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2009年10月15日 (木)

横浜・明日への提言(83)大変革の時代を生きるには

83

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 凋落が嘆かれているニッポンのものづくりの分野でも根底から覆すような大変革が起きた。アナログ時代には新製品を日本で最初に出して、順番に次はアメリカ、その次がヨーロッパ、さらにはブラジルといった具合に世界中に広まるまで一年かかった。部品づくりも最初は国内だけだから月に1万個も生産できればオンの字、アメリカ向けが始まったから月に2万個、ヨーロッパ向けが加わって3万個という具合に時間的にも量的にもズレがあって、段階を踏んで増やしていけばよかったから、品質のリスクは分散されたし、在庫管理もしやすかった。
 デジタル時代を迎えてそれがどう変わったかというと、IT化のせいで世界同時発売ができてしまう。世界同時発売になると、部品メーカーも、セットメーカーも、ヨーイドンで急激な立ち上がりを要求されるから、スタートダッシュに失敗したら全部在庫にまわって、結局、バッタ屋にまわすほかなくなってしまう。スタートが間に合ったとしても品質管理に落ち度があろうものならリコールで莫大な損失を出したうえに在庫を一気に増やしてしまう。そういう時代に人間が「二者択一」を即断定・即反応するだけの単純な知能でよいのだろうか。
 戦後日本の奇跡的な復興と高度成長はあの時代には当たり前だった「反労働基準法的空間」と「アナログ的思考」のお陰と私は理解している。戦災で家も工場も失い、機械も材料も時間をかけて苦心して集めなければ何もつくれなかったから、エンジニアは自分で工具類をつくることから始めた。だれもが必要とする新しいものをつくるためには未知の知識をどんどん取り入れていく必要に迫られた。学習パターンでいうと「脳から手へ」「手から脳へ」の反復訓練が必然のこととして繰り返されたのである。一人の人間が材料探しから実装まですべてをこなし新技術の導入までやったから世界に比類のないエンジニアたちを輩出、ものづくりニッポン王国が実現をみたのである。
 今日のエンジニアが知識ばかりではなく当時のような高度のノウハウを身につけるにはどうしたらよいか、そこまで説明すれば答えはいうまでもないだろう。経営者と法律家が激論を闘わせれば「月月火水木金金」のような「反労働基準法的空間」をつくるのは可能だろうし、雇用関係で縛らず志願者で組織化を図れば過労死の問題も生じない。嫌々やらされるから過労が死につながるのであって、好きでやる分には支障がないことはわかっている。
 もう一つ決定的に復活が必要なのが「修練」である。基本動作から高度のバリエーションまで今日も修練に明け暮れるスポーツ選手が世界新を連発できるのはそのためである。そういうお手本があるというのに、アフター5に楽しみを求めたり、電子ゲームに埋没したり、即断定・即反応の二者択一構造にいつまでもしがみついて甘んじていてよいものだろうか。構造改革が必要だったのは、むしろ、こっちの分野ではなかったか。