横浜・明日への提言(35) もっと言葉を大切にしよう
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
日本人は日本語しかしゃべれない。英語はしゃべれない。フランス語はもちろん、ドイツ語も駄目。中国語も、韓国語もできない。だけど、方言はわかる。フランス人はどうか。フランス人の七割方は英語がわかる。フランス人にとって英語は方言に近いものだ。ゲルマン系言語、ラテン系言語、どちらもヨーロッパからアメリカ、アフリカへと広まったから、違いがあっても通じやすい。
いきなり何がいいたいかというと、日本人は日本から外に出ないかぎり外国語を話す機会がなく日本語しかしゃべれないのだから、これが下手くそになったら結果としてどういうことが起きるか、ということである。英会話スクールに通ったり、子どもを通わせたりすることに反対はしないが、所詮、付け焼刃だ。その前にやるべきことがある。
幕末から明治にかけて活躍した人物で山岡鉄舟という人がいた。西郷隆盛が「自分の命のいらない、始末に負えないやつだ」と嘆く一方で、「ああいう人間のいない国は滅びる」と讃えた人物である。明治になってからは表立って活躍しなかったが、明治天皇の教育係になって国に大きく貢献した。
その山岡鉄舟が一番大切にした言葉は何か。
ある日あるとき、山岡鉄舟が名人落語家三遊亭円朝に「俺に桃太郎の話をしてくれ」と頼んだ。さすがに三遊亭円朝は断ったらしいが、なぜ、三遊亭円朝に頼んでまで桃太郎の話が聞きたかったかというと、子どもの頃、眠りにつくとき、母親に桃太郎の話をして貰ったことが忘れられないからだという。なつかしい、楽しい、あたたかく包み込まれて、それを聞くと赤ん坊に戻る、子どもの頃のように心がゆたかになれる、つまりそれが、山岡鉄舟の言葉の原点になっていて、常に復習を怠らなかったということだろう。
徳川幕府最後の幕臣で、敵方の西郷隆盛と言葉で渡り合って江戸が火の海になるのを防いだ人間が、鋭い舌鋒を身につけるのに母親の言葉から入っていった。このことをよく考える必要がある。
「母親の言葉が今日の俺をつくってくれた。だから、音楽を聴け、数学を勉強しろ、歴史を習え、そんなのは後の話だ」
山岡鉄舟はそういった。
日本国民には国語として日本語がある。まず、日本語をしっかりしゃべるようにする。ビジネスで外国人と相手の国の言葉で話す必要がある人でも、自分をつくってくれた日本語をしっかりマスターする。そうでないと外国語の原点がわからない。本物の外国語を相手に太刀打ちできない。
技術で勝負した時代は向こうが理解しようと努めてくれたから、片言の外国語で間に合った。それがビジネス中心に移ってくると、今度はこちらが理解しようと努めなければならない。日本語も大したことない、外国語もほどほど、これでいいのか。
今、どうにかできるとしたら、日本語を極めることではないか。
私が訴えたいのはそこである。