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2008年11月

2008年11月30日 (日)

横浜・明日への提言(63)白と黒の間にはグレーがある

63

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)   

 世論調査の専門家にいわせると「世論などはない」そうである。では、世論調査の結果は何なのかというと、「そのときどきの考え方の量的傾向であって、善悪、良否の質的判断を意味するわけではない」のだそうだ。だとすると、われわれは世論調査の結果を勘違いして理解し、間違って使っているわけである。
 しかし、今日、世論らしきものをマスコミがつくっているのも事実である。その傾向は昔からあったという。熱狂的なブームを呼び起こした小泉人気は「小泉劇場型政治」のキャッチフレーズによるマスコミの煽動の結果で、現在、マスコミは沈痛な思いで反省しているところだ。第三者の批判ではなく、マスコミ自身の自発的反省であるということに幾分かの救いがある。
 ただし、日本人、日本の国民が負った傷は深い。
 かつては世論調査を行なうと「はい」「いいえ」をしのぐ「どちらともいえない」という中間回答が4割、6割を占めたそうである。ところが、小泉劇場型政治の熱狂的な報道以来、本丸と抵抗勢力に色分けされ、こっちが白で向こうは黒という論調が紙面とテレビ画面を占拠した。マスコミの読者、視聴者である日本人、日本国民もいつの間にか「白か黒か」で物事を判断するようになった。日本人の国民性はもともと物事を多岐の角度から考えるため「どちらともいえない」という含みを持たせた回答を選択するところに個性があった。探る側からすると曖昧ながらかえってそこにいい知れぬ深みがあったという。それが、「どちらともいえない」の回答が減って、「はい」「いいえ」の回答が増えて、結果がだれにもわかりやすくなった。こんなことは世論調査ではかつてなかった一大変事なのである。
 つまるところ、日本人が変質したということだ。
 この反省が今回の提言である。
どちらともいえないなどと聞くと、煮え切らない、はっきりした意見や考えを持たないと勘違いされてしまいそうだが、事実は正反対である。どう考えても「グレー」にしか見えないから黒と決め付けると行過ぎた感じになってしまうし、白と認めるのはためらわれる。これほど客観的であるがまま素直な物の見方はない。見てみぬふりというのも、白黒つけなければならないほどのことではなかろう、という包容力のある物の見方の反映であろう。このように「どちらともいえない」という中間回答には、曖昧に答えを濁すほかなかったのだという西洋的合理主義とは対岸に位置する惻隠の情が加味されている。たとえとして適切かどうかは別として、昔のヤクザは反社会的行為をするだけのならず者もいれば、任侠を尊び、義理人情に厚い立派な親分もいた。近年それを十羽一からげにして「暴力団」と呼ぶようになった途端、みんなまっ黒になってしまった。マスコミが白黒の物差しで記事を書くようになってから、世の中がどう変化したか、昔と今の世の中と日本人の違いを対比すれば答えは明白であろう。
 今の日本人が最も必要とするのは、自分に対して寛容であるように他者にも寛容に振る舞い、今、まさに下そうとする自分の判断に対して、「ちょっと待てよ」と吟味し直す心のゆとりと思考の幅であろう。

2008年11月14日 (金)

横浜・明日への提言(62)銭ゲバもどきの方針に決別しよう

62

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)    

 
 大手出版社の看板になっていたような伝統があり名も知られた雑誌の休刊が相次いでいる。原因は何だろうか。雑誌だけの原因ではなく、広くマスコミを含めた編集方針の変化に原因がありそうだ。
 あらためて昨年の亀田問題を思う。亀田弟のアンフェアなボクシングが世間の顰蹙を買い、あたかも彼がヒーローであるかのような取り上げ方をしたTBSに批判の矢玉が浴びせられた。しかし、TBSのみに限らず、いずこのテレビ局も「視聴率が稼げればよい、銭になりさえすればよい」という編成方針が見え見えである。亀田問題という象徴的な現象でたまたまTBSだけが馬脚を現したにすぎない。
 亀田弟が強くもないのに朝から晩まで密着取材して面白おかしくヒーローに仕立ててつくられた偶像を電波に乗せて世間に垂れ流した。当日の試合は夜の8時からだったのに放送を7時から始めて「もうじき始まります」と視聴者を騙してテレビの前に1時間も余分に釘付けにしてしまった。いかにもあざとい商魂が透けて見えたからこそ新聞各紙が一斉に社説で非難の矢玉をあびせたのである。
 そうした新聞マスコミも政治家や官僚、企業のアラ探ししか念頭にないのかと錯覚しそうなくらい取材対象のマイナス面にだけ目が向いているのが現実だ。それを極端にしたのが週刊誌のバッシング報道である。火のないところに煙は立たないのは確かだろうが、だとしたても裏づけを取るどころか、扇情的に憶測を加え、事実を針小棒大にふくらませて読者の正義感を殊更に煽り立てるのはフェアではない。
 視聴率が稼げればそれでいいのか。
 販売部数が伸びればそれでいいのか。
 出版の世界のことはよくわからないが雑誌の休刊の根も同じだろうと思う。ランキング症候群といって書店で売れている書籍のみ買われる現象は読者がみずから読みたい本を選ぶことを放棄したことを意味する。
そして読者・視聴者の能力の低下が「売らんかな」の編集・編成方針にますます偏向を促し、悪循環のスパイラルにおちこんでいく。
 どうしたら元に戻るか、戻すことができるか。
 定期刊行物の週刊誌や月刊誌は季節とともにやってくる。いつも同じではない。今日は悪くても明日はよくなるかもしれない。そういう明るい明日を感じさせるような編集方針に戻すだけでよい。ただし、あざとい「売らんかな」の方針のままでいたら無理だ。売らんかなの編集方針を決然と捨て去り、今は売れなくても、よい記事をぶつけていくようにしなければ、到底、読んで震えがくる感動をもたらすような作品や記事は生まれてこないだろう。