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2007年10月14日 (日)

横浜・明日への提言(37)どうしたら言葉のレベルが上がるか

37

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 
 
 どんなに豊富なボキャブラリーを身につけても、使う機会がなければ宝の持ち腐れで終わってしまう。
 幕末の志士は仲間と猛烈に議論した。昼間のうち同志と議論して、家に帰ってから「あそこはこういえばよかった」「このことをいい忘れた」と思うと、すぐに手紙を書いて家来に届けさせた。最初は大した内容でなくても、次第に考えが煮詰まって時代を変え、新しい時代を築くエネルギーになっていった。だから、仲間としゃべり、議論する機会を持つようにすれば、必ず言葉のレベルが上がっていく。
 ところが、最近の小中高大学生は携帯電話をどのように使っているかというと、相手と電話で会話するよりメールという通信が主流になってしまったと聞く。
携帯電話が子どもの間にまで普及し始めたとき、私はある雑誌に「携帯は国を滅ぼす」と書いたことがある。前にも別の意味で述べたと思うが、それがますます現実になりつつある。
 また次のような例もある。
 映画「二十四の瞳」の舞台になった小豆島の十二人の子供たち、それぞれみんな良い子で上級学校へ進ませてやりたいのだが、貧しい島の暮らしが許さない。なかでも飛び切り成績が優秀で、高峰秀子演じる大石先生が「この子だけでも」と強く願い、本人も進みたい気持ちがある卒業生に対して最後にかける言葉に困った。作者の壺井栄は最初に何と書いたか。
 卒業したら島を出て女中奉公に行くのは当たり前だった。「偉いわねえ、感心ねえ」といわせようと思ったけど、それでは気の毒に思う大石先生の気持ちに合わない。しかし、ストレートに「気の毒」と表現してしまったら子どもに傷がつく。結局、「残念ね」という言葉に落ち着いた。
 どの言葉を選び、どのようにいうかで、その場にいる人を感動させもし、シラケさせもする。言葉にはよくも悪くも心がこもる。両刃の剣だから気をつけろというわけである。
 壺井栄ほどとはいわないが、「心を磨く」心得を持つ。これがもう一つの方法である。先頃の参議院選挙のとき、あるテレビ局の女性キャスターが国民新党の綿貫民輔代表に「それって、ずるくないですか」と二度も食い下がっていた。選挙前の予測では国民新党がキャスティングボードを握るのではないかといわれていたが、民主党の一人勝ち、自民党の歴史的大敗でその目は完全に消えた。「野党の先頭に立つのか」という女性キャスターの質問は選挙前なら話は別だが、選挙の後では愚問だ。綿貫民輔代表は「当面、静観する」と答えた。それが正しい。ところが、「それ、ずるいですよ」ときたから、綿貫民輔代表は唖然として「ずるい?」と反問するほかなかった。言葉を話す以前に心を磨く必要がある格好の見本だろう。