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明日への提言

2007年2月28日 (水)

横浜・明日への提言(23) 精神的遺産都市宣言

23

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 世界文化遺産登録のための追加国内候補が出揃ったのが1月23日。現在、登録に向けてユネスコで選考が進んでいると思われるが、もし、開港当時の町並みが残っていたら、間違いなくミナト・ヨコハマも候補に挙げられただろう。しかし、関東大震災、戦災で二度廃墟を経験、赤レンガ倉庫、開港記念会館(ジャック)、神奈川県庁旧庁舎(キング)、横浜税関(クイーン)、神奈川県立歴史博物館などがとびとびに残っただけで周辺は近代的なビル街に一変した。かつてはあったというだけでは世界遺産登録は無理だろう、とだれもが思うに違いない。
 世界文化遺産への登録、地域名産ブランドの獲得が町おこしの手段に用いられる傾向が全国的に目立ってきた。町おこし自体は大いに結構なことである。だが、世界文化遺産、地域名産にしても、物に与えられるブランドである。横浜は物をなくしたが、精神的には復興都市だ。廃墟を二度も経験しながら常に蘇った。その歴史に着眼すれば先人たちの不屈の精神が浮かび上がる。日常は目立たないが、いざとなれば浜っ子は物凄い底力を発揮する。これほどの精神的遺産を遊ばせておくのはもったいない。
 開港当時の横浜も、考えてみればゼロからの出発だった。しかし、ゼロにならないと底力を発揮しないというのではまずい。日頃から大きな目標を持ち段階を積み重ねて組み上げていく。そういう姿勢に切り替えることが、開港150年目を迎えようとする横浜の課題だ。
 ミナト・ヨコハマに限っていえば、政策的にも、インフラ整備の面でも段階を踏んで、とうとうスーパー中枢港湾(ハブポート)の実現に漕ぎ着けた。京浜港に千葉港、木更津港を加えたスーパー中枢港湾が世界のハブポートとなるならば、あえてミナト・ヨコハマの伝統ある名称にはこだわらない。たとえばの話だが、スーパー中枢港湾をメトロポリタン・ポートの名前で包括し、ミナト・ヨコハマをカッコ書きすればよい。そういう大きな目標で明日にチャレンジしつづけている。
 横浜市全体がこうした具体的な目標を掲げ、不屈の精神を土台に日々チャレンジし、明日を築く。目標は今後の議論に待つとして、精神的遺産都市宣言をスローガンとして、次に来るべき開港200年へのバネとしたらどうか。
 目標が定まらなければ行動も始まらない。だから、目標は大きいに越したことはないし、多ければ多いほどよい。開港150周年記念イベントの目玉はその中からおのずと生まれてくるはずである。

2007年2月14日 (水)

横浜・明日への提言(22) 客観的評価と主観的評価

22

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 生活者の視点、国民のほうを向け、内閣支持率、果ては勝ち組・負け組に至るまで、政治家やマスコミが考えたキャッチフレーズや造語が氾濫する世の中である。私は言葉だけ踊るような風潮が嫌いだから耳をふさぐようにしているが、内閣支持率で政権が浮揚したり沈んだりする昨今の風潮だけは黙っていられない。
 内閣支持率は世論調査で弾き出される。では、その世論調査とは何なのか。それを知らずに勝手なことをいってはもうしわけないので、世論調査の専門家に説明を求めて驚いた。世界の社会学者の間では「世論などない」というのが定説だというのである。
 FMヨコハマにも大いに関係あることだが、視聴率調査についても「犬が見てても視聴率」という揶揄的な業界言葉があるそうだ。テレビの前にいるのはペットだけでも測定機器のスイッチが入っていれば記録紙にカウントされてしまう。それはさておき、視聴者の好みや満足度などの質的な反応を知る客観的評価手段がないため便宜的に視聴率を用いているわけで、必ずしも正しい方法ではないという。それが業界の常識といわれたときは正直驚いた。われわれはあやふやな評価に踊らされて一喜一憂しているわけだ。
 内閣支持率に話を戻すと、世論調査には量的調査と質的調査があるが、後者は善悪・良否・正邪などの判定が調査票質問文設計者の主観に左右され結果の判定が客観的でなくなるため、現在はほとんど用いられないという。量的な調査なら質的な吟味なしに世の中の動きや思潮を項目化してそれぞれに傾向を数値で測るだけだから、それなりに客観的な結果が得られやすい。
 「つまり、傾向を測るだけで、価値判断は含まないのが世論調査。仮にそれを世論というとしても参考に留めるのが本筋で、丸呑みにして従うなど愚の骨頂だ」
 長く生きてきて、これほど驚いたことはない。
 ミナト・ヨコハマについても、客観的というと輸出量がいくらいくらで世界第何位という数値だけ語られて、それが正確無比で不動の評価であるかのようにいわれる。港湾技術の優劣などは数値化できないし、判定できるセンスを持つ者が第三者にいないから、質的な評価は港湾関係者が自分で判定し、改善はもとより創意工夫に智恵を絞り実現に汗を流す。それがミナト・ヨコハマの流儀だ。世論調査の何たるかを聞いてから、私はますます主観的な評価を大事にし、われわれがかくあるべしと信ずるミナト・ヨコハマにしていこうと強く決意した。
 FMヨコハマについても同じことがいえる。どこのだれが何をいっているかもわからない数値だけの視聴率・聴取率などより、地域に密着したエフエム放送に深い愛着を持ち明確な好みから発せられるリスナー個人の意見のほうがはるかに尊い。
 そこで結論、これからの日本と横浜に必要なのは、脱数値的評価による方向性を見出す努力だろう。それができたら、個性的な都市が日本のあちこちに出現し、当然、真っ先にこころがけた横浜が最先端を行っているはずである。

2007年1月31日 (水)

横浜・明日への提言(21) 麗しき後継争い

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 前回述べたように、横浜は確かに道が狭い。震災と戦災で二度都市インフラを失い、郊外の急激な人口増加と緑地への対応を優先したことにより、都心部の復興が遅れたためだ。だから、行政にどうにかしろといってもどうにもならないことが多い。これを不満のままに留めてしまうか、お先にどうぞの精神で解決するか、その違いは実に大きい。
 ところで、お先にどうぞの精神は何から生まれるのだろうか。私は答えを考えながらある出来事を思い出した。かつて岸野清太郎さんという政治家の鑑のような県会議員がいた。その人の秘書を努めたのが先頃現役を引退した梅沢健治元県会議員である。しかし、梅沢健治さんが県会に立つ前に一波乱あった。岸野清太郎さんが亡くなってだれが跡を継ぐかで、次男の登君と梅沢健治さんの間で喧嘩が始まったのだ。その仲裁役を頼まれ喧嘩の原因を聞いたとき、私は驚くと同時に感動した。
 政治家の後継争いというと、双方が「俺にやらせろ」と張り合うのが普通だが、二人の場合は「おまえがやれ」の譲り合い、実に麗しい後継争いだった。どちらも政治家にしたい、なって貰いたいとこちらから頼みたい男だ。それだけに何も知らずに仲裁を引き受けた私は思わぬ苦渋を味わった。しかし、二人は立てられないから、登君には事業を継がせ、政治は梅沢健治さんに委ねることで収拾した。その後の梅沢健治さんの世の中への献身は政界に広く知られる通りである。
 義理・人情がしっかり身につくと、高潔・清廉・公正な資質が生まれる。いわゆる正しい分別が身に備わるわけだ。そういう意味で、私は二人の喧嘩は単なる謙譲や相手への気兼ねから始まったのではないと理解した。加えて、梅沢健治さんは岸野清太郎・登親子から受けた恩を世の中にそっくり返した。
 今日、パフォーマンス政治がマスコミにもてはやされ、世間もそれなしでは満足しない世相だが、彼我の隔たりの何と大きいことか。
 義理(G)・人情(N)・恩返し(O)の大切さは、今、盛んに論じられている企業のコンプライアンスにも当てはまる。G・N・Oは流行や風俗からすると時代遅れに受け取られがちだが、政治と同様コンプライアンスをも裏打ちする規範なのだから、古いとか新しいとかの尺度で論じるものではない。だから、コンプライアンスそのものを云々するよりも、その根源にあるG・N・O、すなわち日本人固有の精神的規範の確立を急ぐべきだろう。
 浜っ子といえばG・N・Oといわれるようになれば、当然、都市インフラ整備に抱く不満はあらかた消える。しかも、整備すべき優先順位が明快になり不毛の議論が影を潜め、横浜全体に和が生まれるに違いない。これぞ浜っ子が持つべき分別というべきか。

2007年1月14日 (日)

横浜・明日への提言(20) お先にどうぞ

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 正月の松飾りも取れて、世の中が活発に動き出してきた。私は元旦から歩いてミナトの関係の会社に出た。これは毎年恒例のことで、大晦日も元旦も、入院したとき以外は出社を欠かしたことがない。
 道々、私は歩きながら考えた。正月の間、本牧の自宅から北仲通の会社まで初詣の若者と数多くすれ違った。今の若者は男女に関係なくわが道を行く感じで歩くので、すれ違うたびに私が脇によけて道を譲った。だから、正月はいつもより時間がかかる。
 なぜ、こんな話を持ち出したかというと、若者の態度が傍若無人だとか、横浜は道路も歩道も狭いというようなことをいうためではない。確かに道は狭いし、だれもが好き勝手な歩き方をしたら、お互いに肩をぶつけ合って不愉快な思いをするだろう。だからといってモラルハザードだと叫んで批判したところで何の解決にもならない。不愉快な思いをしないですむように歩道を広げれば車道を狭め、税金の無駄遣いどころか世の中に弊害を押しつける結果になる。
 では何の対策もないのかというとそうでもない。
 昨年、FMヨコハマが発行する雑誌の対談企画に駆り出され「強い男の条件」について質問を受けたとき、そんなことが頭にあったのでとっさに「お先にどうぞといえる男だ」と答えた。それはこういうことだ。
 私の座右の銘は「して欲しかったら先にやれ」である。長幼の序も大人の面子も大事だが、モラルハザードの昨今、それだけでは「おまえが先に譲れ」「おみえこそ譲れ」で喧嘩になってしまう。だから、座右の銘がものをいう。「して欲しかったら先にやれ」が日常の心がけで「お先にどうぞ」は結果ということになる。狭い道でも譲り合うようになれば広くなる。物理的に広げなくとも心がけ一つで広げられるという手品のような解決策だ。強さの物差しは勝ち負けではない。私は自分でいった答えに満足した。どんなつまらない問題でもきちんと解決できる男が強いと思っているからだし、ましてや我先に勝ち馬に乗ろうとしたり、他を蹴落として勝ち組になろうなどというのは論外だ。
 私が小さな親切運動に関わってから何十年という歳月が過ぎた。大したことをやってきたわけではないが、これも座右の銘の実践の一つである。目立たないし、それをやったから世の中が劇的によくなるわけでもない。だが、空中の塵を核に取り込まないと美しい結晶を結べない雪と同じで、小さな親切、小さな心がけも、営々と繰り返していくうちに結晶を結ぶのではないかという夢がある。そういう夢を持つ、人生でこれほどの醍醐味はない。
 浜っ子のみなさんがどんな些細なことでもまず今からでもやれるようなことを日常的に心がけたら、横浜の未来はぐんと開けるだろう、これもまた私の大事な夢の一つだ。

2007年1月 1日 (月)

横浜・明日への提言(19) 保守の革新・横浜方式

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 
 みなさん、明けましておめでとうございます。今年も思いついたことを提言として述べさせて貰います。
 今年は平成19年、新年早々から暗い話やむずかしいことをいってはもうしわけないので、横浜らしさについて考えてみたいと思う。
実は横浜らしさといっても、具体的にはすぐにイメージが浮かばない。だから、私は日本らしさから考えるようにしている。文明的にいうと日本は輸入国だから西洋文明を受け継いできたようなものだ。当然、日本らしさというと2000年近い歴史を持つ京都を中心に培われた「みやび」「わび」「さび」、400年あまりの歴史を持つ江戸を中心に育まれた「武士道」や「義理」「人情」「恩返し」など精神的な文化になる。
 150年足らずの歴史しか持たない横浜は、そうした日本的な精神文化を一人ひとりの流儀として持つだけで、全体としては統一したものを持たないから何でも受け入れた。よそから越してきたその日から「浜っ子」として通るし、関西弁、東北弁の浜っ子がたくさんいる。三代を経ないでも仲間になれる開放的な気風は貴重だし、よそには真似のできないことだと思う。
 結局、歴史的伝統をよそから持ち込むのだから、浜っ子は取捨選択の文化的センスが磨かれた。守るべき伝統がないから自由に革新的に考え、行動できる。こんな都市の気風がよそにあるかといったら、おそらく横浜以外には存在しないと思う。
 外来文化についても、決してよいものばかり入ったわけではない。外来文化の玄関口の役割を務めた先輩たちは、京都や江戸の文化に照らしながらきちんと取捨選択に努めてきた。他都市の人々は横浜で取捨選択された外来文化の恩恵に浴したのである。換言すれば、横浜は保守といわれるほど伝統を持たないし、かといって闇雲に外来文化を受け入れたわけでもない。実はリトマス試験紙的な役割を果たしたその姿こそ「横浜らしさ」なんだろうと思う。
 われわれはそういう精神的にすばらしい土俵にのぼっているわけだが、いつまでも今のままでいいわけがない。世の中の移り変わりは避けがたいわけで、現状維持だけやっていると3、4年はもつけど10年先はわからない。恐らく2年先に迫った開港150周年あたりが横浜の大きなエポックになるだろうし、しないといけない。基本的には横浜らしさを体現してきた先輩たちの業績をもう一度洗い直し、よく学んで、それを守るべき姿勢として創意工夫を加え、次代に引き継ぐ。いわゆる「保守の革新」ということになるのだろうが、横浜は伝統や因習の障害なしに保守と革新が溶け合う優位にある。われわれがまず心がけねばならないことは、先輩たちが残してくれた貴重な資産を糧と自覚し今後に生かすことだ。

2006年12月14日 (木)

横浜・明日への提言(18) 神奈川・横浜をがん撲滅先進都市に

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)


 古くからの友人である梅沢健治前県会議員などに担がれて、8月4日「がん医療と患者・家族を支援する会」という組織を立ち上げた。世間に訴えて支援の輪を広げようと11月29日に「がん医療の最前線を探る」と題するシンポジウムを企画した。開催当日、私の友人ががんで亡くなった。それも医者からがんを宣告された途端、ショックで人間が変わってしまった。ああ、これなんだ、もっと早くこの会をつくっていれば救えたのではないかと思うと、私は悔やんでも悔やみ切れなかった。
 私は医師ではないから検診も治療もできないが、みんなで支えれば死なずにすみ、助かる人がいることは紛れもない事実だ。私は悔やむと同時に「がん撲滅」は医師だけの役割ではないと肝に銘じた。
 がんの検診・医療技術の進歩はめざましく、最近では重粒子線治療というがん細胞だけにピンポイントで放射線を当て、健康な細胞に害を加えることなく病巣を取り除く治療法が開発され、最早、死病ではなくなったといえるほど治癒率が高くなった。しかし、がん検診・治療がそこまできていることを知らない人が多い。亡くなった私の友人もその一人だ。
 当日、私は会長としてのあいさつで、がんは早く発見すれば治るし、何も知らずにいる患者・家族を助けないといけないと訴えながら、この会の活動を通じて医師でなくともがん患者・家族の支えになれることを一人にでもわかって貰えるようにするのが、友人に対する何よりもの弔意であり、私自身にとっても残された人生最大の使命だと痛感した。
 技術的なことは繁雑になるので省略するが、がん治療の最先端技術といわれる重粒子線治療を始めたのは日本とドイツだけで、日本でも目下は千葉と兵庫に限られるそうだ。神奈川・横浜がまだ始めていないのはさびしいが、今からでも遅くない、たとえ重粒子線治療機器がどれほど高価であったとしても、一台といわず二台でも三台でも導入して、病死する国民の死因の3割ががんであるといわれる現実にまず神奈川・横浜が率先して終止符を打つ。そのための「がん医療と患者・家族を支援する会」でもある。880万の人口を抱える神奈川・横浜が、官学民の立場を超え一体となってがんに立ち向かう体制が取れたとしたら、何よりも新しい「神奈川・横浜らしさ」になるのではないか。
 終わりに提言を兼ねたお願いである。がんを死因とする患者のうち精神的な支えで救える人はかなりの数にのぼるはずだ。情けは他人のためならずともいう。いつ自分が3割の仲間入りをするかわからない。支援の輪に加わるだけでも自分自身の支えになると思うが。

2006年11月30日 (木)

横浜・明日への提言(17)日本らしさ、ヨコハマらしさ

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 グローバル経済のかけ声のもと、日本のアメリカ化が一段と加速した。日米同盟一辺倒の外交、銀行のアメリカ支配、末はアメリカ企業によるゴルフ場買収、あらゆる分野で臆面もなくアメリカ化が進む。経済力の優劣、軍事力の強弱があるから、一応、仕方のないことだとしても、日本とヨコハマの将来像はこの先どうなっていくのか。
 多数決を基本とするデモクラシーが「少数意見の尊重」を謳うのは、量的な欠陥を質的に補うシステムを念頭に置くからだ。今、グローバル化が世界の趨勢であるならば、日本人に求められる反対概念は「日本らしさ」である。趨勢と反対概念の両者が拮抗してこそ、当面の利害と現象に正確な判断を下すことが可能になる。これが今回の提言である。
 経済でいえば、目前の事業がただうまくいけばよいのか、事業の横の連絡をよくして仕事がスムーズに運べばよいのかという観点からすると、今の日本は後者を「護送船団方式」として排撃し、前者の競争原理一辺倒に傾いてしまった。
 ヨコハマもまた360万市民が共有する都市イメージがいまだ確立されないまま「国際都市」が謳われている。次々に外国から入り込んでくる制度や物の考え方を取捨選択するに足る判断基準もあいまいである。
 ところで、歴史的に外来文化の玄関口となったのがミナト・ヨコハマである。ミナト・ヨコハマと簡単にいうが、観光のミナト、貿易経済のミナト、市民のプロムナードとしてのミナト、大きくこの3つに分けられる。このうち経済的に重要性が最も高いのが貿易経済のミナトである。
 私は貿易経済のミナトを受け持つ責任者の一人だが、「ミナト・ヨコハマは護送船団方式でいく」と方針を明確に打ち出してきた。目標はミナト・ヨコハマで働く人のすべてが「中産階級」であり、ごくふつうに暮らせるようになること。勝ち組もいてはならないし、まして負け組もいてはならない。いわゆる共存共栄の精神を根底にした社会で、典型的な日本らしさ、戦後日本の繁栄パターンだった。ただし、私が唱えるのは、伝統に根ざした革新で、従来のように利害にからむ護送船団方式ではなく、個々が江戸時代から続いた義理・人情・恩返しの精神的文化を持ち、率先して独創的に仕事のやり方を変えていく集団である。
 格差社会が問題とされる今日、是正する方策を探る意味で貿易経済におけるミナト・ヨコハマのありように目を向けていただければさいわいである。

2006年11月14日 (火)

横浜・明日への提言(16) 記者に資格認定試験を

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)  
 
 戦前から戦後の今日まで新聞記事を丹念に集め分析してきた人がいるという。又聞きだが、その人の下した結論は「新聞が順といったら、やがて逆になる」というものだそうだ。戦前の戦争翼賛記事が戦後に平和礼賛記事になり、高度成長礼賛が公害批判という具合に論調がひっくり返る。いちいち細かいことはいわないが、私が尊敬した故秦野章元法務大臣は「マスコミは乗換え名人」と評した。
 新聞記者は足で記事を書くといわれた時代、報道界はすぐれたジャーナリストを輩出した。遅れて登場したテレビも良質でレベルの高い番組を数多く制作してお茶の間をうるおした。情報の質が高かったから個人的にも優れたジャーナリストやテレビマンが育ったのだろう。
 ところが、今日、新聞・テレビで取り上げるニュースは各種スキャンダル、事件など社会の暗部が主流で、質的に見るべきものがない。当然、だれが書いたりつくったりしても同じような記事、番組になってしまう。そんな悪循環が起きているのではないか。
 記者にとって至れり尽くせりの社会環境も質の低下に輪をかけている。政府・官公庁はもちろん企業と名がつけば広報課があり、記者会見、記者発表、パブリシティなど、ありとあらゆるお膳立てをしてニュースにして貰おうと切磋琢磨している。記者はお仕着せの情報をかき集め、選択し、リライトするだけで仕事になってしまう。記者の専門性が薄れる一方で、紙面づくりのシステムが進歩し、コンピューター操作で画面や紙面がつくられていく。ハード的には画期的な進歩だが、肝心の能力の低下を招いた現実、しかし記事の影響力は昔日の比ではない。
 さて、ところで、戦後の日本ほど価値観が大きく揺らいだ国はない。量的にいえばオピニオン・リーダーの役割を果たしたのがマスコミである。しかし、質的には低落傾向にあるとは大方が指摘するところである。
 このままでよいのか。さあ、どうするか。
 対策の一つの手立てとして新聞・テレビなどの記者の資格試験を新設し、質的なレベルアップを図る試みが考えられる。第三者の公的機関に任せるのではなく、マスコミ自身がそれを自発的にやる必要性があるのではないか。 

2006年10月31日 (火)

横浜・明日への提言(15) アンチ情報化社会人間

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)  
 
 高度情報化社会がもてはやされてから十年以上の歳月が流れ、インターネット、光ファイバー通信、携帯電話の多機能化など、確かにハード面ではめざましい発達を遂げた。しかし、情報システムをつくるのも使うのも人間である。つくる人間はわずかで賢いには違いないが、使う人間は圧倒的多数で必ずしも賢いとは限らない。高度情報化システムに見合う人間の智恵、分別、心構えが育たなければ、弊害が便利さを上回り世の中はおかしくなってしまうだろう。
 高度情報化社会の雄インターネットは革命的にビジネスチャンスをもたらす一方で、犯罪の手段としても重宝され、頻繁に使用されている。警察は対応に追われ通しである。他方、新聞・テレビのマスコミはお茶の間に広く浸透し、そのステイタスは量り知れない。テレビや新聞にコマーシャルを出稿するとどんな企業でも信用されてしまう。宣伝にとどまらず信用付与機能まで持つようになった。だから私は、FMヨコハマのリスナーでもある若い人たちを不幸にしたくないという思いで、今もってサラ金のコマーシャルを認めない。正しい尺度で取捨選択することを怠り、安易に情報を垂れ流し、便利に慣れて暮らしていけば、社会の形骸化、人間力の退化・空疎化はとどまることを知らなくなってしまう。
 常に反対を手当せよ――が、私の考え方の一つだ。東海道を何日もかけて歩いて旅をした江戸時代の人の身体能力は今日の人の比ではない。事件や盗難など犯罪に対する用心にも知恵を絞った。犯罪に対して丸腰同然の現代人とはまるで別次元のレベルにある。知恵と力が備わっての自己責任である。
 すなわち、高度情報化社会を強く正しく賢く生きるには、現代人が「アンチ高度情報化社会人間」になる必要がある。文明の程度を無視すれば次代の難問、不足の事態に対処する能力は間違いなく江戸時代の人間のほうが上である。日頃から不便に慣れ、結果として人間的な資質・能力が磨かれたのだろう。
いずれにせよ、強く正しく賢い人間が高度情報化システムを操ってこそ本当の意味での恩恵が生まれるということだけは確かなようだ。

2006年10月13日 (金)

横浜・明日への提言(14) 東京ジャック

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 前回は東京への人材集中構造が質的に崩壊しつつあることに触れた。東京は首都機能を持つだけに経済的には依然として中央としての活力をまだ保っている。というよりも、構造改革で地方が疲弊した分、東京の突出ぶりが際立ってきた。しかし、政治・文化・人情などの精神的な面ではアメリカナイズが進み、東京そのものがシングルイシューの思考停止状態に陥っている。経済効果、勝ち組・負け組、再チャレンジといった言葉が意味するように、経済オンリーのシングルイシュー化現象のため江戸の文化も人情も影が薄くなってしまった。幽霊の正体見たり枯れ尾花である。
 このときに横浜は何をすべきか。
 世の中は経済だけで成り立つわけではない。政治もあり、文化もスポーツもあって、歴史が営まれる。だから、浜っ子が日本史本流に身を投ずる気概を持つ――東京ジャックが、今回の横浜への提言である。
 病は気からといわれるように、文化的な発想においても、スポーツにおいても、気概が果たす役割は実に大きい。商店街野球から高校・大学・社会人野球に至るまでアマ野球を結集した神奈川県野球協議会を立ち上げたのも、私の東京ジャックの試みの一つである。東京ジャックを思考の糸口にすれば新しい視点も発想も自在に生まれるはずだ。
 しかしながら、首都機能を持たない横浜が経済面で東京ジャックを試みるのは現実的ではない。だから、経済的なことは当面保留にしておいて、政治・文化・スポーツの分野で東京ジャックに着手しよう。その方策はこれからも提言するが、これまで述べたいくつかの提言も「東京ジャック」の気概から発している。
 ところで、東京が失った精神文化を地方が際立たせるのが東京ジャックである。箱ものだけつくって 中身は東京から借りる従来のやり方では「地方文化」は育たない。「東京ジャック」を合い言葉に地方がその気概で政治・文化・スポーツの振興に取り組むことが「地方の時代」の本当の意味での第一歩だろう。
 横浜が全国に先駆けて東京ジャックの旗振り役になる。これもまた大事な「横浜はじめて物語」の切り口の一つである。