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2006年10月13日 (金)

ヨコハマ ストーリー  第29回 「横浜百貨店物語」

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ヨコハマストーリーは、FMヨコハマで2005.4.5~2006.3.26(毎週日曜日 出演:小林節子)に放送された番組の脚本抄録です。

魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」今日は、『私の横浜百貨店物語』。

その昔。と言っても戦後のことだが「買い物に横浜に行く」と言えば、伊勢佐木町へ行くことを意味していた。当時伊勢佐木町にはデパートとして野沢屋、松屋、松喜屋があり、特に野沢屋、松屋へは横浜駅から買い物客用の送迎バスが出ていた。伊勢佐木町は横浜のショッピングの中心であり、最も華やかな情報の交流場所だった。しかし、1959年に横浜駅西口に横浜高島屋がオープン。輸入高級ブランドを揃えたオシャレなデパートとして浜っ子の話題をさらった。続いて1973年、今年の5月に閉店したが、横浜三越が開店。1982年、横浜岡田屋モアーズが装いを新たにスタート。また相鉄ジョイナスも大きなスペースを展開した。
一方、東口には、東口再開発のリーダー役を担って、横浜そごうが1985年にオープン。売り場面積世界最大級、大人の迷子が続出という逸話が残るほどの広さで、美術館や市や県の公共施設なども入り、さながら一つの町といった形容がふさわしい。さらに、横浜ルミネ、ポルタも加わっている。日本を代表する巨大ターミナル・横浜駅東西の周りは百貨店を中心に日本有数のショッピングゾーンとしてこれからも発展し続けることだろう。

 私の父は、今はもう大変な高齢だが、若い頃は結構オシャレで自慢のひとつだった。父は映画館を経営しており、映画も大好きで、特に外国映画とそのヒーロー達から自然にファッションを学んだことも確かだった。
 映画にインスパイアーされたのか、ブラっと馬車道や元町へ出かけて、普段かぶれないような帽子を買ってきて「またそんなの」と母に叱られ、気落ちしている父の姿を見ることがよくあった。そんなアイテムの一つに、ちょっとハデな上着があった。父は気に入っているものの、めったに外に着て出ることはなかった。
 ある休みの日、突然父が買い物に行くと言い出した。母と私は、私たちにも何か買ってくれるものと確信して、3人で横浜高島屋に行った。父はあのハデな上着を珍しくはおって颯爽と家を出た。電車の中の父は、他の人よりかなりカッコよく見えた。デパートに着いて、父は紳士服売り場のフロアーに直行した。少し地味なブレザーが欲しかった様子だった。種類は少なかったがあれこれ試着した。これが延々と続き、さすがの店員さんも苛だってきたようだったが、父は真剣そのものだった。しばらくして父は、ニヤっと大きく微笑んで、母と私を呼んだ。
 私は「ようやく決まった」と胸をなでおろしたが、母は「何なの、それ、あなたの上着じゃない」とビックリ叫ぶように言った。しばし唖然とした沈黙があった後、私と母と店員さんは、どっと大声で笑ってしまった。父のバツの悪そうな真っ赤な顔は一生忘れることはできない。今でも、あのときのことを話すと、父は「そんなこと、あったっけ」と、とぼけてしまう。きっと亡き母も天国で大笑いしていると思う。

今日の、『私の横浜百貨店物語』いかがでしたか。出演、小林節子 脚本 浮田周男でお送りいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・

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