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2007年3月 9日 (金)

ヨコハマ ストーリー  第50回 「私のみなとみらい21物語」

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ヨコハマストーリーは、FMヨコハマで2005.4.5~2006.3.26(毎週日曜日 出演:小林節子)に放送された番組の脚本抄録です。

魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」今日は、「私のみなとみらい21物語」。

港町・横浜の新しい顔として発展めざましい「みなとみらい21」。かつて造船所などがあったこの地域の再開発が計画されたのは1965年のこと。造船所の跡地と埋め立てた土地を併せて開発し、関内・伊勢佐木町と横浜駅周辺を一体化することで横浜を再生することを目的とした事業だ。
1981年に一般公募で「みなとみらい21」と名称が決定し、83年に事業は着工された。横浜ベイブリッジが開通した89年には横浜市制100周年、開港130周年を記念した「横浜博覧会」が開催された。以後、開発が本格化し1991年にパシフィコ横浜、93年に横浜ランドマークタワー、97年にはクイーンズスクエア横浜などが開業し横浜のシンボルとなっている。2004年にはみなとみらい線も開通し都心からのアクセスが充実。21世紀にふさわしい未来型都市を目指して現在も開発が進められている。

 九州に暮らす大学時代の友人と久しぶりに会うことになった。待ち合わせ場所は彼女が宿泊しているヨコハマ・グランド・インターコンチネンタル・ホテル。ラウンジに入るとすでに彼女とご主人は座っており、手を振って合図を送ってきた。
 「随分久しぶりね。何年ぶりかしら?」
 「そうね、卓也が大学に入学して以来だから、丸4年ぶりだわ。」
彼女は大学卒業後、地元・九州に戻り就職。結婚後、3人の子宝に恵まれた。卓也君は一番下の子で、彼の大学の卒業式に出席するため旅行を兼ねて横浜を訪れたのだ。
 「私、ずっとここに泊まってみたかったの。テレビや雑誌で横浜が紹介されると、必ずヨット型のこのホテルが映るでしょ?卒業式の会場とも近いからと言って主人を何とか口説いたの。」友人がそう話すと、隣のご主人は苦笑いを浮かべた。
卓也君の卒業式は、すぐ近くのパシフィコ横浜国立大ホールで明日行われるという。ここ数年、神奈川にある多くの大学が入学式や卒業式の会場として使用しているようだ。しばらく話したあと、私は彼女を連れみなとみらい21を案内することにした。
 私は、4年ぶりという彼女に、まず横浜赤レンガ倉庫やGENTO横浜などこの4年の間にオープンした施設を案内した。GENTO横浜の「横浜はじめて物語」で開港当時のレトロな雰囲気を楽しんでから、ジャックモールそして横浜美術館の前を通り、横浜ランドマークタワーへ。館内に入ると、袴姿の若い女性のグループを見かけた。彼女たちは今日卒業式を迎えたようだった。
 「明日は卓也君の番ね」と話しかけると「ええ。でも、明日の卒業式は私たち夫婦の卒業式でもあるの。末っ子のあの子が卒業して社会に出ると、親の役目は終了でしょ?これで私たちも子供から卒業なのかなぁって・・・。いろいろ大変だったけど、ちょっぴり寂しいわ」友人は微笑みながらそう言った。
 「そっか・・・。卒業おめでとう」
 「ありがとう。これからは夫婦の時間を大切にしていきたいわ。実は今度夫婦で温泉旅行に行くの。子供たちからのプレゼントよ。それが私たちの卒業証書じゃないかしら?」彼女は卒業式を迎えた袴姿の女子大生のように清清しく微笑んだ。
 
今日の「私のみなとみらい21物語」いかがでしたか。出演、小林節子 脚本、二羽信宏でおおくりいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また、来週をお楽しみに。


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