横浜・明日への提言(69)開国・開港 Y150は感謝祭
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
そろそろ横浜開港150周年記念事業である開国博Y150について言及しないといけないだろう。横浜開港150周年の節目がいきなり経済的に波乱の幕開けとなったわけだが、こういうときだからこそ各人の潜在能力、底力が問われるわけである。むしろ、底力を見せる年と銘打ってもよいくらいだ。
それにはやっぱり反省が伴わなければならない。失敗が許されるのは反省が次の成長のバネとして働くからである。そういう意味でも反省は大事。では、何から反省するか。
横浜は神奈川県の県庁所在地で、政令指定都市で、人口370万を抱えた東京都に次ぐ2番目の大都市になった。なったには違いないが、開港される150年以前はたかだか100戸を数える程度の漁村にすぎなかった。それなのに誰の世話にもならずこうなったといわんばかりに今日にあぐらをかいておりはしまいか。
だれのお陰で、どういうふうに今日の横浜に育ったのか。わかっているのは生糸や茶などが全国の生産地から運び込まれてきて輸出され、それが産業となり、お陰で日本を代表する開港都市が生まれたといった程度だ。それも発端となった表面的な現象だけで、全国各地との連携を含めた前後の検証をなおざりにしてきた嫌いがありはしまいか。
しかし、今、それをいっても間に合うことではないから、大事なことを怠ってきたことへの反省の開国博、生糸や茶などの輸出品を持ち込んでくれた全国の産地に対し感謝を深める開国博、せめてそういう意識ぐらい持ちたいものだ。
過去に対しては感謝と反省、将来のためにはこれまで築いた物心両面の財産を守る。ミナト・ヨコハマを守る。日本を守る。何もなかった寒村をここまでして貰った感謝の気持ちで今年をそのきっかけにすることも、目には見えないけれども開国博の大事な心得だろう。
百年に一度と形容される経済危機が図らずも開国博こそ精神的な紐帯を強固にする恰好の機会だと知らしてくれたといえなくもない。たとえ有志だけでも結束して、ミナト・ヨコハマを守ることが日本全国の家庭の冷蔵庫の中身を確保することにつながるのと同じように、横浜を守ることが日本を立ち直らせることに結びつくような何かを考える。智恵を合わせ相談して横浜ならではの効果的な答えを出したいものである。