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2009年6月

2009年6月30日 (火)

横浜・明日への提言(77)いっそ選挙をなくしてしまったら

77

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 政治家が口を開けば選挙、考えることは票の読み、まるで選挙のために政治があると錯覚しているとしか思えないていたらくである。選挙があるために政治家が国家国民のためを思えないのなら、いっそ向こう10年間ほど選挙を休止して、政治家が政治の何たるかに目覚めて貰うほかないだろう。突拍子もない提案と思われるかもしれないが、選挙が選挙の意味を失いつつあることは事実だし、日本の政治家が自分たちのことしか考えられなくなってしまったのだから仕方がない。
「向こう10年間、選挙をなくすから、真正面から政治に取り組め」
 有権者はそれぐらいの声を挙げてもよい。むしろ、そうすることが義務だといわなければならないくらい政治が選挙にスポイルされた。
 マスコミが垂れ流す世論調査結果も考え直す必要がある。
 世論調査というが、内閣支持率一つを取り上げても、各新聞で数値に開きがある。一致するのは傾向を表すパターンにすぎない。調査の専門家にいわせるとそれでよいのだそうだ。調査はもともと傾向を知るのが目的で、善悪・適否など質的尺度を持つわけではないし、あたかも何かを決定するかのようなマスコミの使い方に欺瞞性があるのだという。
「調査機関は世論調査とはかくかくしかじかこういうもので、こういう正しい使い方をしないといけないというメッセージを発しないといけない時期にきている」
 だが、正しいメッセージを送ろうものなら調査の依頼がこなくなる恐れがあって無視されがちだそうだ。
 国家国民のための公益意識は識者や政治家の頭からどこへ消えたのか。どちらを見ても目先の自分の利益最優先、そこへもってきて国会議員の世襲問題までからんできた。地方議会は世襲オッケー、国会は世襲ノーとして私の意見は前に述べた通りであるが、いずれにしても、世襲禁止を世の中は待ってくれない。しからば、どうすればよいのかというと、「着座席御免」の長老をあてがう方式がある。若くても諸葛孔明のような人であればなおのことよい。
 着座席御免の実例を紹介しよう。
 岸信介内閣で外務大臣を務めた藤山愛一郎さんは、藤山財閥の御曹司で「絹のハンカチ」といわれたくらい世間に疎いお坊ちゃんだったが、秘書に着座席御免の人物を置いたから役目が立派に務まった。もっとも、藤山財閥をつぶしてしまったくらい井戸塀に徹したが、政治の面ではしくじるどころか立派に役目を果たしたわけである。以上のように既存の政治家に着座席御免の実力者をつけて補佐させる。こちらは選挙がないから政治家と刺し違えてでも政治に向き合わせることに専念すればよい。
 今回は一度にいくつかの提案を試みた。「何がよい、何が悪い」の議論もよいが、そろそろ「ガラガラ、ポン」で結果に結びつきそうな方策を選択する時期にきているのではないか。

2009年6月14日 (日)

横浜・明日への提言(76)手本にすべき時代を探そう

76

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 人口が減りつつある国が繁栄した例はないという。経験則だからこれからも必ずそうなるということではない。しかし、何の対策も講じなければ経験則に嵌まってしまう。
 歴史に無関心な国民ばかりの国が繁栄した例もないという。歴史に関心を持てば自分の国に対する誇りが生まれる。しかし、歴史に漫然と関心を持ってもとりとめがなくなってしまう。
 私の場合は父親を人間としてのありようの古典として毎日のように親子の歴史を読み返している。大学で一番尊敬する人間を挙げよといわれたとき、私は迷わず「藤木幸太郎」と答えた。そんな私が親父以外に感動を覚えるのは「日本のおとうさん」ともいうべき大田区界隈の町工場の経営者である。
 戦後、メーデーが盛んになり、労働法が整備されて、町工場の工員まで赤いハチマキをしてストライキをやるようになった。従業員をわが子のように思うおとうさんたちにとっては裏切られたような気持ちがした。けれども、おとうさんたちは従業員を悪く思いもしなければ叱りもしなかった。それなら俺たちも労働法を勉強するんだと決意してみずから意識改革に取り組んだ。そうすることによって経営者と従業員の意思の疎通が劇的によくなり、結束力が強まった。
 江戸時代の日本、寺子屋時代の日本、明治の日本、どの時代を切り取っても根っから働き者である日本人の姿が浮き彫りになる。まわりでみているから働く、見ていないからさぼる。そういうことをしない。むしろ、見えないところに工夫を凝らして丈夫で長持ちする製品をつくって使う人に喜んで貰おうとする。だれかにいわれてそうするというより、気がついたらそうしていた、それが日本人のDNAなんだろうと私は思う。だから、日本人は日本人であることにもっと誇りを持つべきだ。
 ところが、欧米が日本人は働きすぎだと非難すると、政府は余暇開発センターを新設したり、国民の休日を増やして月曜日を振り替え休日にして連休を増やした。
 その日本が今どうなっているか。
日本製品の品質のよさに太刀打ちできないで、日本人は働きすぎだと非難してきた欧米の政財界人が「今、日本で何が起きているのか」と理解に苦しむコメントを発表するほど薬が効いて、急転直下、日本の企業の品質管理がおかしくなった。
 日本の近代史、戦後史の一ページを切り取っても、劇的なドラマがある。そこから時系列的に枠を広げていく方法もある。
 日本人はどの時代を手本にすればよいのか。
 そうした考え方をすれば、批判のための批判に明け暮れるマスコミ世論に惑わされることなく、自分の考えで生きていくことができるのではないか。本来、自分流というのはそうしたものであろう。