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2007年1月 1日 (月)

横浜・明日への提言(19) 保守の革新・横浜方式

19

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 
 みなさん、明けましておめでとうございます。今年も思いついたことを提言として述べさせて貰います。
 今年は平成19年、新年早々から暗い話やむずかしいことをいってはもうしわけないので、横浜らしさについて考えてみたいと思う。
実は横浜らしさといっても、具体的にはすぐにイメージが浮かばない。だから、私は日本らしさから考えるようにしている。文明的にいうと日本は輸入国だから西洋文明を受け継いできたようなものだ。当然、日本らしさというと2000年近い歴史を持つ京都を中心に培われた「みやび」「わび」「さび」、400年あまりの歴史を持つ江戸を中心に育まれた「武士道」や「義理」「人情」「恩返し」など精神的な文化になる。
 150年足らずの歴史しか持たない横浜は、そうした日本的な精神文化を一人ひとりの流儀として持つだけで、全体としては統一したものを持たないから何でも受け入れた。よそから越してきたその日から「浜っ子」として通るし、関西弁、東北弁の浜っ子がたくさんいる。三代を経ないでも仲間になれる開放的な気風は貴重だし、よそには真似のできないことだと思う。
 結局、歴史的伝統をよそから持ち込むのだから、浜っ子は取捨選択の文化的センスが磨かれた。守るべき伝統がないから自由に革新的に考え、行動できる。こんな都市の気風がよそにあるかといったら、おそらく横浜以外には存在しないと思う。
 外来文化についても、決してよいものばかり入ったわけではない。外来文化の玄関口の役割を務めた先輩たちは、京都や江戸の文化に照らしながらきちんと取捨選択に努めてきた。他都市の人々は横浜で取捨選択された外来文化の恩恵に浴したのである。換言すれば、横浜は保守といわれるほど伝統を持たないし、かといって闇雲に外来文化を受け入れたわけでもない。実はリトマス試験紙的な役割を果たしたその姿こそ「横浜らしさ」なんだろうと思う。
 われわれはそういう精神的にすばらしい土俵にのぼっているわけだが、いつまでも今のままでいいわけがない。世の中の移り変わりは避けがたいわけで、現状維持だけやっていると3、4年はもつけど10年先はわからない。恐らく2年先に迫った開港150周年あたりが横浜の大きなエポックになるだろうし、しないといけない。基本的には横浜らしさを体現してきた先輩たちの業績をもう一度洗い直し、よく学んで、それを守るべき姿勢として創意工夫を加え、次代に引き継ぐ。いわゆる「保守の革新」ということになるのだろうが、横浜は伝統や因習の障害なしに保守と革新が溶け合う優位にある。われわれがまず心がけねばならないことは、先輩たちが残してくれた貴重な資産を糧と自覚し今後に生かすことだ。