像力や空想力はあっても必要な知識が伴わなければ創造性が発揮されないことも事実である。問題はそうした一般論にはなく豊富な知識が生かされる資質が子どもたちに育っていないことにある。
どうしてだろうか。
今回取り上げるのは多機能携帯電話である。ただし、テレビそのものに問題があるわけではないように、多機能携帯電話自体が問題なのではなく、それを子どもたちに野放しに持たせ使わせることが大きな問題なのである。好奇心が旺盛で、おもしろいことが好きで、反面、物事の善悪の判定能力に乏しい子どもが、そのような高級オモチャを手にしたら、前後の見境なく夢中になって使うに違いない。ところが、子どもには使用料の支払い能力がない。携帯市場がGDPに占める割合は無視できないレベルといっても、子ども関連の比率は実需ではないからあまり意味がない。あるのはネットイジメや出会い系サイトの犯罪など悪いことばかりである。すなわち、子どもが大人になるために必要な経験を積む時間や機会が多機能携帯電話に奪われているのだ。
こうして子どもが見かけだけ大人になって社会に紛れたら、もう対策の打ちようはないだろう。今日の世の中はテレビの弊害だけでなく携帯電話の弊害まで抱え込もうとしているわけである。
最早、携帯電話は子どもにとって麻薬、アルコール、タバコも同然である。弊害の大きさを考えれば飲酒や喫煙以上に大きな弊害が見受けられる。その使用を法律で禁じるか制限することになるのは時間の問題だろう。
横浜は来年開港150周年を迎えることから関連のイベントや祝賀セレモニーの準備が急ピッチで進む。その150年に進歩した文明のスピードはそれまでの1,800年の進歩をはるかに上回るといわれる。いわれてみれば確かに文明と人間の関わり方の見方としては重要な切り口だ。それなのに急激な進歩に対応するメンタル面の対策が講じられた形跡はない。
開港150年だからハードを造って残すことばかり考えないで、メンタル面を豊かにするような試みも考えてはどうか、と私は訴え続けてきた。開港してから150年間に進歩した文明のスピードに追いつけるだけの文明と人間の関わり方の研究もその一つに挙げておきたい。