ヨコハマ ストーリー 第38回 「私の新横浜ラーメン博物館物語」
魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」きょうは、「私の新横浜ラーメン博物館物語」
ラーメンブームを決定的にしたのはこの博物館かもしれない。館内すべてがラーメン専門のミュージアム「新横浜ラーメン博物館」だ。1994年のオープン以後、新横浜の人気スポットに成長した。JR新横浜駅からオフィス街を歩くこと5分。入場料は大人300円,子供100円。3ヶ月間何度でも使えるフリーパスは1000円。昭和の街なみを再現したレトロな館内、全国各地からえり抜きの名店のラーメンを手軽に食べられるほか、ラーメンのうんちく満載の展示ギャラリーなど何度訪れても楽しめる。
友人の恵子と待ち合わせたのが新横浜駅。
「おなかは」
「空いてる」
アウンの呼吸だ。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」がヒットして昭和、それも33年がブームだが、ラーメン博物館は、毎日が昭和33年。生活はまだ貧しくとも、行く手に希望が仄かに見えたあの時代。力道山の空手チョップが始まると我が家は、テレビを前に隣近所の人たちで茶の間から玄関先までが埋まった。当時のことで、いまこの歳になってもみる夢がある。
両親が一緒になって映画館をやっていたということもあって、ひとり留守番をしていることが多かった。その時に鳴る電話のベル。受話器のむこうから誰が、どんなことを・・・。まだまだ、電話はそんなに普及もしていない。今日では想像もできないが、子供にとって電話が怖いものだった時代があった。
ベルが鳴ると同時に私は「どうしよう、どうしよう」と押入れに入り込んでガタガタ震えて、ある時寝込んでしまった。火鉢でサツマイモを焼いていたのも忘れて・・・。どこかで扉の叩く音がしている・・・。
夢の中の私はいつも火だるまになる。もう駄目だ。逃げ様としても足が動かない。びっしょりと汗にまみれて、次の瞬間目が醒める。サツマイモが焦げあがって、煙が玄関や台所から流れでていたのだ。まだ私が幼かった昭和20、いや30年?
昭和30年代ブームという。現代人が見失った人と人とのきずな、お隣が扉を叩いてくれなかったら・・・。穏やな、寛容な社会があった。テレビを観に町中の人がやってくる温かい社会があったことを若い人は知って欲しいし、生き抜いてきた人にはあの時代を思い出して欲しい――ひとりごちる。
目の前の恵子はウエストを気にしながらも、額に汗を浮かべてミニラーメンとはいえ三杯目に挑戦している。
きょうの「私の新横浜ラーメン博物館物語」いかがでしたか?出演、小林節子 脚本、大多田純でお送りいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・