ヨコハマ ストーリー 第35回 「私のカレーミュージアム物語」
魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」きょうは、「私の横浜カレー・ミュージアム物語」
横浜は、わが国初めてというものが数多くある。今や日本の食卓の一番人気、カレーもそのひとつのようだ。横浜カレー・ミュージアムは、伊勢佐木町に2001年1月にオープンした。館内は、大正時代の横浜港をイメージして豪華客船や異人館などが映画のセットのように演出され、楽しいアトラクションも数多い。展示コーナーには、1872年に出版された「西洋料理通」「西洋料理指南」に記されている、日本最古のカレーのレシピを元に復元したカレーの模型が置かれている。カレーを食べながらその文化と歴史を垣間見ることができ、開館5年で内外の観光客を集める横浜の人気スポットなった。
横浜は日本風洋食の発祥地としても知られている。野毛のキムラや花咲町のセンターグリルには家族でよく行ったものだ。母と私はセンターグリルのオムライス、父はカレーが大好物だった。
2001年に、横浜カレーミュージアムができたことを知り、早速、興味津々で行ってみた。混雑していて、長時間待たされて中に入った。何を注文したのか覚えていないが、父が言い出したことで大いにもめたことがある。
カレーは、ライスカレーなのか、カレーライスなのか!?
最初はどう呼ばれていたのか。どちらでも良いことなのだが、父は言い出したら、引かない、ハッキリしなければスッキリしない浜っ子だ。
カレーの文化と歴史も教えてくれるミュージアムだが、どこを見て回っても、そんなことは一言も書いてない。父は、「ライスカレーが古いのだ」と家に帰ってまで言い張っていた。
先日、待ち合わせで伊勢佐木町の有隣堂へいった。道すがらカレーミュージアムを通る。もはや時効となっていた「カレー論争」を思いだしてしまった。
有隣堂には待ち合わせの相手はまだきていなかった。ここで1冊の本を見つけた。伊川公司さんが書いた「横浜・ハマことば辞典」。それによると「カレー・ライス」はライスカレーより後で使われ始めたとある。大正6年の「日用外国語辞典」にライスカレーはあるがカレーライスはない。昭和3年の林芙美子作「放浪記」には、「ねえ、洋食を食べない」「へぇ?」「カレーライス,カツライス、それともビフテキ?」というくだりでカレーライスが出てくる。
どうやら我が家の5年に及ぶ「カレーが先か、ライスが先か」論争は父に軍配が上がったようだ。ライスカレーの文字から父の満足げな顔が浮かんでくる。
今日の「私の横浜カレーミュージアム物語」いかがでしたか?出演、小林節子 脚本、浮田周男でお送りしました。ヨコハマストーリーまた来週をお楽しみに。