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2008年1月

2008年1月31日 (木)

横浜・明日への提言(44) ヨコハマの存在感を示そう

44

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 政治は給油問題で揺れてきたが、それについて思うことがある。ショー・ザ・フラッグということだ。インド洋での対テロ活動を支援する海自の補給艦が引き揚げて、国際的に見える日本の旗がなくなってしまった。対テロすなわち日本のシーレーンに出没する海賊退治も含まれるのだから、石油依存度の高い日本にとっては他国の火事場ではない。自国のタンカー航行の安全を守る場である。2001年10月、対テロ特別措置法が成立したとき、最初から「主体的寄与」といえばよかったのに、アメリカ主導の対テロ活動に協力するようなニュアンスで大義名分を唱えてしまった。
 国際貢献にショー・ザ・フラッグが必要なことは、湾岸戦争のとき130億ドルも出しておきながらクウェート政府の感謝広告に日本の名がなかったという苦い教訓が教えている。今度はそのトラウマが日本国民の理解を妨げた。
 アメリカのためじゃない、どこのためでもない、日本のタンカーを守りに行く。日本のタンカーの航行の安全を確保するため国際テロに対して専守防衛で自衛艦を出そう。それぐらいのことをいってもよかった。憲法の制約から自衛艦は無理だろうが必要なんだ、いや駄目だといった具合に議論が熱く盛り上がって、国民に対する「ショー・ザ・フラッグ」になり、給油支援活動は日本の当然の義務という理解と認識が国民に行き渡り、補給艦が引き揚げるような事態にはならなかったろう。
 だから、私は今度の失態は憲法問題関係なし、国連決議関係なし、政治家のアンテナと説明のダブル・ミスマッチの問題と見ている。国民に対するショー・ザ・フラッグがなってなかった。そのために国際貢献の場における唯一のショー・ザ・フラッグまでおかしな結果になってしまった。
 わかりやすくいうと基本はこういうことだ。
 新年会の時期だが、どこかで宴会を開こうという場合、みんなと一緒に行く。「いや、俺は都合が」などといわないで、みんなが行くときは、たとえ隅っこでもいいから、そこにいるのが大切。その積み重ねが「おお、あいつ、いつもいるな」という存在感につながっていく。
 日本は大国でなくてもいいから、国情に合わせた付き合い方を知っているという評価が得られるようにする。国連の常任理事国になるより、ある意味ではこっちのほうがずっと大事かもしれない。新年に当たってふとそんなことを思った。
 横浜開港150年記念イベントについても同じことがいえる。みんなが「わあわあ」いってるのだから、たとえ隅っこでもいいから何らかのかたちで参加する。そのとき、そこに存在する。それがささやかな地元貢献になる。地元貢献の小さな積み重ねが大きなウェーブになって、「横浜はすごいじゃないか」という存在感につながっていく。
 国はショー・ザ・フラッグを間違えたが、来年、開港150年を迎える横浜はショー・ザ・フラッグをしっかりやっていきたいものだ。折角のチャンスを遊ばせることはない。

2008年1月14日 (月)

横浜・明日への提言 (43) ブータンのGNHに学ぼう

43

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 前々回、私はグローバル主義、市場原理などは一切お断りと述べたが、外国の考え方などをなんでも排斥するわけではない。取り入れるよい点があれば進んで取り入れてきた。そのよい例がブータンのGNHだ。
 GNHのGNは私のいう義理、人情ではなく、国民全体(国民総生産GNPのGN)、Hはハピネス。だから国民みんなが幸せになろうということ。ただし、ハピネスを意味する「H」には実に深い味わいがある。ひとことでいえば、何はともあれ今の幸せを噛み締めようというようなことだ。しかも、国民みんながそういう考え方をしている。ブータン国民のこうした平均的な考え方を知って、私はほかの国よりいろんな物を持ち世界を相手に伍していけるめぐまれた日本で、しかも、横浜で暮らせる幸せ、振り返ってみて自分がどれだけ幸せかを痛切に思い知らされた。それからは、どんなに間違ったこと、ひどいことをいわれても怒らないで、「この人は気の毒だな」と思えるようになった。世の中の間違いに気づいても批判はやめて提言をすることにした。すべてにおいて気持ちが明るくなり、前向きに受けとめられるようになった。
 しかし、今、日本人にいちばん欠けているのがこの「H」だ。物があふれていつでも手に入るのにありがたいと思えない。あれが欲しいと思うが、つかんでしまうとありがたいとも思わないで、すぐに次の物が欲しくなる。欲ばかりかいて満ち足りない。次から次へ飢えたように欲を追い求めて自分という存在まで念頭から消えてしまう。これは実に不幸なことだ。
 しからば、どうしたらよいのか。
 私はハピネスの「H」を子どものうちから教える必要があると感じて、横浜スタジアムで野球の試合をするために集まった小学校一年生から四年生の少年選手たちと付き添いの親も含めて一万人にいった。
「みなさん、おはよう」
「おはよう」
「みんな幸せだよ。ちゃんと朝ごはん食べて、こんなにきれいなユニフォーム着て、横浜スタジアムへ来て、みんなで野球ができる。幸せだよ。忘れちゃ駄目だよ。大きい声でありがとうといおう」
「ありがとう」
 それで終わり。幸せかと聞くのではなく、子どものうちから幸せだといわせないと駄目なのだ。  
 今の日本はいろんな問題を抱えている。いろんなかたちで不都合に泣く人がいる。泣き寝入りしろというのではなく、今、この国で暮らせるめぐまれた面に目を向ける。どこの国よりも平和だ。それだけでも大きな恩恵だと思えれば、当面する困難に立ち向かい不都合を自分の手で解決しようという気力が湧く。
 横浜の明日がここから始まる。

2008年1月 1日 (火)

横浜・明日への提言(42) 年頭所感、川の流れのように

42

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

  みなさん、明けましておめでとう。今年も明るく健やかに元気で素直に生きましょう。私の年頭所感は、川の流れのように・・・。
 私は77回目の正月を迎えたが、思うところあって脱アンチ・エイジを決意した。年甲斐もなく張りきらない。私はまだ若いなどと肩肘張らない。若い者にはまだ負けないなどという挑戦的ポーズはやめる。
 年齢相応、すなわち、川の流れのように・・・。
 去年までの私はアンチ・エイジの生き方をしてきた。やらなければならない大きな仕事が残っている。責任も重い。頑張らなくっちゃ。それには体力の衰えを防がなくてはというようなことで、毎朝、本牧から横浜都心の会社まで歩くことを義務のように考えて実行してきた。ところが、ある日、途中で突然気がついたことがある。朝が早いからまわりに人がいない。私は携帯電話を持たない主義だから、何か身体に不調があったとき、気づかれないまま大事に至りかねない。志半ば、責任の中途で倒れることだけはしたくない。そこで脱アンチ・エイジを決意したわけである。
 ただし、歩くのをやめたわけではない。77ともなると体の諸機能のエンジンのかかりが遅くなる。寒い朝、いきなり外へ出て、「さあ、歩け」というのはいかにも酷である。ならば、体が十分に温まった帰宅時に歩く。だから、まだまだ歩く。
 生涯現役は親譲りのモットーだから、老衰して体がいうことを聞かなくなるまで働く。ただし、若い者にはまだ負けないなどという挑戦的ポーズはやめる。世代の交代は大歓迎。どんどん追い越していって貰いたい。追い越す手助けもしよう。決して場所はふさがない。
「どうぞ、お先に」
 歩きながら後進が追いつくのを待つ、それもまたよし。
 若い世代の人たちも、しなやかで馬力のあるエンジンを持っているのだから、「シーラカンスは引っ込め式」の挑戦ではなく、実力で突っ走って、早く追いつき、追い越して貰いたい。脱アンチ・エイジを決意してから、その瞬間を期待する楽しみが生まれ、ますます気持ちに張りが出てきた。
 以上が私の年齢相応、川の流れのように・・・。
 若いみなさんは私の年齢相応とはかなり違うと思う。体力、気力とも充実しているのだから、時には立ち止まり、あるいは疾走し、緩急自在に「お先に、失礼」でいって貰いたい。
 それが最もフェアな世代交代ではないだろうか。
 だから、戸籍の年齢比較だけで「老害」「場所ふさぎ」などとはいわないで欲しい。いえば自分の将来に唾を吐くことになってしまう。
 年齢相応に、川の流れのように、私は歩きながら、仕事をしながら、今年もフェアな世代交代を楽しみにして待つ。
 本年も、どうぞ、よろしく。