横浜・明日への提言(55) 自分の時間で生きる機会を持とう
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
私は腕時計をはずして、サンダル履きでふらりと家を出る。それが私の散歩のスタイルである。サンダル履きにそれほどの意味はないが、腕時計をはずす意義は大きい。
なぜ腕時計をしないのか、理由はこうだ。
日本のラジオ放送はNHK愛宕放送局で始まった。それ自体は結構なことだったと思うが、振り返ってみて正午の時報が日本人の生活習慣に大きなしばりをかけたといえるのではないか。
それまでの日本人は自分の住む街で暮らした。遠くに見える森の向こうに何があるか知らなかった。知ろうともしなかったし、知らないでいても生活に支障はなかった。鐘の聞こえる範囲で暮らしていたから、余計な雑音に悩む必要もなかった。ところが、ラジオが知らせる時報で日本全国同時に正午になった。正午の時報を気にかけながら暮らすようになった。
もっと悪いことに腕時計が売り出されて、それをしてないと何をするにも安心できなくなってしまった。
前に述べたミレーの「晩鐘」には鐘の音は描かれていないが、野良で一日の仕事を終えて感謝の祈りを捧げる農民は自分たちが暮らす村の教会の鐘の音を聞いているはずである。その教会の晩鐘とラジオの時報は持つ意味がまったく違う。 教会の晩鐘は聞こえる範囲と聞く人が限られている。ところが、ラジオの時報はスイッチがオンになっていれば日本全国同時で画一的に鳴る。それを聞いて腕時計の針の位置を確認し、ずれていれば針を動かして修正する癖がついた。日本中が時報の虜になってしまった。
さらにはテレビの普及で、森の向こうどころか日本全国で起きたことが居ながらにしてわかるようになった。日本の東西南北の果てで起きたことが、いつでもわかるようになったから、これまでになかった喜怒哀楽の反応を日常的に経験するようになった。
それがよいとか悪いとかいっても始まらないのだが、そうなることによって日本人は自分が属する地域社会と疎遠になり、そこから遊離したバーチャル世界に取り込まれて過剰に反応するようになっていることだけは事実である。地域の人間が日本人になってしまった。私は自分の家にいるときまでそんなふうになってしまうのが嫌だから、押し付けられた情報、時間にしばられた行動、そういうものから開放されて自由になりたいから、せめて散歩にでるときくらい腕時計をしないようにしているわけである。
腕時計をはずすとどういうことがわかり、効果があるか、ひとつ、興味がある人は試してみていただきたい。