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2009年5月14日 (木)

横浜・明日への提言(74) いかにして明日への展望を開くか

74

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 今、世界の港湾で何が起きているかというと、シンガポール港沖には300隻ばかり船が停泊していて動けない。釜山も高雄も灯が消えたようになっている。横浜も例外じゃない。船を動かそうにも運ぶ貨物がないためだが、こんなことは一年前までは考えられなかった現象だ。
 大変だと思うような現象はまだある。少し前までは一日も早く荷物が欲しいというユーザーの要望に応えて、太平洋航路とアメリカ大陸横断鉄道を直結して東海岸の港へ運ぶ時間の短縮を図る動きがみられた。しかし、船会社がレールに頼ってよいのかという理屈で、高速貨物船が建造されて投入されることになった。ところが、いざ就航という段になったら、重油の高騰に追い討ちをかけて起きた世界同時不況で運ぶ貨物がなくなってしまった。現在ある船だけでも余っているのに、新造船がどんどん進水してくる。どうすんだといっても、運ぶ貨物がないからどうにもならない。すでに成約を見た貨物も、ユーザーの倉庫が在庫でいっぱいなため、できるだけゆっくり持ってきてくれという。速すぎても油を食うし、遅すぎても重油を多く消費する。経済速度は17ノット、約50キロだから遅くしてくれといわれても困るわけである。だから、高額な通行料を払うスエズ運河を使う船が激減して、みんな喜望峰まわりで時間をかけて経済速度で航行している。海運界、港湾業界はこうしたダブルショック、トリプルショックに見舞われている。
 ところで、「明日を開く」という言葉がある。よい意味でも、悪い意味でも、今日、最も縁遠い言葉になってしまった。見渡すかぎり、どこもかしこも景気が悪い。一部には例外もあるようだが、兎に角、対症療法に追われて展望が開けないのだから仕方がない。
 だからといって何もしないでいたら、ますます展望は開けない。
展望の基本は何かといえば、雇用だ。雇用が一番の経済活動なのだから、土台ともいうべきこれをやめたら展望など開けるわけがない。だから、経営者と会うたびに私はお願いする。
「雇用だけは守ってやってくださいよ」
 こういう時節だから賃金カット、一時帰休もやむを得ない。そうしたことは超越して、兎に角、雇用だけは頼むという気持ちである。
 かつて、私は経営のピンチに直面したが、「従業員を辞めさせるくらいなら、真っ先に俺が辞める」と決意した。結局、賃金カットを余儀なくされたが、「賃金カットではない。貸してくれ」といって頭を下げて頼んだ。そして、約束通りカットした賃金は後にすべて従業員に返した。
 なぜ、雇用をやかましくいうかというと、評論家のように「どういう展望を開くか」をいうより、「どうしたら展望が開けるか」を問題にするからである。雇用という足場さえ確保しておけば、少なくとも今日の用は足りるわけだから明日を考えるゆとりはあるだろうし、攻めの気持ちが芽生えるから、何となく暗い気持ちでその日を送るよりはるかにましだ。その繰り返し、積み重ねが明日を開くのだと思う。そのためにも社長が従業員に「すまない、頼む」と頭を下げる。むしろ、そのことによって、会社が一枚岩になるチャンスのきっかけが生まれる。
 困難に耐える、辛いのを我慢する、この経験も大きな力になる。発想次第で展望の開け方は幾通りにも道筋が見えてくる。

2009年4月30日 (木)

横浜・明日への提言(73)長老の存在意義を再認識しよう

73

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 唐突だが、私の盟友梅沢健治の至言を紹介しよう。
「むかしの長老は若い者を抱いて包み込んで駄目なら切ってくれた」
 梅沢健治さんはかつて自民党神奈川県連の会長を務めた人格高潔の士である。その長老像がどこからくるのかは知らないが、私はふと前尾繁三郎さんを思い出した。
 かつての秦野章さん曰く。
「前尾繁三郎は総理総裁の器だったが、本人になる気がなかった」
 梅沢さんがイメージする長老は、このレベルの人物であろうことは想像に難くない。その気があれば日本国総理大臣も務まるほどの器というからにはライン的ではなくスタッフ的なタイプの大人物だったのだろう。事実、前尾さんが育てた政治家、面倒を見た政治家は多かった。秦野さんも何かというと相談にうかがった組の一人だった。
 もし一国に総理総裁の器の首相がいて、総理総裁の器の長老が支えたら、国民にとってこれほど心強いことはないだろう。それがいつのことだったかと振り返ってみれば、田中角栄の時代に一度あった。ロッキード事件がらみであの時代を批判する向きが多いのも事実だが、総理総裁の器の首相は各省庁の実務にすべて通じ、「角栄一人いればあとの大臣はいらない」とまでいわれた。長老としては前尾繁三郎などがおり、「抱かれ、包み込まれ、駄目なら切られる」側には秦野のオヤジのような俊秀が目白押しだった。条件的にいって国民があれほどめぐまれた時代はなかった。
 さて、今日はどうか。
 私がいうまでもないだろう。しかし、こういう時代でもすぐれた長老はいる。盟友梅沢健治もその一人に含まれる。だから、ないものねだりをしてストレスを溜めるくらいなら、思い切って観点を変えて「長老」の意義を再確認し、「長老システム」を考え、構築してはどうか。
 間接民主主義は総理大臣、直接民主主義でいえば自治体首長が間接・直接的に選挙で選ばれるのだが、では長老をだれが選ぶのかというと直接民主主義的手段では方法がない。無理に選挙にかければとんでもないまがいものをつかまされかねない。そのうえ表に立たない長老の裏方的役割も寝業師的なイメージを与えがちだからバイアスが強すぎて選挙には向かない。いきおい密室談合的手法にならざるを得ないから、国民・市民の意識覚醒が「長老システム」誕生の前提条件になる。
 国民が意識改革したほうがよいのか、悪いのか。
 まずそこから始めないといけない。
 年齢的指針や世襲要件のみで若返った政界が、今、質的にどのような状態か現実を見、みずからをも省みて判断するのが選挙民たる国民・市民の本当の意味での知恵ではないだろうか。

2009年4月14日 (火)

横浜・明日への提言(72) 脆弁による錯覚を打破すべし

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 小泉元総理が「古い自民党をぶっこわす」と叫んで一躍時代の寵児になったことは記憶に新しい。ところで、あの人がぶっこわしたお陰で今の自民党はどうなっているか。よくなるどころか、最早、政党の体をなしていないというひどさである。
 振り返ってみると、古い自民党がなぜいけないか、正しく理由を述べた人は皆無なのではないか。金権体質、永田町の数の論理、疑獄と積み重なった現象から漠然と黒いイメージが定着し、いけないというムードがかもし出されたのは確かである。しかし、政治は結果責任なのだから、その頃と今の世の中を比べると優劣が歴然とする。古い自民党はいけないどころか、当時、人材は多士済々、ロッキード事件当時に至っては政治の天才田中角栄総理、秦野章法務大臣などカリスマ的なリーダーまで健在で、官僚などはその影すら踏ませて貰えなかった。
 当時の秦野法務大臣いわく。
「世の中の金を合法的に集めて政策にかたちを変えて再分配するのが政治。金を集める力を持つ政治家に金が集まる。それを規制しろというのは政治をやめろというに等しい。残念なことにミイラ取りがミイラになる譬えで法律に触れてしまったときは警察・検察が摘発し、裁判にかける仕組みがある。政治資金規正法など通したら政治家が駄目になる」
 確かそんなことをいっていたように思う。
 最近の政治家は疑獄といわれるほど大掛かりな金に触りもしないようだから、かつてのような黒い霧も発生しなくなった。比例して政治家も口説の徒と化して世の中のお役にはあまり立たなくなった。
 黒い霧はよくないが警察・検察がある。有罪の証拠が得られれば起訴して裁判にかけることができる。しかし、法に触れる大掛かりな疑獄がなくなって警察・検察は手持ち無沙汰になった。そういう問題がなくなったときに政治資金規正法が国会を通った。これほど皮肉で不条理で有権者の目を欺くパフォーマンスはなかった。
「古い自民党ノー、新しい自民党へ向かってゴー」
 こんなムードが自民党に蔓延した頃、すでに人材が払底してあってなきがごとくになっていたのだ。政治家の選挙による選挙のための選挙政治に「政治」が成り下がったのもあの頃。与野党問わず、人気やムードだけを求める政治が始まったのも「古い自民党」がいわれだしたあの頃。今とあの頃以前とどっちの政治、どっちの世の中がましだったか。
 答えは問うまでもない、「古い自民党ノー」はとんでもない脆弁のメッセージなのである。訴えたら公正取引委員会は政党発の誤まったメッセージを取り締まるのだろうか。一度、見解を聞きたいものである。
 政治も経済も今がどん底、われわれにできることは、正しく知るということである。私は若いとき何かに「知ることは愛すること」と書いた。世の中を正しく知ることができれば愛着が湧くに違いない。どうやって知るかは別の機会に述べるとして、目下はそこから始め、世の中に愛着を持つのがいちばん確かな一歩ではないか。

2009年3月31日 (火)

横浜・明日への提言(71)ビー族政治から脱却しよう

71

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)


 かつて小泉構造改革の参謀役だった「某学者元大臣」もよく使った広告代理店の担当者が私にいったことがある。
「国民には3つのタイプがある。Aというカテゴリーはインテリ層、Bというカテゴリーが具体的なことは何も知らないで人気だとか、ムードだとかで行動する層、Cというカテゴリーが頑固で言ったら後へひかない層だという。圧倒的大多数がBのカテゴリーで、それがわれわれのタ―ゲット。だから、自民党の政治はBのカテゴリーを対象に考えてやっている」
 言葉は違うがこんな意味だった。本音を汲み取ると自民党は「あえてその程度の政治をこころがけている」ということになってしまう。
 たまたま2月の金曜日夜11時半から始まるミッキー安川さんのラジオ番組で以上の談話を披露した。ミッキーさん、いわく。
「横浜に橋本竜太郎総理がきたとき、お竜さんといってわーっと集まってきた。ヨン様になったらヨン様しかない」
 それがビー族である。小泉政治は政治をワイドショー化することでビ族を巧みに取り込んだわけだ。時あたかも小泉元総理が麻生総理の「郵政民営化に賛成ではなかった」発言を猛烈にロ撃した直後だった。
「森.小泉、安倍、福田、4人の総理経験者のみなさん、一日も早く政界を引退してください。あなたがたに権力を振り回されては邪魔なんです。過去の人が出てきて政局を混乱させるのはやめてください。手をつけなければならない案件が山のように積まれているとき内部分裂は同国人として恥ずかしい」
「小泉元総理の発言にはがっかりですね。立場としては顧問か相談役かもしれませんが、男として口にしてはいけないことだった」
「麻生おバカ首相や小泉デタラメ元首相はヤッターマンじゃないけど、どっちらけです」
 ほかにもいろいろな小泉構造改革批判が紹介された。ミッキーさんの番組のリスナーだからAカテゴリー、Cカテゴリーの方たちかもしれないが、この方たちは完全に「ビー族」から脱却していると思った。
 あのとき以来、潮目が変わりつつあるという直感を得て、私の胸に希望の灯が点じた。すでにビー族から脱却した層がいるなら、これから増える可能性がある。
 前回紹介した中谷巌氏の懺悔記事と併せて考えると、国民がちょうちん行列を始めたと錯覚させられた小泉フィーバー時代とは急転直下の風潮で、まさに潮目を感じさせるものだ。
 ミッキーさんもいっていたが、「こういうときだから、しっかりした政治家が欲しい」のだが、当面、それは無理。
 しからば、どうすればよいのか。
 昔は「縁台のお殿様」といわれる草の根の論評が確固として存在し、世論の暴走に歯止めをかけていた。私は、ごく親しい仲間と「談論風発の会」を行なおうと考えているが、目的は草の根から論を興すことにある。最早、マスコミによるトリックスター・メッセージ、官製の垂れ流し情報、それに躍らされた世論の暴走を許さないという強い気持ちからである。世論の暴走に歯止めをかけるにはまずわれわれがビー族から脱却し、草の根の論評を燎原の火のごとく燃え上がらせるほかに方法はない。

2009年3月14日 (土)

横浜・明日への提言(70) 潮目を正しく読み取ろう

70

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 昨年の暮れ、小泉構造改革の旗振り役を務めた中谷巌氏が『資本主義はなぜ自壊したのか』という「懺悔の書」を出した。内容は「構造改革だけでは人は幸せにならない。功よりも罪のほうが大きくなってきている」というようなことだった。そのことが今になって話題になっているという。ただし、構造改革推進派が「転向」と厳しく批判していることがある種のバネの役割を果たしているらしい。
 中谷巌氏はそれを受けて2月11日付読売新聞朝刊「論点スペシャル」に「構造改革路線の罪」「格差拡大、社会を分断」の見出しで自身の過ちを懺悔し「温かさ、どう回復」と課題を投げかけた。つづいて産経新聞2月18日付「正論」に「私が懺悔の書を書いた理由」を開陳した。
 何をいまさらという気がしないでもないし、話題性の動機に構造改革推進派議員の健在ぶりが感じられて不満ではあるが、旗振り役のこうした懺悔こそ私が待ち望んでいたシグナルである。いわゆる世論転換の潮目を告げるシグナルだからだ。
 中谷氏の指摘をまつまでもなく、社会の構成単位の職場にまで競争原理を持ち込めば人心が荒廃し、結果として世の中が殺伐とするのは最初からわかること。それなのに中谷氏ともう一方の参謀役「某学者元大臣」が先頭に立って「競争原理」を礼賛しまくった。
 グローバリズムも現象面からいうとコストに特化された国際競争だから「競争原理」の一バリエーションである。ノウハウで競与するよりコストにウエイトを置く競争だったから、規制緩和の恩恵となった派遣労働力の使い捨てという安全弁に頼りきってノウハウを磨かなかった。結果として企業自体もノウハウが停滞し経営者が冷血化して血も涙も失った。
 競争とは何だろう。私が知る競争は快いものだった。旧制中学から大学まで私は野球の選手で、ポジションは捕手だった。練習では自分の限界に挑み、試合ではルールに従って相手に勝つ。当然、勝者と敗者に分かれるが、結果に関係なく相手の健闘を讃え、握手を交わして別れた。あとに残るのは全力を尽くした満足感、充足感、そして快い疲れ、好敵手に対する友情だった。そうした練磨を通してフェアな姿勢と精神が自然と培われたのだと思う。
 競争とは本来フェアなものであったはずだ。
 改革推進派といわれる政治家は「古い自民党」を頭から悪いと思い込んでいるようだが、実際には「新しい自民党」が日本を駄目にし、古い自民党がかつて日本を総中流社会にした。この事実は揺るがない。それでも相変わらず「古い自民党」をいけないものの代名詞として用いる神経、これはもう普通ではない。
 構造改革のもう一人の旗振り役だった「某学者元大臣」が大臣在任中にホワイトハウス詣でを何回繰り返したか、新聞の片隅の囲み記事で簡単に触れられたことがあり、本人も認めていたが、回数は何回とはっきり報告し、大きな問題として取り上げるべきではなかったのか。そうすれば「だれのための構造改革だったのか」を証明する傍証になるだろう。
 潮目については次回にも触れるが、そろそろ潮目、そう思って私が心を躍らせるのは、本当の改革はそれを正しく読み取ることから始まるからである。   

2009年2月28日 (土)

横浜・明日への提言(69)開国・開港 Y150は感謝祭 

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)   

 そろそろ横浜開港150周年記念事業である開国博Y150について言及しないといけないだろう。横浜開港150周年の節目がいきなり経済的に波乱の幕開けとなったわけだが、こういうときだからこそ各人の潜在能力、底力が問われるわけである。むしろ、底力を見せる年と銘打ってもよいくらいだ。
 それにはやっぱり反省が伴わなければならない。失敗が許されるのは反省が次の成長のバネとして働くからである。そういう意味でも反省は大事。では、何から反省するか。
 横浜は神奈川県の県庁所在地で、政令指定都市で、人口370万を抱えた東京都に次ぐ2番目の大都市になった。なったには違いないが、開港される150年以前はたかだか100戸を数える程度の漁村にすぎなかった。それなのに誰の世話にもならずこうなったといわんばかりに今日にあぐらをかいておりはしまいか。
 だれのお陰で、どういうふうに今日の横浜に育ったのか。わかっているのは生糸や茶などが全国の生産地から運び込まれてきて輸出され、それが産業となり、お陰で日本を代表する開港都市が生まれたといった程度だ。それも発端となった表面的な現象だけで、全国各地との連携を含めた前後の検証をなおざりにしてきた嫌いがありはしまいか。
 しかし、今、それをいっても間に合うことではないから、大事なことを怠ってきたことへの反省の開国博、生糸や茶などの輸出品を持ち込んでくれた全国の産地に対し感謝を深める開国博、せめてそういう意識ぐらい持ちたいものだ。
 過去に対しては感謝と反省、将来のためにはこれまで築いた物心両面の財産を守る。ミナト・ヨコハマを守る。日本を守る。何もなかった寒村をここまでして貰った感謝の気持ちで今年をそのきっかけにすることも、目には見えないけれども開国博の大事な心得だろう。
 百年に一度と形容される経済危機が図らずも開国博こそ精神的な紐帯を強固にする恰好の機会だと知らしてくれたといえなくもない。たとえ有志だけでも結束して、ミナト・ヨコハマを守ることが日本全国の家庭の冷蔵庫の中身を確保することにつながるのと同じように、横浜を守ることが日本を立ち直らせることに結びつくような何かを考える。智恵を合わせ相談して横浜ならではの効果的な答えを出したいものである。

2009年2月14日 (土)

横浜・明日への提言(68) 倒産もなく、リストラもなく

68

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
   
 前回述べたように近代民主主義社会にあっては雇用こそ経済活動の基本だというのが私の変わらぬ信念である。人間一人生きていくのが経済活動。家族が一緒に暮らすことも経済活動。地域や国を含めてみんなが生計を営むのが経済活動。そうした経済活動の基本中の基本が雇用だということ。つまり、労働が伴わなければ生産はない。雇用をなくすことは経済活動をやめることだ。資本主義社会であっても、社会主義社会であってもその基本は変わらない。ところが、昨年前半まで勝ち組を謳歌していた日本を代表するトップ企業が、年の暮れを目前に率先して派遣社員をリストラした。これはどういうことなのだ。
 それぐらい今の日本は大変なんだということを理由にしたいのだろうが、ちょっと待てよといいたい。そうなった原因、そうしてしまった理由は何なんだ。それを反省しないで結果だけ理由にするのは説明として間違いだし、虫がよすぎる。こうなった一番の原因は労働を人件費でなく物件費にして、いつでも簡単に手に入って、いつでもたやすく手放せるようにしてしまったことだ。
 大変だと連呼する日本のトップ企業に限らず、私が関係するFMヨコハマも、ミナト・ヨコハマもこれから大変だ。港湾関係を例に取れば仕事がどんどん減っている。これからも減るだろう。しかし、リストラは一切やらない。倒産も出さない。これが過去の実績をきちんと踏まえたうえでの不退転の決意である。
 私は横浜港運協会の会長として10年も前から利益より雇用を大事にする方針を立て、ずっと貫いてきた。横浜港運協会にはおよそ250社が加盟していて、1万人近い従業員が働いているのだが、私はその250社のトップに「どんなことがあっても社員のクビを切らないように」とお願いしてきた。自慢でいうのではなく、現在進行形の現象と正反対の実例として挙げるのだが、過去10年間、リストラは250社で一度として行われなかった。そのために倒産した会社も皆無だった。これは偽りのない厳然たる事実である。
 だから、日本のトップ企業の経営陣も、その気になれば同じようにやれる。利益至上主義を雇用至上主義に転換するだけでよいのだ。「構造改革なくして成長なし」というのは間違いだったと現実が証明してくれているのだから、賢いトップなら「雇用を守らずして成長なし」に頭を切り替えるはずだ。雇用が守られれば経済活動はそれなりに維持されて底を打つのも速いわけで、日本経済の立ち直りもそれだけ早くなり、いわれるような「百年に一度の危機」までは発展しない。
 経営者の方針転換と従業員のポテンシャル発揮、これをワンセットにするのが「百年に一度の危機」の処方箋である。あとはやるかどうか、トップの決断力と実行力にかかっている。

2009年1月31日 (土)

横浜・明日への提言(67) ピンチをチャンスに変えよう 

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)   

 読売新聞1月3日朝刊一面トップの見出しに「規制なき市場経済はない」の文字を見たとき、「ああ、規制強化が今年の新聞マスコミの論説の底流になっていくのだろうな」と私は直感した。
 あえて新聞マスコミを取り上げるのは「世の中への主張の乗り換え名人」として変化の方向性をいつも先取りしているからである。つい、この間まで新聞マスコミの論調は「規制緩和礼賛」だった。小さな政府、民営化、競争原理を政策の根幹に持ち込んだレーガン、サッチャー、小泉純一郎をヒーロー扱いし、結果については言及を避けてきた節がないではない。しかし、遂に結果は出た。一億総中産階級社会だった日本が急転直下極端なかたちで勝ち組、負け組に二大別され、その直後に地殻変動がきた。すなわち、わずかに生き残った勝ち組までもが軒並みポシャって、そして誰もいなくなった観の惨憺たる日本経済。一国の総理が「百年に一度の」と形容するほどの経済危機を目の当たりにして、新聞マスコミは翻然と論調の転換を試みたわけである。皮肉で言うのではなく、それが新聞マスコミの論調の習性なのである。過ちを改めるのに速やかなこと、世の人はもって手本とすべきだろう。
 さて、現下の喫緊の課題は雇用問題だ。新聞マスコミが言い出す前に世の中が教えてくれたのが、近代民主主義社会にあっては雇用こそ経済活動の基本だということだ。ロビンソン・クルーソーではないが、人間一人が生きていくことがすなわち経済活動である。細胞ともいうべき最小単位の一人の暮らしが足りて、はじめて趣味、娯楽、芸術、文化への精神的欲求が熟成し、それらで組み上がって社会的・組織的活動が活性化する。百年に一度の経済危機の引き金となったサブプライムローン問題は返済能力のない個人を借金漬けにしてまで儲けようとした利益至上主義のババ抜きマネー・ゲームの破綻なのであり、そうした無謀まで許したレーガン、サッチャー、小泉純一郎ら一連の画一的市場原理政策が必然的に行き着くところでもあった。
 百年に一度の激震の震源地がわかったのである。改革の痛みに耐えた結果、さらなるとてつもない痛みを思い知らされるというかたちで。これで誰もが目を覚ましただろうと思いたいのだが、まだ改革幻想に取り付かれている向きもいるようだ。しかし、日本国民の大半は、最早、改革幻想から覚めたはずである。何事も覚醒なくして進歩はあり得ないのだから、これが今年一番の明るい話題と思いたいものである。
 覚醒したとして、どうしたら暮らしがよくなるのか。地域がよくなるのか。国がよくなるのか。今となっては家庭で、会社で、地域で、各人が潜在能力を発揮するほかない。どういうかたちでポテンシャルを発揮すればよいのかといえば、もちろん、競争というかたちではない。対決や競争ではなく相談、共同、協力というかたちで日本人の底力がいたる場面で発揮されたら、今日のピンチは明日の大きなチャンスに変わるはずである。

2009年1月14日 (水)

横浜・明日への提言(66)日本はよい国だと思えるように

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 昨年末に田母神・前航空幕僚長の歴史観論文問題が起きた。いろいろ批判はあったけれども、「よくぞいってくれた」と感じたのは「日本はよい国だと教えなければ部下に国を守るために命を捨てろといえない」という発言だった。はっとさせられた。自衛隊員のみならず国民の大多数が日本をよい国だと思わなくなったら、何をやろうとしてもうまくいかないからだ。
 歴史の解釈は人によって異なるから百人の人がいれば百の解釈がなりたつというのが私の持論である。だから、対立する歴史観の行司役を買って出てどちらが正しいなどと言い切るつもりはない。
 戦後の日本は戦争の犠牲が大きかったことを反省し、憲法9条を守り抜いて外国の軍隊と一度も戦わなかった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、チベット紛争、中東紛争、アフガン戦争、湾岸戦争など世界は戦争の歴史を繰り返してきたが、アジアで戦争をしなかったのは日本だけである。ありがたいことに治安もよく平和でこんなにいい国はない。
 まわりに海千山千の交戦国がひしめいておりながら戦争にも紛争にも巻き込まれなかったのは、戦後の日本にはまだ「サムライ」がいたからだ。サムライを現代風に言い換え「洗練された野人」といってもよい。もっとわかりやすくいえば周囲の雑多な意見に惑わさないで信ずることを実行し実現できる実力者である。
 総理にこそならなかったが、総理の器といわれ、優秀な政治家を育てるのがうまかった前尾繁三郎氏という自民党の派閥の領袖がいた。通商産業大臣、建設大臣などを歴任した小此木彦三郎氏が国政選挙で初当選し在籍する派閥を選ぶことになったとき、相談相手の藤山愛一郎氏は迷わず「前尾派」の名を挙げた。
「立派な政治をやりたかったら前尾繁三郎、偉くなるなら中曽根康弘」
 そういう言い方だったと思う。
 横浜エフエム放送の生みの親の一人秦野章元法務大臣も派閥にこそ属さなかったが、何かあると前尾繁三郎氏の自宅に押しかけて意見を求め、政治家としてのセンスに磨きをかけた。
 ところが、二世、三世の時代になって、長く平和がつづいたためか、サムライがいなくなった。言論の舞台でサムライ的発言をする人はいるが、いわば書斎のサムライであり、政界、経済界の実力者ではない。憂えるとすればサムライがいなくなったことだろう。
 私の初夢といってもよいものだが、その夢の中では、学校とはいわないけれども「サムライを育てる機関」というのがあって、平成のサムライが輩出し機関とワンセットになっていた。どうしたらそれが実現可能となるか、現実の問題として取っ掛かりをどこに求めたものかと思案を始めたばかりである。
 それだけに田母神発言は示唆に富んだものになった。相手が制服組だから文民統制うんぬんの議論になるのだろうが、差し迫って必要なのは「国民が日本はよい国だと思えるような政治・経済・教育」の実現だろう。そのために自分に何ができるかを考えるのが今年の目標の一つになった。

2009年1月 1日 (木)

横浜・明日への提言(65)実体のある経済に回帰せよ

65

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)   

 明けましておめでとうございます。
 年頭に当たって思うことは目標をどこに置くかということで、それが一年を通じて希望にもなり、励みにもなる。そこで思うのは昨年の後半あたりから盛んに「実体経済」という言葉がいわれるようになったことである。こういうときの「実体」は「じったい」と読み、機械、エネルギー、建設、食品など人間の社会生活に必要なものを製造生産する事業をいい、株券、証券化商品など信用という目に見えないものを取引して利潤を追求する金融業を念頭に置いて生まれた言葉だ。しかし、私がいう「実体」は昔から「じってい」と読み、真面目、ひたむきというような意味である。実体経済の実体にコンプライアンスが加わったようなものと理解して貰えばよい。
 正月早々、なぜ、このような言葉を持ち出したのかというと、業界人に実体経済の「実体」を履き違えて貰っては困るからである。実体を「じったい」と読むときには経済のありようが曖昧である。ところが、「じってい」と読むと経済はかくあるべしという語義が実に明瞭になる。
 昨年を振り返ってみれば、たった一年間で世界の趨勢が規制緩和から規制強化へ、競争原理一辺倒から護送船団方式らしき模索の動きへ、目指す方向が一変してしまうところまでいくとは予想もしなかった。
 行きすぎた規制緩和がもたらしたのは勝ち組と負け組の二極化、すなわち一億総中流階級の喪失、それに競争原理の導入が追い討ちをかけて人心の荒廃と社会の殺伐化現象を顕著なものにした。そこへ持ってきて、世界的な金融危機である。これから、どうなっていくか、目下はまだ前兆の段階でわからないわけだが、昨年11月にワシントンで金融サミットが開催され、先進国に新興国を加えた20の国と地域の首脳が「規制緩和、待った」「競争原理、ノー」のシグナルを発した意義は大きい。
 投機ファンドの暗躍で現実の需要と関係なしに原油相場が一気に天井に上り詰め、かと思えばたちまち奈落に向かって下落し、実体経済に深刻な打撃を与えてしまう。投資者の欲のからんだ気分次第で相場が乱高下し価値が一定しない株券、証券会社が破綻すれば紙切れ同然になってしまう証券化商品を資産に組み込む会計制度を採用したため、負の連鎖といわれる株式の世界同時安、金融証券化商品の大幅な額面割れなどで企業会計が真っ赤っかな赤字に転落してしまう。金融は実体経済を活性化させる縁の下の力持ちに徹してこそ実業たり得る。実体経済とは相容れない価値観でマネーゲームを繰り返してきた「金融バブル」がはじけたからには、金融も原点を目指して回帰するほかない。金融に対する規制強化の趨勢は必然の帰結で、むしろ、遅きに失した観がある。
 過去を思えばいまいましく腹立たしいことばかりで気持ちが暗くなりもしようが、そうした思いでいるのはあなただけではない。せめても、明るい光が射してくる方角に目を向けよう。金融バブルが弾けた今、目指すのは実体(じってい)経済への回帰しかないと信じよう。