横浜・明日への提言(23) 精神的遺産都市宣言
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
世界文化遺産登録のための追加国内候補が出揃ったのが1月23日。現在、登録に向けてユネスコで選考が進んでいると思われるが、もし、開港当時の町並みが残っていたら、間違いなくミナト・ヨコハマも候補に挙げられただろう。しかし、関東大震災、戦災で二度廃墟を経験、赤レンガ倉庫、開港記念会館(ジャック)、神奈川県庁旧庁舎(キング)、横浜税関(クイーン)、神奈川県立歴史博物館などがとびとびに残っただけで周辺は近代的なビル街に一変した。かつてはあったというだけでは世界遺産登録は無理だろう、とだれもが思うに違いない。
世界文化遺産への登録、地域名産ブランドの獲得が町おこしの手段に用いられる傾向が全国的に目立ってきた。町おこし自体は大いに結構なことである。だが、世界文化遺産、地域名産にしても、物に与えられるブランドである。横浜は物をなくしたが、精神的には復興都市だ。廃墟を二度も経験しながら常に蘇った。その歴史に着眼すれば先人たちの不屈の精神が浮かび上がる。日常は目立たないが、いざとなれば浜っ子は物凄い底力を発揮する。これほどの精神的遺産を遊ばせておくのはもったいない。
開港当時の横浜も、考えてみればゼロからの出発だった。しかし、ゼロにならないと底力を発揮しないというのではまずい。日頃から大きな目標を持ち段階を積み重ねて組み上げていく。そういう姿勢に切り替えることが、開港150年目を迎えようとする横浜の課題だ。
ミナト・ヨコハマに限っていえば、政策的にも、インフラ整備の面でも段階を踏んで、とうとうスーパー中枢港湾(ハブポート)の実現に漕ぎ着けた。京浜港に千葉港、木更津港を加えたスーパー中枢港湾が世界のハブポートとなるならば、あえてミナト・ヨコハマの伝統ある名称にはこだわらない。たとえばの話だが、スーパー中枢港湾をメトロポリタン・ポートの名前で包括し、ミナト・ヨコハマをカッコ書きすればよい。そういう大きな目標で明日にチャレンジしつづけている。
横浜市全体がこうした具体的な目標を掲げ、不屈の精神を土台に日々チャレンジし、明日を築く。目標は今後の議論に待つとして、精神的遺産都市宣言をスローガンとして、次に来るべき開港200年へのバネとしたらどうか。
目標が定まらなければ行動も始まらない。だから、目標は大きいに越したことはないし、多ければ多いほどよい。開港150周年記念イベントの目玉はその中からおのずと生まれてくるはずである。