ヨコハマ ストーリー 第26回 「横浜はじめて物語」
魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が、世界の表舞台に登場したのは、今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航したときから、その歩みは始まりました。そして今もヨコハマは、ユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく『ヨコハマ・ストーリー』。今日は「横浜はじめて物語」
幕末から明治時代初期にかけて押し寄せた文明開化の波。その波をいちばん最初に受け入れた横浜には、「日本で初めて」がたくさんある。
たとえばアイスクリーム。1869年5月9日に、馬車道で売られたのが、第一号で、当時は「あいすくりん」と言ったそうだ。
我が国初の西洋理髪店も1869年に開業。欧米風「ザンギリ頭」は、文明開化の一翼を担うこととなった。山下公園にある「西洋理髪発祥の地」の記念碑には「ZANGIRI」と書いてある。
新聞の発祥も、横浜だ。1864年6月28日ジョセフ・ヒコが横浜で手書きの新聞を創刊、翌年5月には、「海外新聞」と名前を変えて定期的に刊行するようになった。日本で初めての日刊紙も、横浜で発行された。1870年、横浜出版社から創刊された「横浜毎日新聞」は、以来16年間、日々の出来事を伝え続けた。中華街近くの歩道に、ひっそりと「日刊新聞発祥の地」の記念碑がある。
先日友人に誘われて、ウォーキングに参加した。
テーマは「横浜はじめて物語」。文明開化の先駆けだった横浜には「日本で初めて」がたくさんある。パンに牛乳、ビールにマッチ。新聞、アイスクリーム。
ウォーキングの幹事から「次は山手公園に行きます。山手公園には3つの『初めて』があります。日本最初の洋式公園であり、日本のテニスの発祥地であること、そして最後は、日本でヒマラヤスギが最初に植えられた場所だということです」と説明があった。山手本通りをゆっくり歩く。秋の風は、どこかせつなさを運んでくる。古い洋館を眺めていたらふと思い出した。この山手公園に通じる道は、私の「初めて」につながっていた。
女学校を卒業して、しばらくしてからのことだった。私は、男性とこの道を歩いていた。男の人と二人きりで会うのは初めてだった。彼は山下公園でも、港の見える丘公園でもなく、なぜか山手公園に行きたいと言った。
テニス部の彼にとって、山手公園は特別の場所だったのだろう。横浜は、私のほうが詳しかったが、必死に道をたどる彼のひたむきさが嬉しくてついていくことにした。
外人墓地からフェリス女学院を右手に見て、少し先にカトリック山手教会が姿を現す。その信号の左の脇道を下れば、山手公園だ。でも、彼は道に迷ってしまった。さっきまでの余裕が消えた彼は気の毒なくらいあわててしまった。風にせつない香りが交じっていたような気がする。
「あれ、おっかしいなあ」と彼が言った。その言い方がおかしくて、私は笑ってしまった。彼も笑った。そのときの二人の間に流れた空気が懐かしい。
ウォーキングの一行は、迷うことなく山手公園を目指した。立ち止まった私に、友人が、「どうしたの?」とまぶしそうな目をして聞いた。「ううん、なんでもない」と私は歩き始めた。
今日の「横浜はじめて物語」いかがでしたか?出演、小林節子 脚本、北阪昌人でお送りいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・