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ヨコハマ ストーリー

2006年4月 7日 (金)

ヨコハマ ストーリー 第2回「私の伊勢佐木町物語」

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ヨコハマストーリーは、FMヨコハマで2005.4.5~2006.3.26(毎週日曜日 出演:小林節子)に放送された番組の脚本再録です。

魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。
ペリー艦隊が来航した時から、その歩みは始まりました。
そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。
そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」 
今日は、「私の伊勢佐木町物語」

JR根岸線関内駅のところに、1870年明治3年日本で最初の「鉄の橋」吉田橋が架けられた。そして1907年、明治44年鉄筋コンクリートの橋に作り替えられ、当時我が国の最も近代的な橋の一つとして有名になった。
この橋を境に港側が関内、外側の関外が伊勢佐木地区と言われている。
現在の吉田橋からウェルカム・アーケードをくぐって真っ直ぐに延びる道に1978年、昭和53年、伊勢崎モールが作られ1丁目、2丁目に歩行者天国が誕生した。以来1丁目から6丁目にかけて四つのオブジェが制作されたり、近年アミューズメントパークも出来て老若男女が楽しめる魅力的な町となっている。
伊勢佐木町を語る上で大変ユニークな事と言えば、新旧の歌手・グループの歌と演奏活動がこの街を全国的に知られるようにしたことであろう。
古くは1960年代後半、青江三奈さんが歌って大ヒットした「伊勢佐木町ブルース」がこの街に歌の足跡を残したこと。
新しくはモールの路上ライブからスタートし、全国へ飛び立っていったフォークデュオ「ゆず」がストリートからスターへの新しい夢の道を作ったこと。
「伊勢佐木町ブルース」の歌碑と青江三奈さんの看板のある伊勢崎モール4丁目には年配の方々が・・・そして日曜夜のライブでモールを埋めつくすほど人を集めたデパート前のところには、今も若い「ゆずっ子」が記念撮影に訪れる光景を今も目にする。これからも伊勢佐木町は、若い人からお年寄りまで誰もが伊勢プラを楽しめる、そしてヨコハマの「下町感覚」をたっぷり味わうことが出来る街であり続けるだろう。
先日ニュースで、春の選抜高校野球に神奈川県の名門校が、45年ぶりに出場すると話題になった。偶然私はその高校で野球をやっていた宏之さんと知人であり、何しろ45年ぶりの甲子園だから、早速「おめでとう」と電話をした。そうしたら「OB仲間と甲子園に行くんだよ」とはしゃいでいた。

そう私達女子中学生3人組が宏之さん達と会ったのは伊勢崎モールの老舗の大きな本屋さんだった。宏之さん達は初めてこの街に来た様子で、きっと捜し物の場所がわからなかったのだろう、私達にスポーツ関連の本のある場所を聞いてきた。案内をしてあげて本はすぐに見つかった。そして私達が買い物を済ませ表通りに出ると、宏之さんたちが
「さっきはありがとう。」
「お茶でもおごるよ」
「ここ初めてだからいいお店教えてよ」と声をかけてきた。
私達は三人ということもあり、おまけに調子よいテンポで誘われたので一緒に行くことにした。
「どこがいいかしら」
「あそこはどうかしら」
あれこれ迷った末、私達のたまに行くお店で美人のおばあさんのいる甘味喫茶に彼ら三人を案内した。
「何にする?」
「みつまめ」「おしるこ」「アイスクリーム」
あれもいいし・・・これも食べたい。時間をかけてやっと注文が決まって私達は思わぬ3時のおやつに恵まれ、喜び合った。
「お前があんな球投げるからだろ・・・」
「なんて足が遅いんだ・・・」
「球をよく見て打てよ・・・」
といった会話から野球の選手達だとわかったのは、しばらくしてからだった。
そして最近はいいところまで勝ち上がるけど、惜しくも負けてしまう。しばらく甲子園から遠ざかっていて、悔しい思いをしていることが伺いしれた。
私達の地元には、野球の強い高校があり、その生徒達のことを街でよく見かけることがあったが、同じ野球部でも宏之さん達にはかなり違った印象を受けた。
間もなくして、店を出て伊勢プラしていたら夕方近くになっていた。
当時の伊勢佐木町は、かなり大人の街だったので、私達中学生は暗くならないうちに帰ることにした。宏之さん達は封切館、今で言うロードショー劇場で洋画を観ることに決めていた様子だった。
「次は頑張って」
「今度応援に行くから」
「オー」
「必ず来いよ」
と言い合いながらわかれた。
伊勢崎モールで彼らと知り合ったことがきっかけで試合は二回も見に行ったが。しかし彼らは、卒業するまで甲子園に行くことはなかった。
私が本格的に野球を観たのはあの時が初めてで、以来野球に興味を持ち好きになったのは間違いなく彼らからの影響だった。
後輩達が達成した45年ぶりの甲子園出場、おめでとうございました。

今日の、「私の伊勢佐木町物語」いかがでしたか。ヨコハマの魅力と由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」出演、小林節子、脚本、浮田周男でお送りいたしました。また来週をお楽しみに・

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2006年3月28日 (火)

ヨコハマ ストーリー 第1回 私の大桟橋物語

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ヨコハマ ストーリーは、FMヨコハマで2005.4.5~2006.3.26(毎週日曜日6:45~出演:小林節子 )に放送された番組の脚本再録です。

魅力あふれる街、ヨコハマ。
日本そして世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。
ペリー艦隊が来航したこの時からその歩みは始まりました。
そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。

そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」
第1回目の今日は、「私の大桟橋物語」

安政6年、1859年、現在の横浜港大桟橋のある海岸に二本の波止場が完成した。突貫工事で造られたこの150年前の波止場こそが現在の日本を代表する大桟橋へと発展していく第一歩だった。
それから50年後の明治43年、1910年、横浜と関わりの深かった明治の文豪、森鴎外は三田文学に「桟橋」という短い文章を載せている。

桟橋が長い長い。四筋の軌道が縦に斜に切っている鉄橋の梁「はり」に、長い桁と短い桁とが子供のおもちゃにする木琴のようにわたしてある。靴の踵や下駄の歯をかみそうな桁の隙間から、所々に白く日の光を反射している黒い波が見える。空は真っ青に晴れている。

これは100年前の大桟橋。どこかのどかな風景の描写であるが、埠頭が出来、横浜が世界への玄関口として国際舞台へ登場していくことを決定づけたまさに横浜の夜明けといってもいいようだ。
以来、何回もの改築、改修、拡張を経て平成14年、2002年には客船クルーズ時代にふさわしい、国際客船ターミナルを持つ 現在の横浜港大桟橋となっている。   

私が帰宅して部屋に入ると「ママ宅急便が届いてるわ。」と二階から娘の声がした。テーブルの上には荷物が置いてある。送り主を見ると友人の信子からのものだ。早速開くと手紙と共にさわやかな桜色のパッケージが現れた。
華やかな包装からお菓子だなとすぐ感じた。どんなお菓子かしらと中味もとても興味があったが、まず手紙を読むことにした。
その手紙には、昨年私の親族に不幸があって何かと多忙と推察したことや新年の挨拶も失礼したこと。おまけに寒中お見舞いも出し損ねてしまったが元気を出してと励ましの言葉が書かれていた。
お菓子は春らしいからと、またよく味わえば昔の事もいろいろ想い出すからと意味不明のことも書かれていた。
しかし信子の優しさが、最近ふさぎ込んでいた私の心にしっかりと届いた。そしてきれいな桜色の包装紙の贈り物は、間違いなく私の家にも遅い春が来たような気分にさせた。パッケージを開いてみると、山下町のレストランの洋菓子だとわかった。いつも行動に一工夫とアイデアのあるセンスのいい信子のこと、きっと何かあるんだわと感じつつ、ようやく春を意識出来る余裕が私にも生まれたのかしらと思っていたら二階から大きな声で「ママ、中は何なの」「お菓子よ。今お茶を入れるから」と答えた。

「お茶が入ったわよ」娘は猫と一緒に二階から下りてきて、じっと見つめてから「まあ美味しそう、二つもらっていい」と言うとお茶を持って自分の部屋に戻っていった。手を休める事が出来ない何かをしているみたいだ。猫はお菓子の匂いを少し気にしただけで自分のものではなさそうだと興味を示さずソファーに飛び乗って片隅の定位置で丸くなった。お菓子はゼリーの洋菓子だ。レストランのお菓子ということを想い出し説明書きを読むと、そのレストランは、昔私達がいったことがあるお店と同じ名前だった。しかも山下町。
信子と私と男友達二人。四人で横浜港にクイーン・エリザベスⅡが入っているというので見に行ったことがあった。
1975年、クイーン・エリザベスⅡが初めて日本に来た時に、私達は横浜に行き、あの素晴らしく大きな船を見てみんなで感動した。大桟橋で船をバックに何枚も写真を撮った。今でもその時の写真は持っている。そしてその帰りに立ち寄ったのがその名前のレストランだったのだ。そう、大桟橋通りを真っ直ぐに戻って大きな道を超えてすぐのところ。お腹の空いていた私達は、お酒を飲んで食事をし、色々なことをよくおしゃべりして最後にお茶を飲んだ。季節は春だったが、若かった私達の心は夏真っ盛りだった。
そのレストランは今もあるんだ。大桟橋とクイーン・エリザベスⅡとレストラン。大げさに言ってしまえば人生でたったの一日。信子は、たまたまその船を一緒に見に行った二人の男友達の一人、徹と結婚し一男一女に恵まれ幸せに人生を送っている。私とは今でも親友だ。そして今日「桜ゼリー」という洋菓子と共に冬だった私の心に明るい春を届けてくれた。身体も不思議に軽くなったみたいだ。五月には、大桟橋にクルーズの豪華客船も入ってくる。港まつりのパレードもある。信子を誘ってあのレストランにも行ってみよう。
私は立ち上がりカレンダーを確認し、信子に伝えようと電話のある方に向かった。ソファーの猫も目を大きくして私の変化を気にしていた。

ヨコハマの魅力と由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」
今日の、「私の大桟橋物語」いかがでしたか。出演、小林節子、脚本浮田周男でお送りいたしました。

なお、横浜大桟橋へは、みなとみらい線「日本大通り駅」から歩いて五分です。春の一日、大桟橋の豪華客船をはじめ、山下町の街並みを楽しんでみてはいかがでしょう。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・

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