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2006年5月19日 (金)

ヨコハマ ストーリー  第8回 「私の野毛山動物園物語」

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ヨコハマストーリーは、FMヨコハマで2005.4.5~2006.3.26(毎週日曜日 出演:小林節子)に放送された番組の脚本抄録です。

魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が、世界の表舞台に登場したのは、今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航したそのときから、歩みは始まりました。そして今もヨコハマは、ユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく『ヨコハマ・ストーリー』今日は「私の野毛山動物園物語」

 野毛山動物園の開園は1951年。当時の名称は野毛山遊園地だった。どことなく日本庭園の趣を残した動物園は、起伏に富んだ地形を生かして、動物舎が上手く配置されている。キリンやライオン、フラミンゴ、ハクチョウ等、おなじみの動物や鳥類が近くで観察出来ることで、親近感のある動物園として子供たちに人気を呼んでいる。また、ほどよい広さの園内は、家族連れやお年寄りの散策路としても楽しめるのが特徴のひとつである。1999年、ホッキョクグマのユキコが亡くなったのを機に、リニューアル整備され、今日も市民に愛される動物園になっている。

 先日、中学時代の同窓会を行うというので、何年かぶりに幹事の容子と会った。当時、容子は私の家によく遊びに来ていた。それは単に親しかったからだけではなく、私の実家が映画館だったからだ。容子は動物好きで、動物の出る映画が上映されているときは必ず遊びに来て2人で一緒に観た。なかでも「子鹿物語」は、涙をポロポロ流しながら観た映画の一つだった。
 中学生の時、私が家に宿題を忘れてしまったことがある。困っていると容子が、お昼休みに取りに行ってあげると言う。断っても自分は足が速いからまかせて、と引き下がらない。結局、職員室の電話を借りて、家の映画館で働いていたおじさんに頼んだ。フィルムを映画館から映画館へ運ぶ仕事をしていたおじさんは、自転車を飛ばしてすぐに持ってきてくれた。「わがままだ」とみんなから非難されたが、容子だけは「良かったわね」とやさしい笑顔で私を見つめていたのを今でもよく覚えている。
 容子とは懐かしい洋菓子店で会った。中学生の頃、この店でソフトクリームを食べたこと、最近の話、そして動物の話題で盛り上がったところで、突然容子が  「これから野毛山動物園に行ってみない」と言いだした。
 動物園は昔とは見違えるほどきれいに整備され、家族連れでにぎわっていた。
しかし、期待していたシロクマがいなかった。中に一体と外に二体置かれたホッキョクグマの像が当時を偲ばせていただけだった。1961年から1999年まで何代かにわたって動物園にいたホッキョクグマは、シロクマのユキコが亡くなったのを最後にもう飼育されていないということだった。
 「ユキコは愛嬌があって、人気者だったのよ」と容子が教えてくれた。
 私は容子を元気づけようと、同級生が経営する日の出町の焼き鳥屋さんに連れていき、生ビールを一杯ごちそうして別れた。

 今日の「私の野毛山動物園物語」いかがでしたか。出演、小林節子 脚本、浮田周男でお送りいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・