00_weblog_default_js

  • // JavaScript Document

fyb_switch_to_sp_js

« 横浜・明日への提言(75) 江戸時代の暮らしを見直そう | メイン | 横浜・明日への提言(77)いっそ選挙をなくしてしまったら »

2009年6月14日 (日)

横浜・明日への提言(76)手本にすべき時代を探そう

76

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 人口が減りつつある国が繁栄した例はないという。経験則だからこれからも必ずそうなるということではない。しかし、何の対策も講じなければ経験則に嵌まってしまう。
 歴史に無関心な国民ばかりの国が繁栄した例もないという。歴史に関心を持てば自分の国に対する誇りが生まれる。しかし、歴史に漫然と関心を持ってもとりとめがなくなってしまう。
 私の場合は父親を人間としてのありようの古典として毎日のように親子の歴史を読み返している。大学で一番尊敬する人間を挙げよといわれたとき、私は迷わず「藤木幸太郎」と答えた。そんな私が親父以外に感動を覚えるのは「日本のおとうさん」ともいうべき大田区界隈の町工場の経営者である。
 戦後、メーデーが盛んになり、労働法が整備されて、町工場の工員まで赤いハチマキをしてストライキをやるようになった。従業員をわが子のように思うおとうさんたちにとっては裏切られたような気持ちがした。けれども、おとうさんたちは従業員を悪く思いもしなければ叱りもしなかった。それなら俺たちも労働法を勉強するんだと決意してみずから意識改革に取り組んだ。そうすることによって経営者と従業員の意思の疎通が劇的によくなり、結束力が強まった。
 江戸時代の日本、寺子屋時代の日本、明治の日本、どの時代を切り取っても根っから働き者である日本人の姿が浮き彫りになる。まわりでみているから働く、見ていないからさぼる。そういうことをしない。むしろ、見えないところに工夫を凝らして丈夫で長持ちする製品をつくって使う人に喜んで貰おうとする。だれかにいわれてそうするというより、気がついたらそうしていた、それが日本人のDNAなんだろうと私は思う。だから、日本人は日本人であることにもっと誇りを持つべきだ。
 ところが、欧米が日本人は働きすぎだと非難すると、政府は余暇開発センターを新設したり、国民の休日を増やして月曜日を振り替え休日にして連休を増やした。
 その日本が今どうなっているか。
日本製品の品質のよさに太刀打ちできないで、日本人は働きすぎだと非難してきた欧米の政財界人が「今、日本で何が起きているのか」と理解に苦しむコメントを発表するほど薬が効いて、急転直下、日本の企業の品質管理がおかしくなった。
 日本の近代史、戦後史の一ページを切り取っても、劇的なドラマがある。そこから時系列的に枠を広げていく方法もある。
 日本人はどの時代を手本にすればよいのか。
 そうした考え方をすれば、批判のための批判に明け暮れるマスコミ世論に惑わされることなく、自分の考えで生きていくことができるのではないか。本来、自分流というのはそうしたものであろう。