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2008年3月

2008年3月31日 (月)

横浜・明日への提言(48) 兎に角、任せよう。兎に角、仕方ない。

48

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)


 去年の暮れに反省したことで個人的なことなのだが、今年の心がけとしてもよさそうだと思い、また皆さんの参考になるかもしれないと考えて、密かに胸にあたためてきたことがある。
 これまで、私は自分でも数え切れないであろうほどの公職、団体の長をおおせつかってきた。太鼓は鳴るから人様が叩きにきてくれる、鳴るうちが華、「鳴るときの太鼓」でいる間は頼まれたら断るなという親父のいいつけに従ってきたからだ。けれども、いま七十七歳、ちょっと待てよ、これまではよいとして、これからは思慮が少したりないのではないかとふと反省した。
 中国宋代の儒学者朱熹(朱子)の言葉が日本の江戸時代に朱子学として蘇って、侍の教科書になった。その朱熹の言葉の一つに平たくいうと「人を用いるときは辞めることを知る者にやらせろ」というのがある。会社であろうと、ボランティアであろうと、仕事は世の中からお預かりしたものだから自分のものではない。いずれは返すときがくるわけだが、放り出すわけにはいかない。預かった以上はしっかりした人に渡さないといけない。私もそろそろお返しをすることを考えないといけない。お返しする相手を探さないといけない。人間は辞め時が大事だ。そういう潮時を心得た人間に任せろという意味につながっていく。
 去年の暮れにそんなことを考えた。
 ところが、考えるのは簡単だけれども、任せる相手を探すのがむずかしい。引き受け手はいるが、辞めどきを知るかどうか自信がもてない。これではいつまで経ってもバトンタッチできない。
 そこで、また考えた。たとえば新幹線に乗ったとき、子連れの親と同じ車両に居合わせたとして、幼い子どもたちがきゃあきゃあ騒いでうるさくて仕方ない。親が知らん顔でいるのに他人のこっちがいっても静かになるわけがない。どこでどう間違ってこんな世の中になったのかと考えても何の解決にもならないし、わからない相手に「ここは公共の場」だの、「かくあらねばならぬ」を説いても不愉快になるだけ。
「仕方ない」
 これが私の結論。
 よくよく考えてみると、世の中には自然災害のように「仕方ない」ことがたくさんある。仕方ないと受けとめないといつまでも気持ちに引っかかって先へ進めなくなってしまう。だから、諦めの「仕方ない」ではなくて、前向きの「仕方ない」。今年はこれでいこうと決めた。
 すると、これまで気持ちに引っかかるものがあって踏み切れなかったことも、あっさり、すっきり決断がついてしまう。
 兎に角、任せよう。兎に角、仕方ない。実にこれはいい。
 あえて、みなさんにもお勧めする次第である。

2008年3月14日 (金)

横浜・明日への提言(47) 日本の再出発点に戻ろう

47

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)


 日本の株式市場の凋落が新年早々から取り沙汰されてきた。現在も日経平均株価は低落したままである。だれがいうのか、原因は日本の企業に魅力が乏しいからだという。ちょっと待てよといいたいところだ。前回述べたように投機マネーが原油市場に流れた結果で、彼らはそこで甘い汁を吸い尽くしたら、一転、舞い戻って日本株を買い荒らし、好機とばかりにM&Aの一大攻勢を仕掛けるのは目に見えている。そのとき、「日本の企業は魅力がない」といった観測筋は「日本の企業はかなり魅力的だ」とコメントするに違いない。
 冗談じゃない。鬼のいぬ間に洗濯ならぬ規制強化、やるなら今だ。
 国際金融資本も一応は株主だ。しかし、金にものをいわせて株式を買占め、M&Aで企業を支配し、利益を得たら売り払う。法律上は株主の体裁を整えているが、これで株主といえるのか。
 ひところ、「会社にとって株主が大事か、従業員が大事か」という類のテーマのシンポジウムが盛んに開かれた。主催者のねらいは、もちろん、「株主優先」「株主第一主義」のプロパガンダである。
 会社の命運を左右するのは経営だ。高度の技術を持つ従業員を育て、成果としての製品の付加価値を高め、株主はその過程に金を出して参加するだけ。従業員は人生と家族の暮らしを会社に託し、それらをひっくるめて会社と運命を共にする。会社は金がなければ現状維持に甘んじればよい。しかし、従業員がいなくなったら会社は成り立たない。
 会社が支払う義務を負うのは従業員の給料とボーナス、国に治める税金、株主への配当の三つだが、最優先は赤字でも放棄できない従業員に対する義務だ。あとの二つは利益が出て初めて生まれる義務だから、シンポジウムのテーマは最初から自明の答えを問うようなものでナンセンスの極みというほかない。
 会社の値打ちを時価総額で判断するのも実体にそぐわない。前記のシンポジウムのテーマは株式市場からしか会社を見ていない。
 会社にとって本当の株主とは?
 これこそわれわれに突きつけられた本来のテーマだろう。
 ところで、宮沢内閣のとき日本は経済大国として絶頂期にあった。
アメリカは今の大統領の父親のブッシュ政権で財政赤字と貿易赤字という「双子の赤字」を抱えて青息吐息だった。確かな筋から聞くところによると、ときのブッシュ政権が日本叩きの奥の手として編み出したのが「日米構造協議」で、以来、日本政府はアメリカの注文に忠実に従って「負の構造改革」に突っ走ったのだという。結果としてアメリカは景気を回復させ、日本は沈没の一途をたどったというのがどうやら真相らしい。だとするならば、今日の凋落は政治力学で長い間ねじ曲げられた結果といえるから、日本の企業がそれ以前までやってきたこと、考え方に間違いはなかったわけである。したがって、日本の再出発は何も迷うことはない、日米構造協議前にもどすことである。
 今の日本、とりわけ経営者には、その見極めが問われているのではないか。