横浜・明日への提言(16) 記者に資格認定試験を
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
戦前から戦後の今日まで新聞記事を丹念に集め分析してきた人がいるという。又聞きだが、その人の下した結論は「新聞が順といったら、やがて逆になる」というものだそうだ。戦前の戦争翼賛記事が戦後に平和礼賛記事になり、高度成長礼賛が公害批判という具合に論調がひっくり返る。いちいち細かいことはいわないが、私が尊敬した故秦野章元法務大臣は「マスコミは乗換え名人」と評した。
新聞記者は足で記事を書くといわれた時代、報道界はすぐれたジャーナリストを輩出した。遅れて登場したテレビも良質でレベルの高い番組を数多く制作してお茶の間をうるおした。情報の質が高かったから個人的にも優れたジャーナリストやテレビマンが育ったのだろう。
ところが、今日、新聞・テレビで取り上げるニュースは各種スキャンダル、事件など社会の暗部が主流で、質的に見るべきものがない。当然、だれが書いたりつくったりしても同じような記事、番組になってしまう。そんな悪循環が起きているのではないか。
記者にとって至れり尽くせりの社会環境も質の低下に輪をかけている。政府・官公庁はもちろん企業と名がつけば広報課があり、記者会見、記者発表、パブリシティなど、ありとあらゆるお膳立てをしてニュースにして貰おうと切磋琢磨している。記者はお仕着せの情報をかき集め、選択し、リライトするだけで仕事になってしまう。記者の専門性が薄れる一方で、紙面づくりのシステムが進歩し、コンピューター操作で画面や紙面がつくられていく。ハード的には画期的な進歩だが、肝心の能力の低下を招いた現実、しかし記事の影響力は昔日の比ではない。
さて、ところで、戦後の日本ほど価値観が大きく揺らいだ国はない。量的にいえばオピニオン・リーダーの役割を果たしたのがマスコミである。しかし、質的には低落傾向にあるとは大方が指摘するところである。
このままでよいのか。さあ、どうするか。
対策の一つの手立てとして新聞・テレビなどの記者の資格試験を新設し、質的なレベルアップを図る試みが考えられる。第三者の公的機関に任せるのではなく、マスコミ自身がそれを自発的にやる必要性があるのではないか。