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2010年2月15日 (月)

横浜・明日への提言(91)伝統と継承、そして温故知新 

91

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 75歳以上を後期高齢者と呼んで新しい医療制度に囲い込みを図ったり、70歳を超えたら党で公認しないとか、年齢で線引きしてある意図を面倒なしにやってのけようとする。
 70、75を過ぎると何がいけないのか。35、40の人間と比べてどうなのか。
 そのへんの検証がなされた形跡もないし、検証結果に接したこともない。なんとなくそんなおかしな空気が世の中を支配し始めているのではないか。
 介護の分野を例にとると、やれることとやれないことをあらかじめ線引きして決めておくのがトラブル防止策なのだという。しかし、実際には必要と判断すれば線引きを無視してでもやろうとする介護士もいれば、線引きを厳守する石部金吉的な介護士もいる。
 前にもどこかで述べたかもしれないが、ディズニーランドのマニュアル教育はかなり徹底したものらしいが、最後にかならず「ただし、仕事をするのはマニュアルではなくあなたの人柄です」と釘を刺すことを忘れないという。
 要するに年齢制限や規制といった線引きの問題などではなく人格の問題なのだ。基準やマニュアルはあくまでも目安、それ以下では困るからマニュアルが必要とされるのであって、超える分には一向に構わないというのが、恐らくディズニーランドの「但し書きの」の本旨だろう。
 だとすると、広く世の中に通用するマニュアルはないものだろうか。
 私は伝統がそれに相当すると考えている。古いマニュアルに新しい意義が加味され、時宜にかなった伝統に更新されていく。完成された古典芸能、その時代の光景や雰囲気をストレートに伝える民族行事、そういうものは手を加えないで残さないといけない。すなわち、それが伝承である。
 年配者は伝統と伝承の違いを峻別して今の時代の判断を誤らせない責任を負う。高齢者なら少なくともそれぐらいの自負は持ってもらいたい。若年層は意味不明の線引きをする前に伝統に何を加味したら今という時代に寄与するか、それを先に提示する必要があるだろう。そうすれば世代交代は意義あるものになるだろうし、スムーズに進む。
 ところが、若さだけが売り物で「線引きマニュアル」をダンビラに振り回してみずからに利することしか考えない石部金吉的政治家ばかりだと、世代交代は奈落に真っ逆さまの落とし穴になりかねないし、民主党の支持率が下がっても敵失の乗じることすらできないどこかの党のようになってしまう。
 心ある向きは、もって他山の石とすべきだろう。