横浜・明日への提言(66)日本はよい国だと思えるように
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
昨年末に田母神・前航空幕僚長の歴史観論文問題が起きた。いろいろ批判はあったけれども、「よくぞいってくれた」と感じたのは「日本はよい国だと教えなければ部下に国を守るために命を捨てろといえない」という発言だった。はっとさせられた。自衛隊員のみならず国民の大多数が日本をよい国だと思わなくなったら、何をやろうとしてもうまくいかないからだ。
歴史の解釈は人によって異なるから百人の人がいれば百の解釈がなりたつというのが私の持論である。だから、対立する歴史観の行司役を買って出てどちらが正しいなどと言い切るつもりはない。
戦後の日本は戦争の犠牲が大きかったことを反省し、憲法9条を守り抜いて外国の軍隊と一度も戦わなかった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、チベット紛争、中東紛争、アフガン戦争、湾岸戦争など世界は戦争の歴史を繰り返してきたが、アジアで戦争をしなかったのは日本だけである。ありがたいことに治安もよく平和でこんなにいい国はない。
まわりに海千山千の交戦国がひしめいておりながら戦争にも紛争にも巻き込まれなかったのは、戦後の日本にはまだ「サムライ」がいたからだ。サムライを現代風に言い換え「洗練された野人」といってもよい。もっとわかりやすくいえば周囲の雑多な意見に惑わさないで信ずることを実行し実現できる実力者である。
総理にこそならなかったが、総理の器といわれ、優秀な政治家を育てるのがうまかった前尾繁三郎氏という自民党の派閥の領袖がいた。通商産業大臣、建設大臣などを歴任した小此木彦三郎氏が国政選挙で初当選し在籍する派閥を選ぶことになったとき、相談相手の藤山愛一郎氏は迷わず「前尾派」の名を挙げた。
「立派な政治をやりたかったら前尾繁三郎、偉くなるなら中曽根康弘」
そういう言い方だったと思う。
横浜エフエム放送の生みの親の一人秦野章元法務大臣も派閥にこそ属さなかったが、何かあると前尾繁三郎氏の自宅に押しかけて意見を求め、政治家としてのセンスに磨きをかけた。
ところが、二世、三世の時代になって、長く平和がつづいたためか、サムライがいなくなった。言論の舞台でサムライ的発言をする人はいるが、いわば書斎のサムライであり、政界、経済界の実力者ではない。憂えるとすればサムライがいなくなったことだろう。
私の初夢といってもよいものだが、その夢の中では、学校とはいわないけれども「サムライを育てる機関」というのがあって、平成のサムライが輩出し機関とワンセットになっていた。どうしたらそれが実現可能となるか、現実の問題として取っ掛かりをどこに求めたものかと思案を始めたばかりである。
それだけに田母神発言は示唆に富んだものになった。相手が制服組だから文民統制うんぬんの議論になるのだろうが、差し迫って必要なのは「国民が日本はよい国だと思えるような政治・経済・教育」の実現だろう。そのために自分に何ができるかを考えるのが今年の目標の一つになった。