横浜・明日への提言(90)暴力資本主義、待った
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
ヘッジファンドのマネーゲームに象徴される強欲資本主義が個人主義と結託した状態を私は「暴力資本主義」と呼ぶことにしている。そもそも資本主義は何かといえば、人間が生きていくために必要とする製品をつくり、販売することで利潤を追求するのが本来だった。資本も生産のための潤滑油として機能した。投機性のない純然とした投資であり、投資家は企業を育てる楽しみを知っていた。企業の成長につれて国民の生活レベルも上がり、それがまた企業の成長の原動力を生み出した。今思うと極めて健全な資本主義だった。
ソニーがトランジスタラジオを世界中に売りまくって中小企業から一躍一流企業にのし上がり、日本のものづくりの世界進出に先鞭をつけた結果、ものづくり立国といわれるほど日本の製造業は活発になって、働く労働者もまた中産階級にのし上がった。日本が一億総中産階級化するという輝かしい時代が到来した。
世界に冠たる「総中産階級社会」を維持するためにありとあらゆる規制を駆使していかなければならないはずだったのだが、日本の政府は外圧に屈して金融の規制緩和に走ってしまった。バブルとバブルの崩壊という日本経済を襲ったダブルショックの原因は多々あるだろうが、東京が世界の金融センターになったという錯覚と奢りから、「ものづくり立国」という本来の姿を見失ったのが最大の原因で、そのツケは実に大きかった。
日本のバブルとバブル崩壊はアメリカが仕掛けた金融戦争(仕手戦)に敗北した結果といわれるが、勝ったのはアメリカではなく一握りのヘッジファンドだったという。
「日本が金融の智恵で世界に太刀打ちできるようになるためには、教育から改革していく必要がある」
勝者アメリカの金融アナリストはこのように豪語した。
金融理論を完全にマスターしているのは世界でもほんの一握りの人間しかいないそうだ。そんな奴らで固めたヘッジファンドを規制緩和で後押しして野放し状態に放置したのが市場原理主義者の構造改革だった。
「儲けたい人はいくらでもどうぞ」
こんなバカな話はない。儲けること自体が目的化してどうすんだ。ごく一部の人間にしか理解できない金融など話にならん。金融システムの規制強化で実体経済の安定化を図るなど、対抗すべき智恵はいくらでもあるはずではないか。勝った負けた、金の多寡、そんなものを価値判断の尺度にするようなことはやめよう。まっとうに汗をかいて稼ぐ、足りないときは分け合う、困ったときはお互い様で助け合う。こういう尺度で世の中を築いていこう。
まず、「隗より始めよ」である。経営者の一人、団体のトップとして、私は自分が受け持つブロックで、そういう潤いのある組織にするよう努力してきたし、これからもつづける決意である。あとにつづく経営者、団体のトップが増えることを祈るばかりである。