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2007年7月

2007年7月14日 (土)

横浜・明日への提言(32) 今こそ護送船団方式を見直そう

32

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 市場原理主義、競争原理思想の導入で職場から社会全体に至るまで殺伐とした空気が日本を支配している。原因がはっきりしているから批判するのは簡単だが、口先でいうより何とかする方向だけでも明確にしておかないといけない。そう思ったものだから、私は横浜港運協会の賀詞交換会で、「ミナトは護送船団方式でいく」と宣言した。
 そもそも「護送船団方式」という言葉を使って日本の企業体質を悪くいい出したのはアメリカかぶれの学者と評論家だった。
「あの業界は護送船団方式だからよくない」
 彼らのいっていることを聞いて、正直、私は「冗談じゃない」と腹が立った。
仮に日本の企業体質が護送船団方式だとして、それのどこが悪いのか。
 日本の社会は江戸時代の長屋暮らしから護送船団なのである。味噌、醤油を切らしたとき、「貸してくれ」といって隣から借りてその日をしのいだ。明日は我が身だからお隣さんは当たり前の顔で貸してくれた。武士にも相身互いという連帯意識があって、惻隠の情を何より重んじた。封建社会に違いなかったが、上下の身分に関係なく世の中の隅々にまで互助・共存の精神が脈々と受け継がれ、世の中に潤いを与えていた。
 もしもあの時代、市場原理主義だの競争原理だのを持ち出して、優秀なやつだけ他人の二倍も三倍もうまいめしを食えばよい、駄目なやつは野垂れ死にしてもしょうがない、こんなことをいい出す学者がいたら今の私たちは存在しなかっただろう。
 食うや食わずの時代を生きた私たちが、縁台のお殿様としていいたいことをいい、心身とも健やかに成長できたのは、護送船団方式があったればこそである。
 それをいかにも時代遅れのようにいうが、私にいわせれば市場原理主義こそ「刀」を「資本」に置き換えた新手の封建思想なのだ。刀に象徴される、かつての封建思想でさえも「武士道精神」という規範が確立されていたというのに、今日の市場原理主義には弱肉強食の下克上以外何もない。数値のお化けみたいな時価総額とかいう軍隊を使って平気で「下克上」が企業間で行われる。本質的には戦国時代の再現である。そんな世の中のどこが新しいといえるのか。学者も評論家も一部の経営者も口を開けばグローバル経済、市場原理主義というが、そんなものは世界的な封建制度への後戻りにすぎない。
 わかりやすくいうと、十人で泳いで、三人おぼれて、七人だけが向こう岸について、「おう、これで三人分余計にめしが食える」というのが市場原理主義のいう競争原理だ。そうじゃない、三人おぼれたらみんなで助けにいく、世界に取り残されて先にめしを食われてもよい、細々とでも限られたものを分け合って良心の呵責なく全員で胸を張って生きていこう、それが私のいう護送船団方式だ。どっちがまともかいうまでもない。日本がこれを守らないで何をもって世界と渡り合うのか。
 前回、今の日本ほど不安が世の中を支配する時代はないといったが、原因は護送船団方式が崩壊しつつあることにある。私は原因をそこに突きとめて自分が責任を負う企業・団体で「護送船団方式でいく」と方針を明確にした。それだけでも空気が明るくなり、安心が隅々に広まった。