横浜・明日への提言(92)ありがとう、すみません
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
大したものだ、かなわないな、俗にシャッポを脱ぐ、兜を脱ぐという気持ちにさせられるのは、感謝を知り謙譲な人に対してである。一国の総理であろうが、どんなにエライ人であろうが、「ありがとう」と「すみません」がいえないようでは尊敬の念が湧かない。
衣食足りて礼節を知る。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。
古い諺を持ち出すまでもなく、威張った人間よりも謙虚でよく感謝する人間のほうが親しまれるし、尊敬もされる。当然、そういう人なら信頼もされるだろう。
ちょっと強引に信頼を持ち出したが、信頼はどこから生まれるかという差し迫った疑問というか、問いかけの答えを私なりに探してきた。なぜ信頼について差し迫った問いかけをするかというと、今、政治家も企業のトップも国民の信頼、社員の信頼、極論すると仲間の信頼さえ失ったような光景を随所に見受けるからである。
信頼が伴わなければどんな立派なことをいってもスタッフは面従腹背で実力を発揮しなくなってしまうし、そんな状態が長くつづこうものならお互いに尖った気持ちになって、ますます信頼の念が薄れ、叩けばカンと金属的な音がしそうな世の中になっていく。
選挙の公約が守れないことが問題で、それが少しも解決していないのに、あるいはだからこそというべきか、より本気度を強調しただけのマニフェストを持ち出すような世の中は、どう考えても現代イソップの領域に踏み込んだとしか思えない。今の政権がその例になりはしないか。マニフェストの自縄自縛から脱し切れないで、そのうち自滅自壊するのではないか、そのような懸念を抱かせるようなことではいけない。
世論調査の支持率が判断・決断の尺度だというのに、信頼がなかったらどうなってしまうか。民意に対する逆の意味での面従腹背政治になってしまう。その最初の鬼子がマニフェストだったわけだ。
どうしたら、信頼関係を復活できるのか。
必要とする時間を考慮せずにいうと、政治家、経営者を含めた国民一人ひとりが、「ありがとう」「すみません」をごく自然にいえる日常を構築することから始めるほかないように思う。
そんなの簡単じゃないかとおっしゃるなら続けてご覧なさい。一回や二回なら嘘や誤魔化しでいえるだろうが、日常的に続けるとなると容易なことではない。素直にいえるにはまわりを尊重し、親しみ、まろやかな気持ちにならないと、その簡単な言葉が喉に詰まって出なくなってしまう。
うそだと思うならやってご覧なさい。
もしもあなたがいえたなら、そこから先は私の出る幕ではないから、今、ここで、ことさらにいう必要はないだろう。