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2007年2月 2日 (金)

ヨコハマ ストーリー  第45回 「私の六角橋商店街物語」

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ヨコハマストーリーは、FMヨコハマで2005.4.5~2006.3.26(毎週日曜日 出演:小林節子)に放送された番組の脚本抄録です。

魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」今日は、『私の六角橋商店街物語』。

東急東横線・白楽駅前の六角橋商店街。表通りから一つ裏にはアーケードに覆われた仲見世通りがある。人がすれ違うのも大変なこの通りは、まさに昭和の下町風情が今なお残っている。通りは肉屋、魚屋、八百屋といった定番商店から、時計屋、鉄道模型などの専門店、そしてラーメン、オデン、カフェなどの飲食店まで、180店舗近くが軒を連ねる。近くには神奈川大学があり、お年寄りから若者まで通りを行き交う人々の年齢層は幅広い。六角橋商店街は今も残る昭和下町情緒のおかげで、テレビや映画のロケ地に選ばれることも多く、最近思わぬ注目を集めている。

 白楽に住んでいる大学時代の友達、正を久しぶりに訪ねた。落ち合った白楽駅は神奈川大学の学生さんだろうか?若者たちの姿が目に付き、六角橋商店街も活気が感じられる。
 昨年2月、仲見世通りの一角で18店舗を焼く火災が起きた。仲見世通りの狭い路地をいくと、現場はいまだにビニールシートがかけられていた。ビニールシートの前には食料品が並べられ商売をしているのに驚いた。そのたくましい姿にかつての昭和の風情を見たような気がした。
 仲見世通りの中ほどにある[喫茶・はら]にむかう。正と私の白楽でのおきまりのコース。途中アクセサリー店や南国風のカフェなど、新しい店もいくつか見受けられた。新しい店も不思議に通りの雰囲気に溶け込んでいる。
 「喫茶・はら」は座席が12席しかない小さな喫茶店。いつも黒いエプロンのマスターが一人で切り盛りしている。マスターは60代半ばで戦後間もない頃から六角橋に暮らし、20数年前からこの場所で喫茶店を経営しているという。 マスターと昔話に花を咲かせた。しばらくして一人の男性が店に入ってきた。
 「おじさん、お久しぶりです!」とマスターにニコニコしながら話しかける。
彼は元・神奈川大学の学生で、15年ぶりに六角橋を訪れたという。学生時代にこの店に通い、よくマスターの作る焼きそばを食べていたそうだ。15年前と変わらないという店の雰囲気にとっても嬉しそうだ。彼は当時自分の暮らしていた下宿屋が無くなっていたこと、通った銭湯はまだ残っていたことなど、マスターと私たちに語りかける。
 そんなことを話していると、今度は若者が二人入ってきた。そして開口一番「おじさん、卒業決まったよ!」。2人は神奈川大学の4年生でこの店の常連。卒業が決まりマスターに報告しにきたのだ。卒業後は一人は故郷の大阪へ、もう一人は千葉の企業に行くとのこと。
 それを聞いた男性は「じゃあ、今日は先輩がおごってやるから、何でも注文していいぞ」と若者たちに語りかける。
 「ありがとうございます!」
 「その代わり、卒業して横浜に来ることがあったら、必ずこの店に寄るんだぞ」と男性は付け加えた。六角橋商店街。古き良き時代からの商店街に息づく優しがいまも残っている。

今日の、『私の六角橋商店街物語』いかがでしたか。出演、小林節子 脚本、二羽信宏でお送りいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・

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