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2006年12月14日 (木)

横浜・明日への提言(18) 神奈川・横浜をがん撲滅先進都市に

18

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)


 古くからの友人である梅沢健治前県会議員などに担がれて、8月4日「がん医療と患者・家族を支援する会」という組織を立ち上げた。世間に訴えて支援の輪を広げようと11月29日に「がん医療の最前線を探る」と題するシンポジウムを企画した。開催当日、私の友人ががんで亡くなった。それも医者からがんを宣告された途端、ショックで人間が変わってしまった。ああ、これなんだ、もっと早くこの会をつくっていれば救えたのではないかと思うと、私は悔やんでも悔やみ切れなかった。
 私は医師ではないから検診も治療もできないが、みんなで支えれば死なずにすみ、助かる人がいることは紛れもない事実だ。私は悔やむと同時に「がん撲滅」は医師だけの役割ではないと肝に銘じた。
 がんの検診・医療技術の進歩はめざましく、最近では重粒子線治療というがん細胞だけにピンポイントで放射線を当て、健康な細胞に害を加えることなく病巣を取り除く治療法が開発され、最早、死病ではなくなったといえるほど治癒率が高くなった。しかし、がん検診・治療がそこまできていることを知らない人が多い。亡くなった私の友人もその一人だ。
 当日、私は会長としてのあいさつで、がんは早く発見すれば治るし、何も知らずにいる患者・家族を助けないといけないと訴えながら、この会の活動を通じて医師でなくともがん患者・家族の支えになれることを一人にでもわかって貰えるようにするのが、友人に対する何よりもの弔意であり、私自身にとっても残された人生最大の使命だと痛感した。
 技術的なことは繁雑になるので省略するが、がん治療の最先端技術といわれる重粒子線治療を始めたのは日本とドイツだけで、日本でも目下は千葉と兵庫に限られるそうだ。神奈川・横浜がまだ始めていないのはさびしいが、今からでも遅くない、たとえ重粒子線治療機器がどれほど高価であったとしても、一台といわず二台でも三台でも導入して、病死する国民の死因の3割ががんであるといわれる現実にまず神奈川・横浜が率先して終止符を打つ。そのための「がん医療と患者・家族を支援する会」でもある。880万の人口を抱える神奈川・横浜が、官学民の立場を超え一体となってがんに立ち向かう体制が取れたとしたら、何よりも新しい「神奈川・横浜らしさ」になるのではないか。
 終わりに提言を兼ねたお願いである。がんを死因とする患者のうち精神的な支えで救える人はかなりの数にのぼるはずだ。情けは他人のためならずともいう。いつ自分が3割の仲間入りをするかわからない。支援の輪に加わるだけでも自分自身の支えになると思うが。