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2009年4月30日 (木)

横浜・明日への提言(73)長老の存在意義を再認識しよう

73

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 唐突だが、私の盟友梅沢健治の至言を紹介しよう。
「むかしの長老は若い者を抱いて包み込んで駄目なら切ってくれた」
 梅沢健治さんはかつて自民党神奈川県連の会長を務めた人格高潔の士である。その長老像がどこからくるのかは知らないが、私はふと前尾繁三郎さんを思い出した。
 かつての秦野章さん曰く。
「前尾繁三郎は総理総裁の器だったが、本人になる気がなかった」
 梅沢さんがイメージする長老は、このレベルの人物であろうことは想像に難くない。その気があれば日本国総理大臣も務まるほどの器というからにはライン的ではなくスタッフ的なタイプの大人物だったのだろう。事実、前尾さんが育てた政治家、面倒を見た政治家は多かった。秦野さんも何かというと相談にうかがった組の一人だった。
 もし一国に総理総裁の器の首相がいて、総理総裁の器の長老が支えたら、国民にとってこれほど心強いことはないだろう。それがいつのことだったかと振り返ってみれば、田中角栄の時代に一度あった。ロッキード事件がらみであの時代を批判する向きが多いのも事実だが、総理総裁の器の首相は各省庁の実務にすべて通じ、「角栄一人いればあとの大臣はいらない」とまでいわれた。長老としては前尾繁三郎などがおり、「抱かれ、包み込まれ、駄目なら切られる」側には秦野のオヤジのような俊秀が目白押しだった。条件的にいって国民があれほどめぐまれた時代はなかった。
 さて、今日はどうか。
 私がいうまでもないだろう。しかし、こういう時代でもすぐれた長老はいる。盟友梅沢健治もその一人に含まれる。だから、ないものねだりをしてストレスを溜めるくらいなら、思い切って観点を変えて「長老」の意義を再確認し、「長老システム」を考え、構築してはどうか。
 間接民主主義は総理大臣、直接民主主義でいえば自治体首長が間接・直接的に選挙で選ばれるのだが、では長老をだれが選ぶのかというと直接民主主義的手段では方法がない。無理に選挙にかければとんでもないまがいものをつかまされかねない。そのうえ表に立たない長老の裏方的役割も寝業師的なイメージを与えがちだからバイアスが強すぎて選挙には向かない。いきおい密室談合的手法にならざるを得ないから、国民・市民の意識覚醒が「長老システム」誕生の前提条件になる。
 国民が意識改革したほうがよいのか、悪いのか。
 まずそこから始めないといけない。
 年齢的指針や世襲要件のみで若返った政界が、今、質的にどのような状態か現実を見、みずからをも省みて判断するのが選挙民たる国民・市民の本当の意味での知恵ではないだろうか。