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2007年3月14日 (水)

横浜・明日への提言(24) だからGNO、やっぱりGNO

24

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 日本の安全神話は過去のものになったと聞く。犯罪の間口が国際的になり手口も巧妙化、件数が激増した結果、検挙率が大幅に低下したのは事実である。
 故秦野章元警視総監・法相からの又聞きだが、戦争中の日本は犯罪発生件数が皆無に等しかったそうだ。理由は「隣組」が周囲に目を配っていて、それが犯罪の抑止力になったのだという。
 日本の安全神話復活には、戦前の隣組に代わる国民的防犯意識の高まりのほかに、もう一つ欠かせない条件がある。日本は未曾有の法治国家になったが、逆に犯罪が増え、巧妙化した。法律の網をどんなに張りめぐらせても、警察・検察、裁判所が忙しくなる一方で、安全神話復活にはなかなか結びつかない。高度化しすぎた法治国家にはこのような落とし穴がある。
 思い返せば、秦野さんはこんなこともいった。
 「戦後になって犯罪が多発したのは、社会的な規範が弱まったからだ。犯罪を摘発する側も菩提心が薄れた。法律には文学もある」
 犯罪を未然に防ぐうえで国民の日常生活を律する規範つまり義理と恩返しの精神がどれほど大切か、取り締まる側は法律の条文だけでなく法の精神すなわち人情が大事だ、と私はそのように理解する。 
 社会的規制力とは道徳に裏打ちされた常識、コモンセンス、つまり、義理(G)、人情(N)、恩返し(O)である。人情をかけられれば義理が生じ、恩返しをしたくなる。私はこれを「分別の連鎖」と呼んでいる。人情をかけてくれた人に恩返しをしようとしてもいつまでも入超状態で埒が明かないから、やがて世の中という不特定多数に仕向けるようになる。結果として志操の正しい人が育ち、社会的規範がしっかりする。だから、日本の安全神話を復活させるもう一つの決め手は、やっぱりGNOだ。
 逆に「負の連鎖」がある。法治国家が行き過ぎて法律が複雑多様になると、犯罪を取り締まる側は条文を覚えるのに追われ、適用するのが精一杯で法の精神をどこかに置き忘れてしまう。犯罪者は取り締まる側が次第に機械的になっていく世の中の仕組みを逆恨みして、更生どころか報復を企てる。いわゆる悪の恩返しである。世の中、社会はどうなるか。これが、私のいう「負の連鎖」だ。
 今の日本の世の中の仕組みはどちらだろうか。
 子どものいじめ問題、非行、犯罪の横行は、世の中の仕組みを敏感に感じ取った結果である。大人、子どもの区別なく多発する犯罪・違反をなくすには病理学的な批評・解説も必要には違いないが、臨床学的な手立てが何よりものをいう。だから、秦野さんは「評論」(病理学的所見)といわないで「法律には文学もある」といったのだろう。
 ミナト・ヨコハマといえばGNO、単語にして三つ、これをすべてに当て嵌めてやってきたから仲間うちで犯罪は皆無に等しい。掟は押しつけられるのではなくみずから律して心に持つものだから簡単明瞭であることが望ましい。だからGNO、やっぱりGNOなのである。GNOを横浜全体に広め、日本全国に拡大する。そういう精神的・道徳的・国民的構造改革運動が必要な時代になった。