ヨコハマ ストーリー 第48回 「私の神奈川スケートリンク物語」
魅力あふれる街、ヨコハマ。この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。
そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。
そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」 今日は、「私の神奈川スケートリンク物語」。
東急東横線・反町駅。JR東神奈川駅。京浜急行・仲木戸駅、神奈川駅。それぞれの駅から徒歩5分ほどの場所にある神奈川スケートリンク。オープンしたのは昭和26年、今年で55周年を迎える。屋内スケートリンクとしては日本で最も古い。54m×27mのメインリンクと、27m×6mの初心者用サブリンクの2つがあり、滑走料金は幼児・小学生が800円から大人の1200円まで4段階で、スケート靴は400円で借りられる。入場後は料金は加算されず、閉館時間まですべることが出来るのも人気の一つだ。
閉館時間後は、アイスホッケー、フィギュアスケート、カーリングなど部活動や各団体の練習場としても使われ、ここから神奈川県を代表する数多くの選手が生まれている。
反町に暮らす幼なじみのお宅を訪ねた。子どもの頃の懐かしい話題で盛り上がっていると、お嫁さんが「お母さんたちにもそんな頃があったんですね」と熱いお茶を注いでくれながら語りかけてきた。
「あの頃、私たちはオテンバでね、男の子とケンカしても負けなかったんだから。そういえば、我が家のオテンバ娘はまだ帰ってこないの?」と友人。
「ケイ子なら神奈川スケートリンクに行ってますよ。あの子、ミキティやマオちゃんにすっかり夢中になっちゃって」
ケイ子ちゃんは友人のお孫さんで、小学3年生。家からほど近い神奈川スケートリンクのフィギュアスケート教室にこの冬から通い始めたという。
「ねえ、ケイ子のフィギュアスケート姿、見に行ってみない?」
友人の誘いに、ケイ子ちゃんに久しぶりに逢いたかった私は二つ返事で応えた。
神奈川スケートリンクは、何年ぶりだろうか。若いカップルに混じって、割とお年を召した方々も楽しそうに滑っている光景に少し驚いた。
フィギュアスケート教室はサブリンクで開かれていた。私たちは、彼女に見つからないように様子を見守ることにした。子どもたちが一人ひとりコーチの前をすべってポーズを決めている。ケイ子ちゃんに順番が回ってきた。彼女は両手を広げ颯爽と滑るが、ターンに失敗して尻餅。すぐに立ち上がってもう一度挑戦。今度はきれいにターンを決めた。コーチに頭を撫でて誉められケイ子ちゃんも嬉しそうに微笑んだ。
練習が終了して、彼女は私たちに気がついた。私は「ケイ子ちゃん上手ね、誰のようになりたいの?」と訊くと、「私、浅田真央ちゃんみたいに滑りたいの。オリンピックにも出るの。」と目をキラキラさせて答えてくれた。今はスケートが楽しくて仕方がないようで「じゃあ、おばあちゃんたち、また後でね。」と言うと友達が滑っている場所へ戻っていった。
私たちはしばらく彼女が楽しそうに滑る様子を見ていたが、友人がついにこう切り出した。「ねぇ、私たちも久しぶりに滑らない?あの子のキラキラした目を見てたら、何でも出来るって思っていた子どもの頃を思い出しちゃって。」
私は躊躇したが、結局彼女の勢いに押し切られ、滑るはめになってしまった。
孫に手を振りながら友人は「私もフィギュア教室に通おうかしら。8年後には孫と一緒にオリンピックに出たいわ」と言う。私たちは一瞬顔を見合わせ、しばらく笑いが止まらなかった。
今日の、『私の神奈川スケートリンク物語』いかがでしたか。出演、小林節子 脚本、二羽信宏がお送りいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・