横浜・明日への提言(70) 潮目を正しく読み取ろう
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
昨年の暮れ、小泉構造改革の旗振り役を務めた中谷巌氏が『資本主義はなぜ自壊したのか』という「懺悔の書」を出した。内容は「構造改革だけでは人は幸せにならない。功よりも罪のほうが大きくなってきている」というようなことだった。そのことが今になって話題になっているという。ただし、構造改革推進派が「転向」と厳しく批判していることがある種のバネの役割を果たしているらしい。
中谷巌氏はそれを受けて2月11日付読売新聞朝刊「論点スペシャル」に「構造改革路線の罪」「格差拡大、社会を分断」の見出しで自身の過ちを懺悔し「温かさ、どう回復」と課題を投げかけた。つづいて産経新聞2月18日付「正論」に「私が懺悔の書を書いた理由」を開陳した。
何をいまさらという気がしないでもないし、話題性の動機に構造改革推進派議員の健在ぶりが感じられて不満ではあるが、旗振り役のこうした懺悔こそ私が待ち望んでいたシグナルである。いわゆる世論転換の潮目を告げるシグナルだからだ。
中谷氏の指摘をまつまでもなく、社会の構成単位の職場にまで競争原理を持ち込めば人心が荒廃し、結果として世の中が殺伐とするのは最初からわかること。それなのに中谷氏ともう一方の参謀役「某学者元大臣」が先頭に立って「競争原理」を礼賛しまくった。
グローバリズムも現象面からいうとコストに特化された国際競争だから「競争原理」の一バリエーションである。ノウハウで競与するよりコストにウエイトを置く競争だったから、規制緩和の恩恵となった派遣労働力の使い捨てという安全弁に頼りきってノウハウを磨かなかった。結果として企業自体もノウハウが停滞し経営者が冷血化して血も涙も失った。
競争とは何だろう。私が知る競争は快いものだった。旧制中学から大学まで私は野球の選手で、ポジションは捕手だった。練習では自分の限界に挑み、試合ではルールに従って相手に勝つ。当然、勝者と敗者に分かれるが、結果に関係なく相手の健闘を讃え、握手を交わして別れた。あとに残るのは全力を尽くした満足感、充足感、そして快い疲れ、好敵手に対する友情だった。そうした練磨を通してフェアな姿勢と精神が自然と培われたのだと思う。
競争とは本来フェアなものであったはずだ。
改革推進派といわれる政治家は「古い自民党」を頭から悪いと思い込んでいるようだが、実際には「新しい自民党」が日本を駄目にし、古い自民党がかつて日本を総中流社会にした。この事実は揺るがない。それでも相変わらず「古い自民党」をいけないものの代名詞として用いる神経、これはもう普通ではない。
構造改革のもう一人の旗振り役だった「某学者元大臣」が大臣在任中にホワイトハウス詣でを何回繰り返したか、新聞の片隅の囲み記事で簡単に触れられたことがあり、本人も認めていたが、回数は何回とはっきり報告し、大きな問題として取り上げるべきではなかったのか。そうすれば「だれのための構造改革だったのか」を証明する傍証になるだろう。
潮目については次回にも触れるが、そろそろ潮目、そう思って私が心を躍らせるのは、本当の改革はそれを正しく読み取ることから始まるからである。