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2008年4月30日 (水)

横浜・明日への提言(50) 先鞭をつける努力を

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 読者、視聴者へのおもてなしにつづいて思うのは、批判をしたら必ずどうしたら改まるか、その処方箋を示すことが肝要なことだと考える。           
 戦後、学校で民主主義をどのように教えたか、昭和ヒトケタ世代の私は知るよしもないが、言論のルールに則った自由というのが本当の「言論の自由」だと理解している。そのルールを決める立場に私はいないわけであるが、「そろそろお決めになってはいかがでしょうか」というのが私の提言である。
 過去にそのヒントがある。
 伝統ある雑誌の廃刊、休刊がつづく今日、『文芸春秋』が多くの読者を保っているのは、創業者菊池寛が座談会を記事にするなど常に先鞭をつける試みをしてきた伝統が息づいているからではないか。
 単行本と違って、月刊誌、週刊誌は次がある。従って、次につながる何かがないと飽きられてしまう。その何かとは何か。その何かを記事の内容にばかり求めているとマンネリに陥るから、先見の明に富む菊池寛は方法論的なノウハウにまで踏み込み、常に新機軸を打ち出す努力を怠らなかった。
 高度情報化社会といわれて久しい今日のマスメディアの関係者は、その点、どうだろうか。読者、視聴者に最も刺激を与えやすい部分、すなわち人間が本質的に持つ潜在的な劣情性、残虐性にばかり目を向けて、手っ取り早く商売につなげて、兎に角、売れればいいという傾向にありはしないか。
 こんな方針で張り切られたら最悪である。
 政治も似たようなものだ。いつの間にか選挙に当選することが目的化して、世論に迎合した意見しか聞こえなくなった。選ぶ側から言わせれば「だったら、議会よ眠れ」である。おかしなことで張り切られるより、議席で居眠りしていてくれたほうが実害が少なくてすむ。
 私が政治にもジャーナリズムにも絶望しているのは手段が先に立って目的が置き去りにされているからである。しからば、どうすれば改善が行われ、気持ちに光明が差すようになるか。
 ここで再び冒頭の提言に戻る。政治もジャーナリズムもルールのない場外乱闘劇に明け暮れているようなものだ。だから、早急にルールを決め、「こうしろ」「こうしていかなければ」と行く先を示してやる必要がある。
 それをやれるのはだれか。  
 菊池寛のように識見と先見性を持ち先鞭をつける気概を持つ政治家とジャーナリストである。そういうリーダーがたった一人でも出れば違ってくる。そして大声で叫び、ゼスチュアたっぷりに、まずわれわれをうならせ、夢中にさせてもらいたい。