ヨコハマ ストーリー 第9回 「私の三渓園物語」
魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が、世界の表舞台に登場したのは、今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航したそのときから、歩みは始まりました。そして今もヨコハマは、ユニークな街であり続けています。
そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく『ヨコハマ・ストーリー』今日は「私の三渓園物語」
国内でも有数の広さと美しさを誇る日本庭園『三渓園』。ここは、生糸貿易で財をなした横浜の実業家 原 三渓の元邸宅だった。彼は、この地に京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し明治39年『三渓園』として一般に公開した。
約5万3千坪の園内には、10棟の重要文化財を含む17棟の古い建築物が配置されている。三渓記念館には原三渓所蔵の古美術が所蔵されている。三渓園内のどこからでも見られる、旧橙明寺三重塔は京都から大正3年に移築されたもので、室町時代の様式美を堪能できる。
第二次大戦で大きな被害を受けたが、昭和28年財団法人三渓園保勝会の手に移されたのを機に復旧工事が行われ5年後にほぼ昔の姿を取り戻した。四季折々の自然と建築物の調和は、訪れるものを優しく包み込んでくれる。
三渓園で絵を描きませんか?そのコピーに惹かれて、町内会が主催する絵画教室に参加した。初夏を思わせる日差しは、外苑の大池をキラキラと舞っている。
睡蓮を描こうと思った。三渓園の創設者、原三渓は、泥の中から清らかな華を咲かせる蓮の花を、特別愛したという。早朝のすがすがしい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。絵の道具を広げていたら、隣に初老の男性が腰を下ろした。
「私も、ここで、描いていいですか?」と聞くので、どうぞ、と笑顔で答えた。
あらためて、蓮の花を見つめる。去年亡くなった母の戒名には、『蓮』の字がついている。母にぴったりだと思った。母は、人をほっとさせるさりげない優しさを持っていた。
「お母様には、生前、お世話になりました。この絵画教室で、お会いしました。絵を描く楽しさを教えていただきました」と突然、隣の男性が言った。
母は、中学の美術の教師をしていた。
「筆のタッチが、お母様にそっくりですね」と男性に言われた。
「そうですか?」と言いながら、嬉しさがこみあげてくる。絵を描き終えたら、母が好きだった「隣花苑」で、三渓そばを食べて帰ろうと思った。隣の男性が、ふとつぶやいた。
「ほんとうに、蓮の花みたいな人でしたね」
今日の「私の三渓園物語」いかがでしたか。出演、小林 節子 脚本、北阪昌人でお送りしました。また来週をお楽しみに・・・