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2007年1月19日 (金)

ヨコハマ ストーリー  第43回 「私の横浜中華街春節物語」

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ヨコハマストーリーは、FMヨコハマで2005.4.5~2006.3.26(毎週日曜日 出演:小林節子)に放送された番組の脚本抄録です。

魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が、世界の表舞台に登場したのは、今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航したときから、その歩みは始まりました。そして今もヨコハマは、ユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく『ヨコハマ・ストーリー』。
今日は「私の横浜中華街春節物語」 【2007年の春節は2月18日(日)です】

横浜中華街では春節にむけて「春節燈花」が始まっている。春節とは中国のお正月。旧暦の一月一日に祝う中国では最も盛大な祝日だ。「春節燈花」とは、春節を祝って行う中華街のイルミネーションのこと。歩道整備でゆとりある歩行空間と魅力的な装いに生まれ変わった中華街に、空に浮かぶ雲の形のイルミネーションを施すとともに、中華街全域に電飾と提灯を飾っている。
横浜中華街で春節の行事が始まったのは1986年。中華街発展会は、中華街は食事を楽しむ場所であるとともに、文化を伝える場所でもあると考えた。横浜生まれの中国人が多くなった今、伝統を守っていくことの大切さは計り知れない。また街全体がひとつになってお祭りを開催することの意味は、年々大きくなる。

 毎年、春節の時期には中華街を訪れる。春節の別名は「過年」。中国では『年』は、頭に角が生えた恐ろしい怪物だという伝説がある。大晦日になると、深い海の底からこの『年』という名の怪物が這い上がってきて、村に繰り出し家畜や人を食べてしまう。だから、大晦日には村人たちは家畜を追い老人と子どもを連れて山に逃げた。
 ある年、もうすぐやってくる大晦日に備えて、村人たちが準備をしていると、村に汚い身なりのおじいさんがやってきた。おじいさんは、お腹をすかせていたが村人は、彼にご飯をあげる暇もなかった。でも、ある優しいおばあさんが可哀想に思い、にぎり飯を作って上げてこう言った。「もうすぐ『年』という名の怪物がやってくるから、早く逃げなさい」。おじいさんは、にっこり笑って、逃げるどころか「おばあさんの家に泊めてください。そうしたら、その『年』をやっつけますから」と言った。おばあさんは、そんな簡単にいくわけがないと思が、おじいさんの姿をもう一度よく見ると、どこか気位が高くかくしゃくとしていて、頼もしい感じもしてきた。でも、やはり無理だと思い「バカな真似はおよしなさい」と言ったが、おじいさんはただ微笑んでいるばかりだった。
 誰もいない村におじいさんだけがいた。大晦日の夜は更け深夜になった。そして、『年』という名の怪物がやってきた。怪物は、いつもと違う雰囲気にとまどった。おばあさんの家の門には赤い紙が貼ってあり、家の中は煌々と灯りがともっていた。ビクビクしながら『年』は、おばあさんの家に近づいた。『年』が庭に入るなりバンバンとけたたましい音がした。そこへ、赤いマントをまとったおじいさんが現れて「あははは」と大声で笑った。『年』は、心底驚いてあわてて逃げ出した。
 戻った村人たちは、すっかり無事な村を見て驚いた。おばあさんは、おじいさんを探したが見つからなかった。ただ自分の家の門に赤い紙が貼られ、ろうそくが燃えていた。バンバンと音がするので行ってみると、竹が火に燃えてはぜていた。以来、どこの家でも大晦日になると、縁起のいい文句を書いた赤い紙を貼り、爆竹を鳴らし、夜中まで灯りを灯しておくようになったという。
 春節は、この『年』という名の怪物が無事に過ぎたお祝いなのである。

今日の「私の横浜中華街春節物語」いかがでしたか?出演、小林 節子 脚本、北阪昌人でお送りいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・


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