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2008年7月

2008年7月31日 (木)

横浜・明日への提言(56) 旅をするか、旅行をするか

56

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 

 旅行というのはある人がきちんと準備をして、安全で、不便なく出かけられるように予定が組まれている。ところが、旅となるとちょっと違ってくる。朝、家を出て会社に向かって歩きながら、ある日、私は「あれ、俺は何のため歩いてんだ」と考えた。麦田のトンネルまで40分から45分かかる。トンネルを抜けて元町に入って50分、そこから中村川の橋を渡ると会社に着いたような気になってしまうのに、そのときは違った。もう何十年も歩いているのに、今になって「なぜ歩くのか」と自問したのは、歩くのは健康にいいからとか、何のためだとかは、これまでまったく考えたこともないからだ。理由はそんなところにはない。それだけははっきりしている。
 歩く。これはどういうことなんだ。
 寒い時期に雨が降って風が吹いても傘をさして歩く。もうじき八十になろうかという年齢を考えると健康にいいわけがない。それでも歩きたい。旅をしているからだと思う。
 昔、私の友達から聞いた話だが、昭和7、8年の頃、ある大企業の青年社員がアメリカに出張を命ぜられた。青年は氷川丸でシアトルまで渡った。そこから大陸横断鉄道でシカゴへ行って、さらにニューヨークへ向かう予定だった。ところが、最初に迎えた夕方、車窓から眺める夕日に心を奪われた。凄い夕日だ。日本で見たことがない。この光、この色はいったい何なんだ。じいっと眺めて心を打たれ、次のモンタナの駅で降りてしまった。出張旅行をやめてしまった。駅から出たら広い草原に家が一軒だけあった。牧場だった。牧場へ行って、日本へ帰るつもりはない、モンタナの夕日を毎日見ていたい、そういって牧場に置いて貰って働いて、二、三十年後に大きな牧場主になった。
 出張の日程に従って移動しているまでは旅行だったが、モンタナで下車した時点で彼の人生は旅になった。私のいわんとする旅行と旅の違いは以上でおわかり願えたと思う。旅行というからには仲間が要る。旅というときには、大概、一人旅だ。
 松尾芭蕉は死ぬまで旅をし、最後に「旅に病んで夢は枯野を駆け廻る」という辞世の句を残した。狐には穴がある、鳥には巣がある、人間はいずこに枕を求めるべきかと自問自答もした。自分自身、わかっていない。
 常に考える。決断する。そのことの繰り返しだ。成功も、失敗も、すべて目先のことだ。そこでピリオドを打ってしまったら旅は終わってしまう。歩けども、歩けども、どこへむかっているかわからない。わかったら旅は終わりだ。禅問答みたいだが、妙な理屈をこねて無理に答えを見つけなくてよかったと思う。
 ところで、サービスが行き届きすぎた大旅行時代になって、自前の旅というものが手に入り難くなった。だから、旅をするにはまず他力本願の習性から改めなければならない。それだけでも旅を心がける意義は大きいのではないか。

2008年7月14日 (月)

横浜・明日への提言(55) 自分の時間で生きる機会を持とう

55

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 私は腕時計をはずして、サンダル履きでふらりと家を出る。それが私の散歩のスタイルである。サンダル履きにそれほどの意味はないが、腕時計をはずす意義は大きい。
 なぜ腕時計をしないのか、理由はこうだ。
 日本のラジオ放送はNHK愛宕放送局で始まった。それ自体は結構なことだったと思うが、振り返ってみて正午の時報が日本人の生活習慣に大きなしばりをかけたといえるのではないか。
 それまでの日本人は自分の住む街で暮らした。遠くに見える森の向こうに何があるか知らなかった。知ろうともしなかったし、知らないでいても生活に支障はなかった。鐘の聞こえる範囲で暮らしていたから、余計な雑音に悩む必要もなかった。ところが、ラジオが知らせる時報で日本全国同時に正午になった。正午の時報を気にかけながら暮らすようになった。
 もっと悪いことに腕時計が売り出されて、それをしてないと何をするにも安心できなくなってしまった。
 前に述べたミレーの「晩鐘」には鐘の音は描かれていないが、野良で一日の仕事を終えて感謝の祈りを捧げる農民は自分たちが暮らす村の教会の鐘の音を聞いているはずである。その教会の晩鐘とラジオの時報は持つ意味がまったく違う。 教会の晩鐘は聞こえる範囲と聞く人が限られている。ところが、ラジオの時報はスイッチがオンになっていれば日本全国同時で画一的に鳴る。それを聞いて腕時計の針の位置を確認し、ずれていれば針を動かして修正する癖がついた。日本中が時報の虜になってしまった。
 さらにはテレビの普及で、森の向こうどころか日本全国で起きたことが居ながらにしてわかるようになった。日本の東西南北の果てで起きたことが、いつでもわかるようになったから、これまでになかった喜怒哀楽の反応を日常的に経験するようになった。
 それがよいとか悪いとかいっても始まらないのだが、そうなることによって日本人は自分が属する地域社会と疎遠になり、そこから遊離したバーチャル世界に取り込まれて過剰に反応するようになっていることだけは事実である。地域の人間が日本人になってしまった。私は自分の家にいるときまでそんなふうになってしまうのが嫌だから、押し付けられた情報、時間にしばられた行動、そういうものから開放されて自由になりたいから、せめて散歩にでるときくらい腕時計をしないようにしているわけである。
 腕時計をはずすとどういうことがわかり、効果があるか、ひとつ、興味がある人は試してみていただきたい。