横浜・明日への提言(72) 脆弁による錯覚を打破すべし
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
小泉元総理が「古い自民党をぶっこわす」と叫んで一躍時代の寵児になったことは記憶に新しい。ところで、あの人がぶっこわしたお陰で今の自民党はどうなっているか。よくなるどころか、最早、政党の体をなしていないというひどさである。
振り返ってみると、古い自民党がなぜいけないか、正しく理由を述べた人は皆無なのではないか。金権体質、永田町の数の論理、疑獄と積み重なった現象から漠然と黒いイメージが定着し、いけないというムードがかもし出されたのは確かである。しかし、政治は結果責任なのだから、その頃と今の世の中を比べると優劣が歴然とする。古い自民党はいけないどころか、当時、人材は多士済々、ロッキード事件当時に至っては政治の天才田中角栄総理、秦野章法務大臣などカリスマ的なリーダーまで健在で、官僚などはその影すら踏ませて貰えなかった。
当時の秦野法務大臣いわく。
「世の中の金を合法的に集めて政策にかたちを変えて再分配するのが政治。金を集める力を持つ政治家に金が集まる。それを規制しろというのは政治をやめろというに等しい。残念なことにミイラ取りがミイラになる譬えで法律に触れてしまったときは警察・検察が摘発し、裁判にかける仕組みがある。政治資金規正法など通したら政治家が駄目になる」
確かそんなことをいっていたように思う。
最近の政治家は疑獄といわれるほど大掛かりな金に触りもしないようだから、かつてのような黒い霧も発生しなくなった。比例して政治家も口説の徒と化して世の中のお役にはあまり立たなくなった。
黒い霧はよくないが警察・検察がある。有罪の証拠が得られれば起訴して裁判にかけることができる。しかし、法に触れる大掛かりな疑獄がなくなって警察・検察は手持ち無沙汰になった。そういう問題がなくなったときに政治資金規正法が国会を通った。これほど皮肉で不条理で有権者の目を欺くパフォーマンスはなかった。
「古い自民党ノー、新しい自民党へ向かってゴー」
こんなムードが自民党に蔓延した頃、すでに人材が払底してあってなきがごとくになっていたのだ。政治家の選挙による選挙のための選挙政治に「政治」が成り下がったのもあの頃。与野党問わず、人気やムードだけを求める政治が始まったのも「古い自民党」がいわれだしたあの頃。今とあの頃以前とどっちの政治、どっちの世の中がましだったか。
答えは問うまでもない、「古い自民党ノー」はとんでもない脆弁のメッセージなのである。訴えたら公正取引委員会は政党発の誤まったメッセージを取り締まるのだろうか。一度、見解を聞きたいものである。
政治も経済も今がどん底、われわれにできることは、正しく知るということである。私は若いとき何かに「知ることは愛すること」と書いた。世の中を正しく知ることができれば愛着が湧くに違いない。どうやって知るかは別の機会に述べるとして、目下はそこから始め、世の中に愛着を持つのがいちばん確かな一歩ではないか。