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2009年5月14日 (木)

横浜・明日への提言(74) いかにして明日への展望を開くか

74

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 今、世界の港湾で何が起きているかというと、シンガポール港沖には300隻ばかり船が停泊していて動けない。釜山も高雄も灯が消えたようになっている。横浜も例外じゃない。船を動かそうにも運ぶ貨物がないためだが、こんなことは一年前までは考えられなかった現象だ。
 大変だと思うような現象はまだある。少し前までは一日も早く荷物が欲しいというユーザーの要望に応えて、太平洋航路とアメリカ大陸横断鉄道を直結して東海岸の港へ運ぶ時間の短縮を図る動きがみられた。しかし、船会社がレールに頼ってよいのかという理屈で、高速貨物船が建造されて投入されることになった。ところが、いざ就航という段になったら、重油の高騰に追い討ちをかけて起きた世界同時不況で運ぶ貨物がなくなってしまった。現在ある船だけでも余っているのに、新造船がどんどん進水してくる。どうすんだといっても、運ぶ貨物がないからどうにもならない。すでに成約を見た貨物も、ユーザーの倉庫が在庫でいっぱいなため、できるだけゆっくり持ってきてくれという。速すぎても油を食うし、遅すぎても重油を多く消費する。経済速度は17ノット、約50キロだから遅くしてくれといわれても困るわけである。だから、高額な通行料を払うスエズ運河を使う船が激減して、みんな喜望峰まわりで時間をかけて経済速度で航行している。海運界、港湾業界はこうしたダブルショック、トリプルショックに見舞われている。
 ところで、「明日を開く」という言葉がある。よい意味でも、悪い意味でも、今日、最も縁遠い言葉になってしまった。見渡すかぎり、どこもかしこも景気が悪い。一部には例外もあるようだが、兎に角、対症療法に追われて展望が開けないのだから仕方がない。
 だからといって何もしないでいたら、ますます展望は開けない。
展望の基本は何かといえば、雇用だ。雇用が一番の経済活動なのだから、土台ともいうべきこれをやめたら展望など開けるわけがない。だから、経営者と会うたびに私はお願いする。
「雇用だけは守ってやってくださいよ」
 こういう時節だから賃金カット、一時帰休もやむを得ない。そうしたことは超越して、兎に角、雇用だけは頼むという気持ちである。
 かつて、私は経営のピンチに直面したが、「従業員を辞めさせるくらいなら、真っ先に俺が辞める」と決意した。結局、賃金カットを余儀なくされたが、「賃金カットではない。貸してくれ」といって頭を下げて頼んだ。そして、約束通りカットした賃金は後にすべて従業員に返した。
 なぜ、雇用をやかましくいうかというと、評論家のように「どういう展望を開くか」をいうより、「どうしたら展望が開けるか」を問題にするからである。雇用という足場さえ確保しておけば、少なくとも今日の用は足りるわけだから明日を考えるゆとりはあるだろうし、攻めの気持ちが芽生えるから、何となく暗い気持ちでその日を送るよりはるかにましだ。その繰り返し、積み重ねが明日を開くのだと思う。そのためにも社長が従業員に「すまない、頼む」と頭を下げる。むしろ、そのことによって、会社が一枚岩になるチャンスのきっかけが生まれる。
 困難に耐える、辛いのを我慢する、この経験も大きな力になる。発想次第で展望の開け方は幾通りにも道筋が見えてくる。